第三章 犬神の家
3-1「呪われたマドンナ」
犬養柴乃から「会って話がしたい」という旨の連絡を貰ったのは、冬休みに入る直前のことだった。いよいよ大学生になって最初の冬休みが始まろうとしており、我ながら自堕落な年末年始を計画していただけに、この誘いは非常に困ったものだった。犬養柴乃の部屋で起きた怪奇現象について推理した際、場所が大学構内だったために多くの人達に目撃され、ミスグランプリである犬養柴乃のすぐ近くにいた妙な男、という謎めいたレッテルを貼られたばかりであったからだ。暇な奴らもいたものだが、悪目立ちしてしまうのは避けたかった。
では断れば良い。そう思っていたが、それはそれで問題がある。かの構内一のマドンナの誘いを断るとは、なんと畏れ多い奴なんだというレッテルを貼られかねない。何度も言うが悪目立ちはしたくない。安達という厄介なスピーカーもいるから怖い。無視して嫌な奴だと思われることと、快く引き受けてどこの馬の骨だと噂されることと、どちらが良いかと言われれば、私は後者を選ぶのだ。
犬養柴乃との待ち合わせ場所に指定されたのは、大学付近にある洒落た喫茶店だった。他の大学生も利用しているこの喫茶店の、一番窓際一番端の席にいるとの連絡を受けていた。乗り気ではないが自身の名誉を傷つけられないために、行くしかなかった。
喫茶店に入ると、何やら妙に騒がしかった。それもそのはず、一番窓際の一番端の席に、大学で一番に輝いた女性が一人で座っているからだ。どうもナンパを行っている人もいたようだが、犬養柴乃は悉くかわしていたようだった。そして、私の入店に気付くと、パァと明るい表情を見せて小さく手を振った。全員がこちらを見た。視線が痛い。
視線の針に抗いながら席に着き、少々遅れたことを詫びた。犬養柴乃は特にそれを気にする様子は見せなかった。テーブルにはお冷が二つ置いてあり、恐らく事前に犬養柴乃が用意していたのだと感じた。店員に、後からもう一人来るなどといって用意してもらっていたのだろう。私は用意された水を少し飲んでから話し始めた。
「四谷さん、先日は本当にありがとうございました」
「あーいやいや。大したことしてませんから」
「いえ。不安でしょうがなかったところに、きちんと原因があるのだと、話を聞いただけで看破されたのはお見事でした。まるで安楽椅子探偵みたいで」
「いえいえ。それに先のお礼は既に頂いていますから、もう気にしないで」
犬養柴乃からのお礼というのは、犬を象ったアクセサリーだった。これは安達友久も一緒に受け取った。安達はネックレス、私はブレスレットだった。あまり装飾品はつけないタイプだが、折角の頂き物を無下に部屋の隅に放っておくこともできないので、一応定期的に身に着けていた。今日もまさに身に着けている。
「気に入っていただけたようで何よりです」
「いえ、本当にありがとうございます。えっと、それでお話というのは。わざわざまたお礼を言うためだけに呼んだわけではないんでしょう?」
「ええ……。やはり四谷さんには何もかも御見通しですね」
「いや、これはたぶん誰でもわかるというか……」
「先日の推理、とても見事でした。そのような慧眼の持ち主に、折り入ってお願いがあるのです」
「お願い?」
「私の実家に、一緒に来ていただけないでしょうか」
さらに視線が刺さった。
ミスコン一位のマドンナから実家に来てほしいなどと懇願されることは、誰の耳で聞いても衝撃だっただろう。
「えっと、え?」
「私の実家が長野県にありまして、そちらまで一緒に来ていただきたいんです」
「いや、お話していることが理解できないのではなくて、そのあまりにも唐突過ぎて……」
「あっ……ごめんなさい。言葉足らずでした」
「いえいえ……。それでその、何故ご実家までに……?」
そういうと、犬養柴乃は初めて会った時と同様に俯きながら少し黙ってしまった。これは何かわけがあるのだろうと察した。それから犬養柴乃が顔を上げるまで十秒は無かったと思うが、次に見えた犬養柴乃の顔は、鳴家の時とは比べ物にならないくらいの不安気な顔をしていた。
「長野にある私の実家は旧家で、今は私の祖母が当主となっています。私の両親は、私が幼いころに事故で亡くなってしまったので、祖父母に育てられました。私は、そんな祖父母のいる実家が好きです。でも……」
「でも……?」
「……私の実家は、呪われているんです」
「……は?」
「呪われているんです、犬神に」
「い、犬神……?」
犬神とは平たく言えば犬の動物霊だ。神、と付いているが本当に神様というわけではない。犬神を生み出す方法は非常に残酷なもので、飢えた犬の首を刎ね、それを辻道に埋める。その道に人が往来することで怨念が増し、犬神として使役する呪詛であった。
犬養柴乃は、いや犬養柴乃の実家は、そんな怨念の塊のような犬神に呪われている、というのが訴えの内容だった。
「私の身体には、そんな犬神に祟られている証が刻まれているんです。小、中、高校と長野で過ごして来ましたがその呪いに不安を覚える毎日で、大学生となった今、実家を離れて少しほっとしてしまった自分がいるんです。でも、大好きな実家が呪われてるだなんて、私……」
「ちょ、ちょっと待ってください、話がみえないんですが……」
理解の追い付かない私に、犬養柴乃は涙ながらに訴えてきた。その声は涙で震えていた。
「先の推理力を見込んでお願いがございます……。私を……私の大好きな実家を助けてください……!」
――私は、妖怪は存在しないと考えている。だから、呪いなんてものも、当然信じない――
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