3-3「犬養家の一族」

 冬休みが始まり、私は長野県にいた。東京から新幹線で二時間はかからなかっただろう。この信州の地に、犬養柴乃の実家、旧家でもある犬養家があるのだ。


 ここからの移動はバスや徒歩を繰り返すものだった。昔であれば人力車を引く俥夫しゃふや馬車を使って移動していたのだろう。人の行き来があるので悪路とまではいかず、ある程度舗装はされていたが、なかなかの傾斜がある道を幾度となく歩かされた。下手に軽装で来ていたら怪我していたかもしれない。


「ごめんなさい、私の実家、その、結構交通が不便でして」

「いえいえいいんですよ! 出不精の小春にはこのぐらいがちょうどいい運動になりますから!」

「……本当になんでついてきたんだお前は……」


 香織はこの冬休みを利用し、旅行と親には偽って私たちに同行してきた。冬休み中の部活は平気なのかと問いたいところだったが、丁度冬の定期公演も終わったばかりで部活としては暇な時期が被っていたため都合が良かったのだろう。


「私、一度長野には来てみたかったんです! よかったー小春が知り合いで!」

「俺はあれだぞ。香織が知り合いでこれほど後悔したことはない」

「ふふっ、お二人とも仲が良いんですね。幼馴染とかなんですか?」

「んー、ちょっと違うけど、近い感じ。会ったの去年だしね」

「こいつが人懐っこいだけです」

「そうです。私がいなきゃ小春は一人寂しい生活を……」

「一人で東京に帰すぞ」

「じょ、女子高生を一人にさせる気ですかっ!」


 道中他愛のない雑談をしながら、何十分経っただろうか。見えてきたのはそこそこ人のいる集落のように思えた。規模的には村かなにかだろう。そして、その中でも人期は目だって大きな屋敷があった。面白いのはその屋敷の瓦屋根の上には、鯱の代わりに犬が載っているのだ。


「あれが私の実家です。犬養家、ようこそお越しくださいました」


 犬養柴乃に案内され、大きな屋敷の門を抜けると、これはまた立派な庭がまず広がっていた。今では恐らく珍しいのではないだろうか、平屋であるその屋敷は大きな庭で囲まれており、石灯籠や山茶花をはじめとする植物が美しく植えられてある。日本庭園と呼ぶには仰々しいかもしれないが、立派な庭だった。


 やや気になったのは、奇妙に並べられた石があったことだ。丁度、犬養柴乃の右肩にあるあの咬傷のような感じである。円形状に並べられているが、特別中に何かあるわけではない。ただただ地面に石を連ねて埋めているだけのように見えた。


 すぐ近くには犬小屋があり、そこには『スケ』と書かれた木製のネームプレートもあった。どうやら犬を飼っているらしかった。


「あのスケというのは」

「飼い犬です。物心ついたころからいるので、もう老犬ですけど、健在ですよ」


 そう言って家屋の入口まで来ると、一人の女性が声を掛けてきた。もうよい御歳のように見える。五十、あるいはもう六十手前かもしれない。


「お帰りなさいませ柴乃様。お待ちしておりました」

「あら京香さん、ただいま。こちら、お話していた四谷小春さんと桜庭香織さん」

「お伺いしております。ようこそいらっしゃいました」

「ああ、いえいえ、こちらこそどうも……。あの、この人は……」

「我が家で働いてくださっている、田北たきた京花きょうかさん。私が生まれる前からここで働いてくれているの」

「さあ皆さま。立ち話もなんでしょうから中へ。旦那様方がお待ちです。お荷物はそのままでよろしいので、どうぞ」


 物静かながら、どこか気迫も見られる使用人の田北京花は、その割烹着姿が無ければ彼女が犬養家の女当主と間違えてしまうぐらいの迫力があった。では、そのような人を使用人に持つ当主はどのような人なのか。余程厳格な人なのではないか。そのような人に、粗相なことなどできないのではないか。そのような不安が過る中、私たちは客間……、日本建築なので表座敷というのだろうか、そこへ案内された。


 表座敷には五人の男女がいた。おおよそ旧家とは思えない人数だった。もっと人数がいそうなものであるが、理由は大方察しが付く。犬養柴乃の両親は既に他界しているため、お年を召している老夫婦と思われる一組が祖父母、もう一組はおそらく親子ではないかと思われ、一人はどうにも香織と同年代の様子だった。


「主人様、柴乃様とお連れ様が到着されました」

「……ウム、ご苦労。田北、茶の準備を」

「は」


 奥に座する老夫婦と思しき男女は、男は灰色の、女は臙脂色の単衣を身にまとい、どこか圧倒されるような凄みを感じさせた。気迫というのだろうか、威圧というのだろうか。定かではないが、少なくとも私たちがいてはいけない空間のような気がした。


「ようこそお出で下さいました。犬養家、当主の犬養金之助きんのすけと申します。隣は……妻の一蝶いっちょうです」

「どうも、四谷小春様、そして桜庭香織様」

「あ、えっと、どうも」

「ど、どうもです……」

「こちらは私の娘である穂積ほづみと、その夫和騎かずき。そして孫娘の一人であるレオナです」

「こんにちは!」


 和騎、と呼ばれる黒縁のメガネをかけた人物は軽くこちらに会釈をし、レオナと呼ばれる花織と同年代と思しき少女は、こちらを見向きもしなかった。


「それで柴乃……。そちらの殿方が、そうなのですね?」

「はい、お婆様」


 一蝶と柴乃が、何やら一言ずつそう交わした。私はその言葉の意味をすぐには理解できなかった。が、その数秒後すぐに明かされることとなった。


「分かりました。それでは柴乃、お前はその者を迎え入れ、縁談は行わない、ということで良いのね」

「……その、はい」

「……え、あの、犬養さ……、いや紛らわしいな、し、柴乃さん? これはどういう」


 私は小声で、隣にいる犬養柴乃に耳打ちで訊ねた。


「……ご、ごめんなさい。連れてくる理由に……貴方をその、結婚相手にすると言ってしまったんです」

「……は?」

「えええええええええええええええ!?」


 桜庭香織が大声を出した。

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