Ex1-3「震える硝子」
一番喜ぶ表情をしたのは鳴瀬小夜子だった。当人の犬養柴乃は、呆気にとられたような、意外そうな顔をしていた。安達は相変わらず騒がしい。
「本当四谷くん! やっぱり安達より役立つね」
「ちょ、そりゃないでしょ鳴瀬センパイ……」
「まあまあ。その、なんというかひとつ、安達の言ったことがヒントになったので、二割……いや、一割は役に立ってますよ」
「言い直しておいて割合減ってるの酷くない?」
「それでその、どうして食器は割れたんでしょう?」
「はい。ヒントは、割れたものがガラスだったということです」
私はスマートフォンであるものを検索しながら話を続ける。おそらく、実際の様子を見てもらった方が分かりやすいと思ったからだ。中々良い映像が見つからないので、それまで言葉で場を繋げる。
「おそらくですが……犬養先輩がご実家から持ってきたそのガラス製のボウルとジャムを入れた瓶は、強化ガラスだったと思うんです」
「強化ガラス? それなら余計割れにくいんじゃないの?」
「ちょっとやそっとの衝撃じゃ割れないだけで、物凄い力が外部から加われば割れるよ」
「でも……私そんな、凄い力入れたことないですよ?」
「そうよ。それに普段使いで物凄い力入れてたら、とっくに割れてない?」
「ええ、ですので、ガラスに加わった力というのは別の力なんです。お、あったあった」
検索して出てきた映像を三人に見せる。それは強化ガラスが割れる様子の実験を撮影した映像だった。並べられているのはフロートガラスと強化ガラスの二種類で、それぞれの小口部分に衝撃を与えていく実験だ。最初はプラスチック製のパイプ、次に木材、そして最後にステンレス製のスプーンで叩いていった。パイプ、角材と二つのガラスは問題なく耐えていったが、スプーンではフロートガラスはだんだんと欠けて行き、強化ガラスは一向に欠ける気配を見せなかった。しかし数分後、突然映像の中の強化ガラスは木端微塵に粉砕してしまった。隣のフロートガラスは、ただ小口が欠けただけで割れることはなかった。
「えっ、なんで!?」
「強化ガラスの特性なんです。強化ガラスは普通のガラスに圧力をかけて内部を張り詰めた状態にすることで強度を増しているんです。ただ、そこに傷が入った際、張りつめていたガラスがいわゆる解き放たれる形になってしまい、粉々になってしまうんです」
「ということは……私が使っていたボウルや瓶も、傷が原因で……?」
「おそらく。かなり昔から使っていた、と言ってましたね。小学生の頃からなら、もう彼是十年は使っていたと思います。話によれば、その頃からボウルで物を混ぜたり、瓶にジャムを入れていたそうですね」
「う、うん。ケーキ作りで材料を混ぜたり、ジャム以外にも作ったものを瓶に入れて……」
「あっ! そうか分かったぞ四谷。その十年間の間に付いた傷が、たまたま昨日一気に割れたんだな!」
「そうだ安達。泡だて器で混ぜたときや、ジャムを掬うためにスプーンを用いたとき。十年という年月の中で、他の調理器具が当たっていた場所に微細な傷がいくつもできていたんだと思います。そしてそれが偶々昨日、遂に限界を迎えて崩壊したのではないでしょうか。きっかけはラップ音をはじめとする家鳴りの現象だったかもしれませんし、単純に経年劣化によるものだったかもしれません。同時に割れたのはおそらく偶然だと思います。でもボウルと瓶が割れた理由は、長年使ってきた強化ガラスだったからだ、というのが私の結論です」
「じゃ、じゃあその、呪いとかそういうのではなく……」
「物理的な原因です。霊的なものではないです。もしかしたら、割れた後もしばらくガラスが徐々に徐々に割れていったのではないですか? 強化ガラスがそのように割れると、まるで生きているかのように割れていくそうです」
「た、確かに、小夜子さんを呼んだ後もちょっとずつ割れてて……。そう……良かった……何か悪い予兆とかではなかったのね」
犬養柴乃からは安堵の表情が見て取れた。それまで不安気でどことなく青白かった顔は、まるで飛び出していった魂が戻ってきたかのように、だんだんと普段の顔色に戻っていっていた。それほど実際に体験した人物の心情は恐ろしいものだったに違いない。
原因が解ればもう大したことではない。犬養柴乃は鳴瀬小夜子と共に、割れた破片を片付けることにしたそうだ。あまりの恐怖であれから自身の部屋に犬養は戻っていなかったらしく、食器破裂事件以降ついに自室に帰るそうだ。
私はというと、後日犬養柴乃から相談に乗ってくれたお礼がしたいということで、連絡先を交換してほしいと言われた。私は礼など不要だったし、あまり連絡先を交換したくなかったので最初は断ったが、一緒にいたのが安達友久だったこと、そして犬養柴乃側には鳴瀬小夜子という気の強い先輩がいたことが、私が連絡先を交換する羽目になった一つの要因となった。ノリの軽い安達が私に「そんなこと言わないでお言葉に甘えようぜ」と、まるで自分もお礼を貰えるものだと思って交換に乗り気になり、鳴瀬小夜子も「そんなこと言わずに、な? 可愛い後輩へのせめてもの礼だから」と妙な気迫を感じて、私としては泣く泣く交換することとなったのだった。
さて、犬養柴乃との出会いはこの通りである。どういう因果の巡り合わせか、これが私にとってある意味厄介な事件に巻き込まれる序章になっていたとは、流石にこの時は分からなかったのだった。
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