2-10「失ったもの得たもの」

 最後に堂崎美琴の自宅へ赴き、親御さんに事の真相を説明した際の顛末をお話する。


 インターホンを押し、カメラ越しに始めに出たのは堂崎家の母親で、まず見知らぬ私という男を見て非常に怪しがったが、堂崎美琴の声を聞いてはっきりと「盗みを働くような子は我が家にはおりません」と言い切ったのだった。とにかくそこで応答を切られては説明のしようもないので、間髪を入れずに弁解の意を示した。まるで伊瓶親子の一件を思い出すかのような流れだったが、そこから先の運びは実に早く、それは教師をしているという堂崎美琴の母親らしさを垣間見ることができた。

 誤解を解くに当たって最も役立ったのはやはり海野沙織であった。つまるところ現在の堂崎美琴が仲良くしているタイプではない同級生が、誰かに促されてではなく自発的に顛末を話したのが功を奏した。これが例えば六城や保屋による弁解なら聞く耳を持たないところだっただろうが、大人しめな文学少女といった風貌の海野沙織の主張は、とても遊び歩いているような見た目の堂崎美琴をわざわざ庇っての言動とは思えなかった。即ち、堂崎美琴は冤罪だったという何よりの訴えに繋がったのだった。


 堂崎母の勘当は多少やり過ぎたように思えるが、教師をしていることを考えればあまり責められないものだったことは、堂崎美琴自身も分かっていた。つまりは、教員としての面目を守るためである。教師でありながらその娘が犯罪に手を染めた、などというのが噂で広まれば、教師としての威厳は保たれない。口から出任せでついカッとなり、堂崎美琴に勘当の意を示したが、誰よりも後悔していたのは堂崎母だったことをきちんと示しておこう。盗んだことが冤罪かどうかを確かめようにも、どこにも盗んだ品が出てこなかったのだから、疑わしきは罰せずとはいえやっていないと信じるのも難しい話だ。シュレーディンガーの猫よろしく、あの時は犯罪者としての堂崎美琴と潔白の堂崎美琴の二つが同席していたのと同意である。


 そのような事があり、私が堂崎美琴本人と海野沙織に再び会ったのは、あれから二週間を過ぎた頃だった。停学を解除され、再び高校へ投稿した堂崎は、同じく自宅謹慎を解かれた六城と保屋から露骨に無視されたらしく、また校内でも誤解が一切解けているわけではないので、堂崎を盗みの犯罪者だという目で見るものが多かったらしい。しかし真相を知っているものが有り難いことに校内に二名いる。それが堂崎美琴を独りぼっちにさせずに済んだのは、不幸中の幸いと言えよう。

 この話を私が知ることになったのは、再び香織に高校に呼び出されたからだった。あの日の様に、放課後の時間に訪問すると、四階視聴覚室に上がる手前のところで不意に誰かに捕まり、三階にある習熟度室内に引き寄せられたのだった。そこで私を引っ張った張本人である香織からいろいろと聞くことになったのだ。

「それじゃあ今の堂崎さんは全くの孤立ではないんだね」

「信頼の回復はまだ厳しいけれど……沙織ちゃんっていう強い味方もいるし、学期が変わるころには回復しているはずよ」

ねえ」

「なに、何か変?」

「いやあ。呼び方が他人行儀じゃなくなったなあって。ほら、前まで海野さんって呼んでたじゃない」

「ああ、まあうん、あれからちゃんと仲良くなってね。美琴も美琴って呼んでるし、私も沙織って呼ばれるようになったから」

「ほお……香織がグレなきゃいいけど」

「どういう意味それ」

「そのまんまの意味」

 他愛もない会話の後、私は香織からこの三階習熟度室に招き入れた理由を聞いた。

「なあ、なんでわざわざまたここで話することになったんだ? 別に四階の視聴覚室でもできるような話だろ」

「その、そうなんだけど、なるべく他人に訊かれたくないというか」

「歯切れが悪いな」

「その、美紗さんのことなんだけれど」

「益子さんがどうかしたのか」

「あれからまた、ふっと美紗さんいなくなっちゃったじゃない? 小春知らないかなって」

 言われてみれば、堂崎家で誤解を解いた後、益子美紗は「それじゃあ」と一言だけいって急に消えてしまったのだった。神出鬼没の益子美紗はいったいなぜ我々の前に現れるのか。一度交換した連絡先を用いて訊くのも良いかもしれない。だが、なんだか野暮なような、訊いてしまうと後に戻れなくなるような予感がした。


 益子美紗の存在という最大の疑問は、初めて私にとって興味と理性の間を行き来させる存在になりつつあった。

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