3-6「犬神」
ローマ字で「LEONA」と書かれたピンクの札が、洋風な扉にかかっていた。ノックして入った犬養レオナの部屋は、古めかしいこの屋敷には似つかわしくない、可愛らしい部屋となっていた。まさに和洋折衷といった室内で、そもそも扉が洋風である時点で察するべきだっただろう。
家屋としてはかなり古いこの犬養の屋敷は、幾度かリフォームを行い維持してきたらしく、基本的に畳のある部屋の多い大きな平屋だったこの家を、改装に改装を重ねてこうなったようだ。
香織、柴乃、そして部屋の主であるレオナは、どうやらアルバムを読んでいるようだった。いくつか積み上がった、既に読み終えたと思えるそのほかのアルバムの束は、やや古めかしい装丁の物から可愛らしい装丁の物まで混合していた。
「あ、小春おかえりー」
「なにしてるんだ」と、見れば分かることをあえて聞いてしまう。
「なにって、アルバム見てるの。ちっちゃい頃の柴乃さんやレオナちゃんが可愛くって!」
「あ、どうもこんにちは。レオナです」
「あ、どうも!」
先ほど大広間で会った時の、暗めな印象とは打って変わり、レオナの声色は明るく現代っ子の風を感じた。
「どうしたの、変な顔して」と香織が言う。
「ああ、いや。さっき広間で顔を合わせたときとは、ずいぶん雰囲気が違うなって」
「ああー、おじいちゃんとおばあちゃんがいる所だと、なんだか萎縮しちゃって。お母さんはさ、慣れてるかもだからああだけれど、私はねぇ」と、レオナは母親の穂積さんを思わせる多弁っぷりをみせた。親子とは似るものである。
「な、なるほど。それで、三人して何を?」
「懐かしく、アルバムを見ていたんです。この古いものは私たちが幼少の頃、この可愛らしいのは、最近のものですね。私はこの可愛らしいのは今日初めて見たので」と柴乃が答えた。
「あ、サボってたわけじゃないよ。昔の写真を見返せば、なにか情報あるかなーって思って、レオナちゃんに頼んで持ってきてもらったの。ほら、ゲームとかでも写真から情報を得ることってあるでしょ?」
「で、その情報は見つかったのか、香織」
「うんにゃ全然」
「私も久しぶりに見返したけど、フツーの日常風景を撮ったものばかりですよ」とレオナが割って話に入って来る。「お兄さんたちが探している、その、イヌガミ? っていう呪いについてなんて写ってないよ。イヌガミってあの、犬神? 心霊写真でも探してるんですか?」
「いや、そういうわけじゃ……。レオナさんは、柴乃さんの肩の傷は知ってるんですか」
「やだー、年下に敬語なんかいいってー! 柴乃お姉ちゃんが上京する前から、一緒にお風呂入ったりしてたから知ってるよー。犬神の呪いについては今日初めて聞いたけれど、昔受けた傷かなーくらいには思ってたかな」
ふむ、と私は顎に手を当て訊く。「具体的に、昔とはどのくらい幼少の頃です?」
「え。えーっと……私が幼稚園の頃ぐらい、から? 覚えてないけど……」
「柴乃さんとレオナさんの年齢差は?」
「レオナちゃんが高校二年生だから、三歳差ですね」と柴乃。
「え、レオナちゃん、私より先輩!?」
「もー、一歳違いの先輩後輩関係なんて飾りだって!」
私は少し考えてから、柴乃さんと質疑応答を交わした。
「少なくとも柴乃さんが小学生の時点では、その傷はあったんですね」
「は、はい。物心つく前からあるので、実際には上がる前には既にあった気がします」
「今思えばかなり目立つ傷ですけれど、その、失礼ですが奇異の目で見られたなんてことは?」
「いえ。実はその、私物心つく前から泳げなくて。水恐怖症と言いますか、だからプールの授業もほとんど休んでいたので、傷については同級生すら知りません。異性にこの傷を教えたのも、親族を除けば小春さんが初めてですよ」
「は、はあ。そういえば、庭にいるスケは今何歳なんでしょうか」
「え、スケですか? 老犬ですから、もう十四、五歳でしょうか。人間で言えばもう八十歳近い計算ですね」
「ということは、スケがこの家に来たのは、レオナさんが生まれた後?」
