3-2「咬傷」

 私は自宅にいた。部屋には急遽呼び出した桜庭香織もいる。いつもと違うのは、その部屋には犬養柴乃もいるということだった。


「ちょ、ね、小春、だ、誰あの超美人」

「犬養柴乃さん。うちの大学のミスコン一位で俺の一個先輩だ」

「そ、そうじゃなくて、なんだ小春がそんな人と知り合いなわけ!?」

「いろいろ縁が合って」

「縁ー!?」


  小声で言い合う私と香織を見ながら、犬養柴乃は「あの……」と不安げに問いかけてきた。本人の家柄とは大きくかけ離れた、大家の生田源蔵には申し訳ないがみすぼらしいアパートの一室に呼び出しておいて、確かに二人で勝手に盛り上がっていたは妙な気になるのも仕方がないと思った。


「ああいやごめんなさい。こいつは桜庭香織。私の友人です。そのまあ、彼女がいた方が何かと都合が良いと思ったので来ていただきました」

「そうでしたか。よろしくお願いしますね、桜庭さん」

「ひゃ、ひゃい! よろひくお願いしましゅ!」


 畏まり過ぎて言葉を噛みまくる香織は、八つ当たりの様に私の背中を叩いた。


「イッタ、なにすんの」

「なにすんのじゃないよ! 私いる意味ある!?」

「あるある。お前に犬養さんの身体を見てほしいんだ」

「は?」

「いやそのな……」


 私は香織に喫茶店で聞いた話をそっくりそのまま伝えた。後で思えば事前に話しておけば潤滑に進んだかもしれないが、先に話していたら来てもらえないような気がしていたため、ここで打ち明ける形となった。


 そうして、犬養柴乃の身体にある『祟りの証』なるものが気になるのだが、ぱっと見て肌が露出している部分にはそのような証は見当たらないし、冬という季節も相まってほとんど隠れてしまっているため、私が下手に女性の身体を調べるよりかは、最も気心の知れた香織に任せた方が良いと考えていることも話した。


「祟りの証ねぇ……。小春そんなの信じる人だっけ?」

「いやぁ全く。でも彼女が嘘を吐いているようには思えない。だから確認してほしいんだ」

「んー分かった。えっと、犬養さん。ごめんなさい、その、今お話を聞いたんですけれど、祟りの証? というやつを、見せてもらってもいいですか?」

「え! えっと、その、いいんですけど、その……」

「あー、小春はね、その後ろ向きますから! 確認するのは私だけなので、大丈夫です!」


 なんだか私が変態のような扱いを受けたような気がするが、背に腹は代えられなかった。


 ものの数分だっただろう。香織が犬養柴乃の身体を確認し終わった様子で、背中を向けていた私の肩をトントンと叩いた。振り向くと犬養柴乃は「よいしょ」と自分の着ていた上着を再び羽織っている最中だった。


「それで?」

「……あった。右肩のところに小さな傷みたいなの」

「傷?」

「うん。その、なんていうか、犬に噛まれたみたいな……そんな痕」

「結構大きいのか?」

「いや、仔犬に噛まれたような感じかな……。もっと言えば、かなり昔の傷みたいなんだけど」

「それが……。それが呪いの証なのです」


 小さなアパートの一室では、私と香織の会話は筒抜けになってしまうことをうっかり失念していた。聞かれたところでどうというわけではないが、もう少しこっそりと話をしたかったところではあった。


 犬養柴乃の右肩にある咬傷のようなものこそが、くだんの呪いの証なのだという。聞けば物心がついたころから突然出現したらしい。内出血による単なる痣であればすぐに消えてなくなっているだろうし、この痕はそういった類ではないことは確かだろう。転々と小さく、等間隔に並んだそれは、やはり犬か何か獣に噛まれたような跡であった。


 遡ること十年以上前。まだ犬養柴乃が小学校にも上がっていない頃。この傷のようなものが現れたそうだ。幼い頃から気になっていたため、小学校に上がり高学年となったある日のこと、ふと祖母に訊いてみたという。すると、なんとも不思議な話が返ってきたというのだ。


 代々犬養家には犬神が住み着いており、次の犬神家の大黒柱となり得る人間に咬みつき、この痕を残すのだという。何故咬みつくのかといえば、犬神のマーキング行為であり、つまりは自分自身の所有物であるとアピールするための好意なのだという。この痕はその祖母、そして犬養柴乃の母親にもあったそうだが、祖母は頑なに見せようとはしなかったし、母親に至っては当時既に事故で父親とともに亡くなっていたため確認のしようがなかったそうだ。


 といっても痕を残された女性がそのまま当主になるわけではないらしい。家系図としては、男性に付けばその者が当主に、女性に付けば婿を迎え入れそのものを当主にする、いわゆる御寮人というわけだ。そして女性についた場合は二十歳の誕生日を迎えた後、次の歳を迎えるまでに結婚をするのがしきたりらしい。


「柴乃さんって失礼ですけれどもう誕生日は……」

「はい。秋頃に迎えたのですでに二十歳。来年の秋までには結婚させられる事になります」

「えっ! きょ、拒否権とか、そういうのはないんですか!?」

「その、なんというか、はい……。で、でも、おかしいなとはずっと思ってて」

「というと」

「亡くなった母と父なんですけれど……。両親が亡くなったのも、私が物心つく前で。でも年齢は確かに覚えているんです! 私の母親は、姉女房だったということぐらい」


「……その差は?」

「確か五。ですから、二十歳に仮に結婚したとしても、父はその時まだ中学生か高校生になったばかりの人のはずなんです! このことを祖母に訊こうとしたら、いつもはニコニコと優しい笑顔が自慢の祖母が、凄い形相をして……。あの時の顔は今でも忘れられなくて、それからはずっと訊かずにいたんです」

「確かに……。お母さんだけ例外っていうのも、なんだかおかしな話だし……」

「そして家の秘密を知らないまま、しきたり通りならいよいよ自分の手番が回ってきてしまった、と」

「……私怖いんです。私の大好きな我が家に、何か大きな隠し事があって……。私のその家の一員なのに、何も知らないのが、怖くて怖くて……。もししきたりが本当なら、それ自体はそういうものだと受け入れます。でも、何も知らないまま、疑念を抱いたまま受け入れるのだけは……したくないんです。私にも、知る権利はあると思うんです」


 しおらしい彼女から、どこか逞しさを感じさせる宣言だった。これが本来の犬養柴乃という人間なのだろう。知的好奇心に溢れ、疑問に思ったことは知らなければ気が済まない。


 どうやら犬養柴乃という女性は、私の性質と気が合うらしい。そんな気がした。

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