第二章 百々目鬼の涙

2-1「呼び出されて」

 木々の葉っぱもほとんど落ち、寒空が肌を乾燥させる。そんな秋から冬に移り変わる時期の夕方に、私は突然、四つ年下の高校一年生である桜庭香織に呼びだされた。向かうは母校、私立高校の演劇部室だ。


 私は今大学一年生で文学を学んでいる。そのため普段は大学にいることが多いのだが、授業を履修していない日や休日はそのほとんどを家かアルバイトで過ごす。講義が午前で終わる場合も、午後はほとんど自宅だ。生活費や交通費、授業料の支払いなどもあるのでバイトはどうしてもしないといけないのだが、有り難いことにいくらかは親から仕送りを貰っているし、自分自身もそれ以外に大した出費をしていないので生活には困っていない。


 が。その中で一番体を休めることができる時間に急に呼びだされるのは御免だ。非常に腹立たしい。この際ガツンと香織には言いつけてやらないといけない。私の休息を邪魔するな、と。


 午後五時過ぎ。授業はもう終わり、外で部活をしている運動部の掛け声が聞こえる。私は裏手にある事務室から卒業生であることと、在校生から呼ばれて訪問した旨を伝えた。桜庭香織は演劇部所属で、私自身も在籍していた部だ。同時の顧問の先生はまだこの学校にいるので話が通りやすい。しばらくすると顧問からも許可が下りて、私は卒業生ながら入校許可証を胸につけた状態で校内に入った。かつて学生服を着て通っていたこの場所に、私服で入るのは何故か緊張する。


 演劇部の部室の場所はよく知っている。階段を上り四階。そこの角にある視聴覚室が演劇部の部室だ。基本的に部室が突然変わるということは無いので、まだそこのはずだ。二階に上がると職員室があり、久しぶりに会った先生方と偶然鉢合わせる。ちょっとした挨拶と今の生活を少しだけ話して三階へ……。


 突然グイッと引っ張られ、四階へ行く足を遮られた。何者かが三階で私の腕を掴んだのだ。


「うわっ!」


 情けない声を思わず出す。そして同時に「シーッ!」と静かにするよう促す声が聞こえる。聞き覚えがある声だった。桜庭香織だ。


「おま、部活は?」

「部員に見られちゃまずいの」

「まずいって何が」

「いいから、とりあえず目の前の教室に入って」

「はあ?」

「いいからはやく!」


 小声で急かす香織に、仕方なく教室に入る。そこは習熟度室しゅうじゅくどしつという名前が付けられた教室だが、要は多目的に使用できる教室だ。自習にも使えるし、テレビもあるのでDVD視聴もできる。歴史の授業で映像を見せられた時はここに移動した記憶があった。


 中に入ると、一人怪しい人物がいた。サングラスをかけ、マスクをしているが、髪の毛は金髪。驚くほどに典型的な不審者の格好に、驚くほど典型的なギャルの髪色だ。


「おい桜庭。こいつが例の奴か」

「奴とか言うな。少しぐらい感謝しろ」

 ギャルはどうも不良っぽい。そんな不良にタメ口で渡り合う香織もなかなか強かな女だ。それはともかく私は用件を聞く。

「どういう了見だか知らないが、とりあえず訳を聞かせてくれ。何も分からない」

「あー、ごめん。ほら、さっさとマスクとサングラス外して」

「……」


 ギャルはそういうとサングラスとマスクを素直に外す。驚くことにギャルはかなりメイクが上手かった。記憶が正しければ母校はメイク禁止なのだが、ギャルはどう見てもメイクをしている様子だった。しかし、香織とタメ口で話しているから高校一年生だと思うのだが、年齢にしては技術に長けている。年相応のけばけばした化粧ではなく……いや彼女であれば多少派手な化粧をしても問題なく似合うところだが、大人っぽく仕上がっていた。


「こいつは堂崎どうざき美琴みこと。クラスは違うけど同級生。ギャルで不良」

「はあ? 不良は余計だろ!」

「校則がっつり破ってたら不良だろ!」

「喧嘩は後にしてくれ」

「あ、うん。実はさっき突然こいつに捕まってさ」


 そう言って香織は数時間前の出来事について話し始めた。


 終礼が終わり、教室の後片付けをして部活に向かおうとした時だったという。堂崎美琴はこのときある理由で停学処分を食らっていて学校には来ていないはずなのだが、どういうわけか校舎内に侵入しており、突然今私たちのいる習熟度室に香織を引っ張り入れたという。堂崎美琴は学年でも中々の悪の集まりのリーダー格らしく、かなりの生徒から恐れられている……というか、避けられていたそうだ。そんな堂崎とこういったやり取りがあったらしい。


「痛った……。誰!?」

「シーッ! 見つかったらやべーだろ!」

「はぁ? ……あれ、あんた停学中の堂崎? なんで学校にいるの」

「いいから、見つからないうちに鍵閉めて奥来てくれ」

「は? なんで」

「お願いだから……」


 その時、やたら弱弱しい堂崎の姿を見て何かを察した香織は、それ以上は深く追及することなく鍵を閉め、扉にある小さな窓からは死角になる位置に移動したらしい。そうして改めて話を聞くと、堂崎美琴とこういう会話をしたそうだった。


「なあ、ちょっと前にあった不法投棄の事件、あれ桜庭が解決したって噂を聞いたんだ」

「あー……あれは私だけの力ってわけじゃないというか、私あまり関係ないというか」

「あの、お願いがあるんだ。助けてくれよあたしを」

「……は?」

「あたし、今停学中だろ? 理由知ってるよな?」

「万引きしたんでしょ。馬鹿なことするねえ」

「それがしてねーんだよ! だって鞄の中にもその盗んだってやつ入ってなかったんだ。それなのに、店からは実際商品無くなってるし、でも出る時警報機なるし、結局万引き犯扱いされて停学されるし……」

「ま、待って待って。ちょっと落ち着きなって、ちょ、ちょっと……」


 そのとき、桜庭は初めて堂崎が涙を浮かべているところを見たらしい。小刻みに肩を震わせ、見たこともない姿に何かあったのだと悟り、私に連絡を入れた……という次第だった。

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