「ええ。あの頃は覚えてます。だって……そう、丁度両親が亡くなったときでしたから……」
「……」
少ししんみりしてしまったところに、気を利かせてか香織が再びアルバムを見せてきた。
「ほ、ほらほら! アルバムの続きでも見ましょ、柴乃さん! 小春も。変なこと訊かないで、息抜き息抜き」
「え、俺はいいよ写真は」
「いーからいーから! ほら、丁度スケくんが来た頃の写真とかもあるんだよ! ちっちゃい柴乃さんが一生懸命抱きかかえてて可愛いんだから!」
「この頃は私もまだ確か二歳くらいだから、記憶にないんだよねー」とレオナ。
無理矢理見せられたその写真を見て、少し引っかかるものがあった。背景は確実にあの広い庭なのだが、今の庭と決定的に違うものが写っていた。
「あれ……? 鹿威しがある……」
「ちっちゃい頃は庭に池があったんです。たしか鯉も飼ってたんですけれど……。そういえば、物心つく頃には無くなってた気が……」
物心。
いわゆる犬の霊の憑き物と言われるこの犬神の呪いは、やはり全て犬養柴乃の物心つく前後が関わっているはずだ。ピースはなんとなく揃った気がする。しかし、あまりにフワフワしすぎていて、それでいて確固たる証拠もないため、憶測の域でしか私の考えではまとまっていなかった。
ふと、香織が問いかけてきた。
「なんか難しい顔しているけれど、もしかしてなんか分かったの?」
「いや、多分ってだけで証拠みたいなものがない。ただの憶測だ。もし証明するなら必要なのは……」
「ちょっと、ブツブツ言ってないで教えてよー!」
「いや、正しいかどうかわからないし、俺の中でまとまってるわけじゃないから言えない」
「えー! いっつもそうじゃん! 不法投棄の時も、美琴の時も!」
「俺の中でまとまってないものを他人には言いたくない主義なんだよ」
「いっつもそればっかり!」
そう言って香織は突然俺を押し倒した。柴乃さんやレオナちゃんのいる前での出来事だった。忘れていたが香織は俺より運動神経がいいし力も強い。あっという間に倒された俺は、レオナの部屋の床に叩きつけられていたのだった。
「痛……なにすんだよ香織!」
「小春こそいい加減にしてよ! いつも一人で勝手に突っ走って、それで何回他人を怒らせたりトラブルに巻き込まれたと思ってるの!」
「何度あったとして、お前には関係ないだろ」
「無いけど! 無いけど……。心配になる身にもなってよ。私は年下だけれど、心配くらいするんだもん。頼もしいところはあるけれど、そういう、離れてどっか遠くに行っちゃいそうなところが、怖くて、嫌い。少しくらいさ、一緒にいるんだから、何か少しくらい私に頼って手伝わせてよ……」
香織の本音だろう。咄嗟にそう感じた。酷い言い方をすれば、私より年下の香織に心配させられるなんて屈辱的ではあったが、同時にかなりの申し訳なさも感じた。うっすら涙目になる香織を見てしまったら、いつもみたいなあしらい方は流石に叩けなかった。
「あ……えっと、ごめん」
「……うん」
「……」
「……」
「あー、ああ、そうだな、はは、うん。香織に正論言われるとは思ってなかった。ごめん。謝る。だから香織、一旦どいてくれ」
「あ。うん、えっと、ごめん」そう言って香織が私からどいて正座をした。
「謝るのはこっちだって。……さて、そうだな、その通りだ。俺一人でどうにかしようなんてこと自体が
「うん……。うん! なに、小春」
「あー、あとこれは、柴乃さんやレオナ……ちゃんにも協力できるならしてほしい。柴乃さんにとっては、少し辛い真実かもしれませんけれど」
「……ふふっ、ええもちろん。知るためにこの家に帰ってきたんですから」
「よ、よくわからないけれど、手伝えることなら」
俺はその日生まれて初めて、意を決して他に人に協力してもらうことになった。
「スケの通院歴があるかどうかを知りたいんです。理由は……」
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