第31話『森という名の地獄』

 教会の部隊は、モンスターの認識を変え、人間ではなくモンスターと

 誤認させるアーティファクトを行使していた。


 凶暴なモンスターの居る遺跡もこのアーティファクトを使うことで、

 盗掘できるという優れものである。


 教会の部隊は森林のなかに潜む凶暴なモンスターとの戦闘を避け、

 着々と進軍していた。


 天然の要害であるこの魔導法国を守る森林は、

 凶暴なモンスターが存在している地域ではあるものの、

 その広さはそれほどでもない。


 モンスターからの妨害さえなければ、

 ただの険しい山道――彼らはそう考えていた。


 

 教会の大軍勢の最前列には元傭兵部隊、

 つまり過酷な環境下での戦闘に慣れた本職のプロが指揮していた。



 隊長、衛生兵、戦闘兵のたった3名からなる

 彼らはそのプロ意識から互いを名前で呼ばない。

 その代わりに、肩書で呼びあう。


 各人の持つ殺傷能力が最低でも兵隊100名以上であり、

 実践においては事実、一人で100人を殺しきった実績もある。

 隊長に至っては過去に一人で300人以上を殺している。


 たった三人でありながらも通称、"部隊"と呼ばれている。



 今は教会に属しているが、

 元は傭兵だった彼らに思想はない。



 教会も彼らに期待しているのは確実に人を殺すという機能のみ。

 教会の最高位序列 "司教"の名を与えられながらも、

 彼らは教会の中ですら"部隊"と呼称され、その呼ばれ方を気に入っている。



 どこにも属さず、報酬を支払った者に勝利をもたらす。

 彼らはそれを誇りに思っているのだ。



「あの厄介な結界して破壊すれば中に居る奴らはさしたる脅威にならない」



  "軍隊"の隊長がそう静かに呟く。



「四天王っていう、つよーぉい奴らがいるって、ボクは聞いているニャ?」



 ”衛生兵”が隊長の言葉を軽口で返す。



「ははっ。俺たちの仕事は勇者が魔王の首を打ち取るまでの足止めだけ。現地では集中せず散らばって、市民を盾にしながら防衛戦を仕掛けていればいいだけだ」



 四天王の強さは事前にある程度は把握済みであり、油断はない。

 そして、魔王の軍が住民を人質として盾に使うことが有効な程度には、

 甘い軍であることは理解していた。


 もし、人質を殺すことをためらわない連中なのであれば、

 魔導プラントの奪還はもっと早かっただろうと隊長は推測する。

 掛かった時間だけで分かってしまっていた。


 "軍隊"は人の心のわからない連中ではない、

 むしろそういった人間の情を理解した上で、

 その弱みを突き、己の敵を殺すのだ。



「魔王とやらァ、まさか魔力を無効化できるアーティファクトを俺っち達が持っているとは思ってねーだろーなァ。キヒヒヒヒッ」



 そして"戦闘兵"が軽い口調で語る。この"部隊"のいつものやり取りだ。



「まぁ……。教会が潜らせていた精鋭とやらが、魔導プラントの爆破に成功していれば、俺たち"部隊"がこんな辺鄙な山奥を登山する必要もなかったわけだから、間抜けな教会の精鋭とやらの無能さが恨めしく感じるな。ははっ」



「キヒヒヒッ。違いねぇなァ、隊長。教会の精鋭と言っても、所詮は素人のお遊びだァ。人を殺すことにかけちゃァ。本職である俺っちたちには及ぶ訳もねぇわなァ」



 "部隊"の隊長は教会から魔法を無効化するアーティファクトを預かっている。

 その無効化の対象は一国を守る結界とて例外ではない。


 太古の昔の旧人類が作った、当時はまだ発展途上であった

 "魔法"という脅威に備え無力化するためのアーティファクト。


 魔法が特別であり脅威だった旧人類の時代に、

 彼らが自衛のために作った遺物である。


 皮肉なことに、この自衛のためのアーティファクトは、

 殺戮のために用いられようとしている。



「ふん。それにしても、こんなただの小箱みたいな物にそんな一国を揺るがすような機能が搭載されているっていうんだから。旧人類っていうのは、俺たちと比べても優秀だったんだろうな」



