後輩が先輩に会いに行く話

小糸味醂

後輩が先輩に会いに行く話

 よく晴れた火曜日の放課後。教室に迷い込んだ優しい春の風がカーテンを揺らし、心地よく私と先輩の頬を撫でながら通り過ぎる。


 その風の入ってきた窓から校庭を眺めると、既にサッカー部の練習が始まっているようで、遠くで小さく見える部員達が今日も元気に動き回っている。




 弱小で名の通ったこの高校のサッカー部は遅刻に対してもかなり緩い。サッカーの試合が出来るギリギリの部員数しかいないから、下手に厳しくする事で部員の流出が起こる事を防いでいるのだろう。


 そんな部活だからか、マネージャーは私ひとり。サッカーのルールも知らない私だけど、この学校にサッカー部が出来て以来、私が初のマネージャーって事らしい。




 私だって先月、入学したばかりの頃はサッカー部のマネージャーをするなんて夢にも思っていなかった。


 入学してから最初のイベント。そう、あの球技大会だ。


 グラウンドを縦横無尽に駆け回り、最後は空中のボールをそのまま右足でゴールにねじ込んだ。見たのはその1試合だけだったけど、その1試合でその先輩は、私の心をがっちりと掴んでしまった。






「先輩、はっきり言って先輩に美術部なんて似合いませんから、サッカー部に入ってくださいよー。何なら兼部でも良いです」




「お前、相変わらず失礼な奴だな」




 先輩が心底呆れたような表情を見せる。もちろん先輩が本当に美術部を辞めてサッカー部に入ってくれるなら最高だけど、それは無いんだろうな。


 それにしても、相変わらずヘッタクソな絵だなぁ・・・。先輩の描きかけている絵には、なんとも前衛的な女性?が描かれている。これじゃモデルになった人も報われないだろうなあ。














「えー!?あの先輩、サッカー部員じゃないんですか?」




「ああ、あいつ、中学までは同じサッカー部でしかもエースストライカーだったんだけど、高校では何故か美術部に入ったんだよな。俺も何度か誘ったんだけど断られてばっかで・・・」




 サッカー部の先輩が話し終えないうちに私は部室を出て美術室に向かった。






「はぁ、しんどいなぁ・・・」




 美術室のある4階まで一気に駆け上がってしまった。運動ダメ子の私には結構大変だ。


 だいたい球技大会の時に先輩を見なかったら、サッカー部なんかに入らず、中学時代から続けていた家庭科部に引き続き入って料理の腕を磨くつもりだったのに。本当、高校1年生にして、ひとりの人間にここまで人生の計画を狂わされるなんて思いもしなかったな。




「ふぅ・・・・・・」




 息を整えると同時に心も整える。いざ入ろうとすると、やっぱり緊張するな。扉を開けようとする手が震える。


 そして私はノックもせずに美術室の扉を開けたのだった。














 先輩の身長って185cmほどかな?身長155cmの私の頭に竹の物差しを足したぐらいの高さだ。体重は知らないけれど、毎日のトレーニングは欠かしていないのか、がっしりとしたその体型は逆三角形。インドアな部活に所属している割に結構日焼けをしたワイルド系の顔をしている。


 どこからどう見ても美術部員とは思えないその先輩の描いている作品の価値は、美術の才能なんてこれっぽっちもない私にはさっぱりわからない。






「もうっ、先輩に美術の才能が無いのは私が知ってますから!それよりもサッカーしましょうよー!私を花園に連れてってください!」




「いや、なんでサッカーで花園なんだ?」




「もうどこだって良いです!甲子園でも神宮でも箱根でも富士Qでも国立でもユニバでも両国でもどこでも良いんで私を連れてってください!」




 だいたいサッカーに興味なんて無いんだし、そんなの知る訳ないじゃん。




「ってか、バカな事ばっかり言ってないで、ほら、もうサッカー部の練習始まってるだろ?マネージャーが部活サボんなよな」




「うー・・・今日のところは諦めます。明日も誘いに来ますからね!」




「どれだけ誘われたってサッカー部には入んねえぞ?」




 私も別に本気でサッカー部に入ってもらおうなんて思っていない。先輩も私が本気で誘っていない事は知っているだろう。それでも私は毎日美術室に顔を出す。それが私と先輩との、唯一の接点なのだから。



「絶対、絶対に諦めませんからね!先輩!」


 美術室を出る間際にまた来る事を伝えておくのを忘れずに。

 先輩に嫌われるのは嫌だけど、忘れ去られるなんてもっと嫌だ。








「おっ?今日も部活?」




 放課後、また今日も部活に行く前に美術室に寄るつもりで準備をしていたら、クラスの女友達に声を掛けられる。




「うん、じゃ、急いでるからもう行くね」




「おーおー、頑張れー。恋する乙女」




「違っ・・・ううん、違わない。じゃね!」




 予想外の返事を聞いて呆気にとられる友達をよそに、私は急いで教室を後にした。


 そして今日も美術室に行く前にお手洗いに寄る。


 制服は汚れていない?スカートは皺になってない?髪はボサボサじゃない?メイクも崩れてないかな?あっ、でもリップだけ塗り直しとこう。


 そうだ。先輩の前にいるときの私は、絶対、絶対にかわいくないといけないんだ・・・!




 そして美術室の扉の前でひと呼吸。息を整え心も整える。これが私の毎日のルーティンだ。


 そして意を決して扉を開ける。




「先輩!サッカーしましょう!」




 そう。


 絶対、絶対に明日も明後日も会いに行きますからね、先輩!

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