第三章

【是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減】

つまりだな 『絵』とか『擬似映像』としての世界のうわっつらをひっぺがすと そこには白紙や膜という『空』しかないんだ いくらモノホンっぽくても 動いていても 喋っても 触れても こいつらの正体は白紙であり膜なんだよ そうすると この世界が永遠につづくとしても 本統はそこには白紙がぽんと置いてあり 膜がたれさがっているだけなんだ ここが重要だぜ おどろくなよ だから『おれたちは生まれもしないし死にもしない』 『すべてのものは綺麗にもならないし汚れもしない』 『この世界のあらゆるものは増えもしないし減りもしない』 ただ白紙のキャンバスだけがぽつんと置かれている状態 あるいは膜というスクリーンがひろがっている状態がつづいてゆくってことになるんだ


【是故空中 無色 無受 想 行 識 無眼 耳 鼻 舌 身 意 無色 声香 味 触 法】

さっきいったようにさ この世界においては物体も 感覚も 表象も 意志も 知識もないとすれば それらを認識する眼も 耳も 鼻も 舌も 肉体も 精神もたんなる『絵』や『擬似映像』であって存在しないわけだから これらがかんじるかたちも 声も 香りも 味も 触れられるものも 精神の対象もまた『絵』が観ている『絵』にすぎない 『ホログラム』が体験している『ホログラム』にすぎない  


【無眼界 乃至 無意識界】

ひとことでいえば おれたちにはからだもなければこころもないのさ からだが変化する『絵』や『映像』にすぎねえのとおなじで こころもそのときどきに変化する『絵』や『映像』にかわりねえ こんなふうに『すべての絵はおれたち画家がイメージして勝手に描いたものだ』 あるいは『すべての映像はフィルムにえがかれたコマにすぎねえ』とおもえば おれも舎利子も舎利子の出逢うひとびとも おなじ『絵』や『コマ』にすぎないとわかるだろう この『絵』は刹那ごとに描きかえられて『映像』はひとコマずつ変わるわけだから 舎利子の愛するものも憎むものも描かれては塗りかえられてゆく『連続した別物』 うつしだされては変わってゆく『映像をなすコマ』だとわかるはずだ だから 愛するものがはなれていっても 憎むものがいじわるをしてきても 彼女らかれらは一瞬で別物になるとおもえば楽になるのさ そいつらは存在すらしないんだ


――つづく

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