 隊長特有の皮肉だ。彼らが滅びた存在であることを承知の上で言っている。



「まっ。旧人類が本当に優秀ニャら、滅んだりはしないと思うけどニャ、隊長」


 

 隊長の片手におさまる程度のサイズのアーティファクト。


 見た目はただの四角い小箱のように見える。

 だが、この小箱がいったん起動すれば強制的に魔法の術式を上書き、

 デタラメに書き換え直して意味のない物に変えてしまう。


 いわば、魔法という概念自体を脅かす遺物。

 弱点は無力化できる効果の範囲と持続時間。


 彼らにこの教会にとっても切り札とも思える、

 アーティファクトが持たされた理由は、彼らであれば、

 確実に山を抜け、結界の前まですすめると確信していたから。



「いったいこの小箱のどこにそんな機能が隠されているのかニャ?」



「まァ。俺っち達はァ、いつも通り殺して燃やすだけっすァ。金にもなんねぇ、アーティファクトのことに深入りするのはよしましょうや、衛生兵ちゃん」



「ニャニャッ。戦闘兵に言われてしまうとは、一生の恥だニャ~。隊長も戦闘兵に何か言ってやって下さいニャ」



「ははっ。衛生兵も気にするな。戦闘兵もからかっているだけだ」



 教会もこのアーティファクトが、

 どのような理屈で魔法を無力化するか、

 理屈を理解しているわけではない。


 ただ、四角い箱の上にあるくぼみを指で押せば、

 そのような事象が発生することを知っているだけで、

 それがどのような機巧で起動しているのかも、

 なぜ魔力が無力化するのかも理解していない。


 教会は真理を追究する組織ではない。


 理屈が分からなくてもアーティファクトによって、

 "魔法が無効化される"という結果が出る。

 それだけ分かれば教会にとって十分なのだ。



「それにしてもニャ……ゴホゴホッ……この山、花粉が半端ないニャ。まるで濃霧の道を歩いているような視界の悪さニャ……」



「濃霧というかァ……こりゃ煙レベルだァ……ゲホッ、ゲホッ。クソッ! あちこち痒くてたまらねぇァ。とっとと、仕事終わらせて風呂入りてえっすわァ」



「衛生兵、戦闘兵、水筒で布を濡らして口を塞げ。肺に入ると動けなくなるぞ」



「「隊長。了解」」



 森の中を進めば進むほど花粉の濃度が濃くなっていく。

 今では大気中をゆらめく花粉の流れが目でも見えるほどの濃さだ。

 

 呼吸はおろか、眼球に入ってくる花粉によって視界も朧気だ。

 衛生兵の獣人としての方位の勘を頼りに、前へと進む。



「くそ……痒いな……。前が見えない。衛生兵、この方角で正しいか……ゲホッ」



「……方角はあっているはず、ニャ。獣人としての勘がそう告げているニャ」



 勘とは言っているが獣人は体内に方位を感じる能力を生来から有しており、

 彼女が正しいというのであれば間違いなく正しいのだ。



「……なんらかァ……さっきかあァ……頭、回らなく…あぁ、たぃちょう」



 酸素が不足すると人体に悪影響を及ぼすように、

 逆に過度な酸素の供給も人体に悪影響をもたらす。


 この森は、ここに侵入してきた者達を侵入者と捉え、

 外敵を排除しようとしていた。

 

 森そのものが持つ免疫機能のようなものである。


 この森の酸素濃度は人間にとっては、

 非常に有害なレベルの過剰な酸素濃度に変化していた。


 花粉により視界や呼吸が制限されている彼らは、

 徐々に苛立ち、さらには過度に濃密な酸素により、

 意識は朦朧とし、いつのまにかまともな思考を失っていた。



 非常に空気の薄い高山地帯の少数民族を傭兵時代に虐殺したこともある。

 だが、酸素濃度の高い場所は彼らにとってもはじめての経験である。



「……こほっ、こほっ……ただの花粉。大丈夫だ、死ぬことは、ない」



 隊長は朦朧とした意識の中で混乱を抑えるために、

 落ち着くように声をかけるが、

 すでに意識がなかば飛びかかっている戦闘兵に声が届かない。



「あぁっ……かゆい、かゆい! ニャ。鼻が……目が……ニャ」



「ぢっぐじょー! クソがァ……目がァ、がずんでぇ……あえがァ、びえぜえぇ!」



 視界の悪い森の中をツタによって足のつま先を取られ、

 倒れたその先に待ち受けていたのは若木。


 全体重をかけてえ転んだせいで若木が腹部を突き破る。

 痛みでなかば朦朧としていた意識が覚醒する。



「うぎゃあああぁあああァッ!!!!!!」



 

