3-5「一犬虚に吠ゆれば……」
穂積夫妻の部屋で、私は一人で話を聞くことにした。香織と柴乃さんは、この夫妻の娘であるレオナさんに話を聞くようにと、作業を分担したのだった。といっても、娘のレオナから特別情報は出ないだろうと踏んでいる。私は、一番情報を持っているはずの夫妻から、どうしても自分だけで話を聞きたかったのだ。
「んー、聞いたことないねぇ、そんな風習」
穂積さんは素っ頓狂な声で答えた。意外な返答だった。一蝶は孫娘の柴乃には犬神の歯型を説明し、自身の娘である穂積さんには説明していなかったのだった。
「といっても、もしかしたら姉さんにはあって、その話してたかもしれないけどね。おばさんので良ければ、くまなく見てみる? 歯形」
「え、あ、結構です」
「やーもう照れちゃって!」
穂積さんからややセクハラ紛いの扱いを受けるが、厳格そうな一蝶と金之助の娘とは思えない、朗らかで豪快そうな人柄を感じ取った。
「あの、ちょっと意外でした」
「えー、意外って?」
「いえ、ただでさえ他人の私に、犬養家のルーツにまつわる話を、こうもあっさりお話されるなんて」
「え? 柴乃ちゃんが連れてきたんだから、お婿さんになるんじゃないの?」
「あー、いやぁまあ、その、ははは」
「なーんて、学生なんだからもっと若い時季を楽しみたいものね。あたしもそういう時期があったわ。そのおかげで和騎に遭えたんだけどね!」
「うん、穂積、お客様の前であまりはしゃがない方が……」
「なぁに照れてるのよ! あ、ごめんねぇ旦那結構恥ずかしがりやで!」
なるほど、夫妻の関係は良好のようだ。和騎さんはああいわれてもまんざらでもない様子である。お似合いだ、出会うべくして会ったのだろう。では姉の、柴乃さんの両親はどうだったのだろうか。これも穂積さんに訊くことにした。
「姉さん夫婦も仲良かったよ。あたしはその、残念だけど姉さんが事故で亡くなった当時は家にいなくてね。詳しいことは知らないの」
「え、お二人はずっとこの家にいたわけではないんですか?」
この疑問に答えたのは、これまた意外にも和騎さんの方だった。
「当時は私の仕事もあり、それに家の跡取りは義姉夫婦と聞かされていたものですから、私と穂積は家を離れて別の町で暮らしていたんです。ただ……」
「姉さんが事故で亡くなったって聞いて、急いで帰ってきたの。レオナが二歳になった頃だっけ?」
「え、あの、失礼ですが、お二人はいくつの時にご結婚を……?」
「ん? えーっと、あたしが二十五、和騎が二十三だっけ?」
「うん、二歳差だから、そうだね。その二年後にレオナが生まれた」
「お二人が、この家にいなかった期間も同じくらいですか?」
「そうね。姉さんの子供……柴乃ちゃんね、柴乃ちゃんが生まれたのをきっかけに出たから……」
そういうと、穂積さんぴたりと話すのを止めて少し眉間に皺を寄せた。そして首をかしげながら「あれ?」と、これまた素っ頓狂な声を上げた。
「そするとおかしいね……。姉さんが柴乃ちゃんを産んだのって、あたしがレオナを産んだ時と同じ歳だったはずなのよ」
「とすると、二十七」
「そ。結婚もたしか、そう、あたしが結婚した歳と変わらないくらい。さっきの話の風習だと……。そうよ、おかしい、というか、根本から変」
「やはり、風習がそもそも偽りでしたか」
「というか、そもそも姉さんの旦那だった俊敏、あたしの同級生だし」
「え!」と思わず声を出した。どうもこの犬養家の家系図をもう少し図化しなければ、話は見えてこないと考えた。私はそれをしっかりとした図にするべく、柴乃の両親が亡くなった年と訊くことにした。
「あの、柴乃さんのご両親が亡くなったのって、もう何年前になるんですか」
「そうねえ、もう十五年になる?」
「なるね。あの頃は義姉さん夫婦の葬儀やら、柴乃ちゃんの怪我やらで大騒ぎだったから」
「柴乃さんの怪我というのは?」
「あー、それは大したことのないものだったって、母から後で聞いたんだけどね。大騒ぎと言っても、父がぽつりと呟いていたのを覚えてただけだし」
「金之助さんでしたっけ」
「そ。『柴乃があんな目にあったばかりというのに、なんという……』って言ってたのを、ちょっと聞いたら、怪我したって。大騒ぎしたのはあたしらで、それで母が後になって、そんな大したことないって」
穂積夫妻からはいい話が聞けた。二人に礼を言って、部屋を出る。そして頭の中で家系図をまとめた。
家督を持つ金之助、その妻、一蝶。二人の間には牧子と穂積という二人の娘がいる。牧子は俊敏と、穂積は和騎と、奇しくもお互い二十五で結婚し、二年後の二十七で子を儲けた。柴乃とレオナである。柴乃さんの両親が亡くなったのは、今から十五年前。とすれば、現在の柴乃さんの年齢から逆算して、五歳の頃である。
話を聞く限りでは、金之助氏と一蝶氏が、何らかの理由で柴乃さんに嘘を教えていることになる。娘の、少なくとも亡くなった牧子さんの結婚年齢がそれを物語っている。
では、五年前に何が起こったのか。それが明らかにならなければ、何故老夫婦が孫娘に嘘を吐いたのかが分からない。とてもではないが問い詰めるなんてこともできない。ひとまず私は、香織たちと合流することにした。
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