1-8「約束を破って」

「……あの、お言葉ですが、いくらなんでも侮辱するようなことをするのであれば、お帰り下さい」

「いえいえ、そんな侮辱したいわけじゃあなんですよ。ただね、息子さんの気持ちをもう少しお母さんに、きちんと知ってほしいだけなんです」


 顔が赤いのか青いのか分からない色になりだした伊瓶伸太郎の母親の姿に見かねたのか、それとも私の一切の容赦のない言葉に嫌気がさしたのか、後ろにいた二人が小声で声を掛けてきた。


「ちょっと君。いくらなんでも突然過ぎないか。ボールを返しに来ただけだろう?」

「そうだよ小春! なにも逆鱗に触れることをしなくたって」

「まあまあ。まあまあ」

「まあまあって……」


 顔の方向を再び伊瓶伸太郎の母親に向け、私は言葉を続けた。


「あくまで、あくまで仮定の話ですので、どうか落ち着いて聞いてください。あの不法投棄事件が起きたのは、昨日の午後七時過ぎでした。これは、私の後ろにいる友人が公園から帰宅する午後七時までには誰もいなかったとの証言があるので確実です。彼女が帰宅した後、ボールを持った伊瓶伸太郎くんはあの公園に立ち寄りました」

「そんなはずはありません。あの時間伸太郎は塾に行っていたはずです」

「朝聞いていたんですけどね、昨日塾をサボったとか。まあ、塾をサボったかどうかはちょっとだけ別問題なんです。そこまで重要じゃないんです。とにかく、公園に行きました。そこで伸太郎くんは、あの木に向かってボール当てを始めたんです」

「は?」

「ボール当てです。どんな方法で、どんな感情で行ったかまでは流石に分かりません。投げて当てたのか蹴って当てたのか。友達と遊べない悔しさなのか母親のしつけが厳しい所以の鬱憤を晴らす為なのか」

「……」

「き、君。あまり野暮なことは言わない方が……」

「伸太郎くんの心情はこの際どうでもいいです。問題はこのボールがはずみで、あの大きな木の上に乗っかってしまったことなんです。おそらく最初は木に登ろうとしたのでしょう。しかしあの木は非常に登りにくいし高さがある。そしてなにより既に辺りは暗くなり始めていて、誰かに取ってもらおうにも人がいなかった。帰宅して脚立でも取りに行こうにも、小学四年生が一人で脚立を持って往復するなんて無茶ですし、帰ったらあなたにバレてしまうかもしれない」

「だからゴミ袋を持ってきたのか」


 益子が口を開いた。体を返して益子をに視線をやり、右て人差し指で指さす。


「自分も持ったので分かるんですが、全部を一人で持って移動するには、そりゃ時間はかかるんですけれど、決して出来ない重さじゃないんです。お母さん、想像してみてください。木には登れない、脚立は持ってこれない。でもゴミ袋だけは一個ずつであれば持ってくることができる。それを一人で何往復もして木の下に持ってきた」

「木の下に……」


 まるで土嚢を積むかのように、段々と持ってきたゴミ袋を積み上げていく。するとピラミッド状に固まったゴミ袋の山は、やがて巨大な木の枝部分にまで差し掛かり、それによじ登っていけば、容易に枝まで手に掛けることが可能だということは想像に難くなかった。


「じゃあ、伸太郎くんはその、木に引っ掛かったボールを取るために、わざわざ町中のゴミ置き場からゴミを持ってきたというわけなの?」と香織が聞く。

「というより、考えて考え抜いた結果その方法を実行するに至ったんだろう。要は高さを出してボールに手さえ届けばよかったんだ。いくつか持ってきて、届かなければまた取りに行って、そういって何層も重なって生まれたゴミの山に載って、伸太郎くんはボールを取った」

「そんなもの!」


 伸太郎の母親が声を荒げる。無理もなく、いくらなんでも自分の息子が悪人のように話されるのは嫌だろう。気付けば伊瓶家の周りには少々ばかり野次馬が出来ていた。なにやら揉めているようだと言わんばかりに、コソコソと話し声も聞こえる。


「そんなもの、さっき自分でもおっしゃっていた通りの、根も葉もない、根拠のないことじゃありませんか。いったいどこに伸太郎が、そんなことをしたと」

「ええ分かります。論より証拠。なので、益子さん。あの枝の写真を見せて下さい」

「ああ。これだね」


 そういって益子は折れた枝の写真を見せる。


「ゴミ袋の上には大量の葉っぱと折れた枝がありました。よくみるとあの木にも、ある一定の場所に集中して枝が折れた場所があったんです。ただ枯れ葉や枯れ枝が落ちたならともかく、載っているのはほら、まだ瑞々しいものばかり。つまり、誰かが故意に枝に手を掛けた何よりの証拠です。そして、このボールに刺さった枝。この断面に合う部分が絶対にあるはずです。なんなら一緒に、今から公園に行って確かめませんか。自分の目で確認した方が確実にお分かりいただけると思います」

「……」

「それでですね、ボールを取った伸太郎くんは、ようやく手元に戻ってきたと安堵したことと思います。でも、見ての通りボールには枝が刺さっていた。伸太郎くんは焦ったはずです。まず第一に、お母さんに黙って塾を無断欠席したこと。第二にボールを壊してしまったこと。ただでさえ無くし物をしても厳しい貴方なら、物を壊したと知ったらそりゃ大層お怒りになると思います。伸太郎くんもそう思ったはずです。さらに第三の不都合が迫ってます」

「門限か」益子がようやく閃いたようで発言する。


「たしか、門限を設けてたね。ゴミを何往復もしてようやく取ったのなら、それはかなりの時間が経っているはず、そう言いたいんだね四谷くん」

「はい。本来ならゴミを元のゴミ捨て場に戻す予定だった。しかしそれが叶わないほどまで時間は過ぎていた。後片付けをしていたら必ず門限を過ぎる。そうすれば自分は、三つの約束を破ってしまうことになる。だから、まず門限通りに帰ることにした。明日早朝、つまり今日の朝に誰にもばれずに片付ければ問題ないかもしれないとも思ったかもしれません。塾もばれなければ怒られずに済むかもしれない。だとしたら、ボールを無くしたという事だけ叱られれば、そこまでお母さんの怒髪が天に衝くこともないと考えたかもしれません。伸太郎くんは、四つ目の約束の、嘘をつかないを破ることにしたんです」

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