 "部隊"の隊長は一寸先も花粉によって見えない、

 この森にこだまする絶叫を耳にした。



「おい……どうした、戦闘兵?」



「いて……いてぇ。隊長、助げでぐれぇ……腹に若木が、突き刺さってァああ」



 木の傘が、ヤジリのようなカエシとなっているため、

 治癒魔法で手当をしても助けることはできない。


 残酷ではあるが"部隊"の隊長として、

 冷酷な決断をくださねばならない。



「……助からない。戦闘兵は、置いていく」



「いやだァ……! 痛いっ……こんな苦しいところでァ、死ぬのはいやだァ!」



「クソ!……その手を離せ、戦闘兵! ――アイス・ニードル」



 足首を掴んでいる男にせめてもの慈悲として、

 トドメを刺すために氷属性魔法で攻撃をする。


 影に魔法でできた氷の巨大なツララが突き刺さった。



「嘘っ……隊長、なぜ、ニャ……? なぜ、ボクを……隊長っ……ごぽっ」



 自分の身に起こったことが何か全く理解できずに死んだ衛生兵。

 "部隊"の隊長とは男女の間柄の女性だった。


 その愛して信じていた男に唐突に殺された。

 当然、意味が分からない。


 衛生兵は最後の瞬間まで、

 なぜ自分が隊長に殺されたのかを考えながら、死んだ。

 もちろん答えなど出なかった。 


 今の魔法が誤射だったからである。


 部隊の隊長は花粉のせいで視界が歪み、

 倒れた戦闘兵に応急処置を施そうとしている、

 衛生兵の姿が見えて――認識できていなかったのだ。



「うっ……うあっ、うあああああっ……なんで! なんでっ!!! お前が!! お前がぁ……全部、お前が悪いんんだぁああ!!!!」



 自分への怒り、戦闘兵への怒り、

 もはや帰ってこない衛生兵への未練、

 そしてまるで体の一部を失ったかのうような喪失感。

 最後まで弁明する猶予なく死んだ衛生兵への悔悟と懺悔。


 様々な思考が脳内でぐちゃぐちゃに混ざりあい、

 憎悪の対象は腹を若木に突き刺され、

 仰向けになった戦闘兵に向けられる。


 平時の彼であればそれでも鉄の意志で、

 歯を食いしばりながら、

 それでもプロとしての仕事を全うしたのであろう。


 だが、過剰に脳内に供給される酸素によって、

 理性が機能せずに感情が優先されてしまった。



「お前のせいだ お前のせいだ お前のせいだ お前のせいだ」



「いてぇ……いてぇ……なんでだぁ、隊長っ、なんでァ、なんで、俺じゃなくて、衛生兵ちゃんを殺したァ……!!! ごだえろァ……隊長」



 戦闘兵は血反吐をはき、泣きながら隊長を糾弾する。


 戦闘兵は目の前で自分の応急処置をしようとしていた、

 衛生兵がいきなり後ろから隊長によって放たれた、

 アイスランスによって貫かれたことの意味が分からなかった。


 戦闘兵は腹部を貫かれ、脳内に供給される酸素量が強制的に

 薄くなったために意識は平常の状態に戻っている。



「いやだ! いやっ! うがぁああああっ!! 違うっ! 違っ! お前……お前だぁ! お前が、お前のせいだ! 戦闘兵! 全て、お前が……あんな、ところで倒れなければ、なぜっ!!! 死ねっ……ははっ! お前えぇぇええ! あははははっ!! このくだらねぇ森ごとてめぇを燃やし尽くしてやる! 約束通り、お前を殺してやる! 仇討ちだ! 殺せ紅蓮の業火よ――クリムゾン・インフェルノ!!!」



「おっ……隊長ァ、ここで、それは――やめろォ!!!!!!!!」



 隊長は、戦闘兵がなぜ自分の行動を制止したのか、

 理解できなかった。

 

 血を失ったことで過剰な血中を流れる酸素から解放され、

 理性を取り戻しかけていた戦闘兵の声が

 ただの最後の命乞いていどにしか聞くことができなかった。


 自分の手で恋人を殺めたことと、朦朧とする意識のなかで、

 理論だった思考を維持できるはずもなかった。



 隊長が放ったクリムゾン・インフェルノは、

 炎属性の最上位の魔法である。



 最上位の魔法を使える者はこの世界でも少ない。

 もし彼が魔導法国内に侵入し、住民を盾として立ち回られたら、

 四天王と言えども苦戦していたかもしれない。



 クリムゾン・インフェルノは放たれて……しまった。


 

 轟音――激震――爆発。


 

 最上位魔法と言えども本来この魔法には、

 地形を変形させるような威力はない。



 異常な濃度の酸素と、花粉による粉塵、

 最上位炎魔法という最悪の組み合わせが噛み合わさり、


 クリムゾン・インフェルノの炎はその名の通り、

 この森を地獄に変えた。



 後続に控えていた教会側の部隊は爆発に巻き込まれ大勢が死に、

 生き残った者達も敵からの攻撃と勘違いし、

 花粉の霧のなかで魔法を放ち、殺し合う。阿鼻叫喚の地獄絵図。



 まさに、地獄の再現であった。

 一面は灼熱の業火と化す。



「うあっ、ああ゛……。いやだぁ、ごんなのっ、嘘だぁあああっ!」



 本来は魔導法国の結界を破るための、

 一度きりの切り札のアーティファクトを自身が放った魔法、

 クリムゾン・インフェルノの無力化のために使ってしまった。


 逃げるように隊長は森の中を涙と鼻水で顔面を

 濡らしながらぐちゃぐちゃの頭でなきわめきながら森を駆ける。


 アーティファクトの起動が間に合い魔法によって生じた、

 爆風こそ防ぐことはできなかったが、 

 魔法による自爆だけは防ぐことができた。



「いやだぁ……なんでっ……衛生兵っ! あああっ!!! なんでだっ!!!」



 もはや頭の中で考えていることは、

 一刻もはやくこの地獄から抜け出ること。


 花粉のせいか感情のせいかもはやわからない。

 目と鼻からは体液があふれて止まらなかった。 



 ――パカンッ



 乾いた音がした。



「おっ、がっ?! へっ……なに、が、えっ?」



 男は自分の右手に違和感を感じる。

 そして、霞んだ目でそこを見つめると、

 右手がそこにはなく血が噴水のように吹き出していた。



 頭上から落ちた木の"巨大な種子"が、

 爆発したのだ。



 これは魔法ではなくこの植物の元来の性質によるものだ。

 この針葉樹は



 その巨大な種子の形は松ぼっくりに似ているが、

 種子の表面は凶悪なモンスターに捕食されないような、

 鋼のように硬質な表皮をしている。



 そして山火事のタイミングで落下し、

 種をまるで散弾のように撒き散らす。

 


 そこに人が居るか、モンスターが居るかなどお構いなく、

 もともとの植物の繁殖する機能を全うするために炸裂する。



 この種子は大自然の作った小型の爆弾。



 しかも、クリムゾン・インフェルノの延焼により、

 山火事が発生し無数に上から振ってくるということである。



 その事実を知ったときにはもう遅い……。



 上空から落ちてくる無数の種子死神の音に、

 恐怖することしかできなかった。



 この恐怖を感じていたのは"部隊"の隊長だけではない。

 森に足を踏み入れた全軍がそう感じていた。


 周りの仲間の頭や腕がドンドンと弾け飛び、

 次は自分の番かと恐怖する。


 足を失い悲鳴をあげる兵、その様子を見て錯乱して、

 我先にと逃げ出そうと目の前の仲間を殺し、逃げる兵。


 ただ、呆然と立ちすくみ、来たるべき死の瞬間を諦めとともに待つ者。

 その山は地獄だった。



 上空から降り注ぐ、木の種子によって体を貫かれ、

 ある者は頭部を失い、ある者は足を失い、ある者はミンチ肉となり、

 無数に炸裂する種子の散弾によってもはや、

 誰が誰の死骸か分からない状態になった。



 木こりが命がけの仕事というのは嘘ではない。

 いかに屈強な木こりであれ、

 山の神を怒らせたら生きては帰れない。



 もし、山の神様を怒らせるようなことがあれば、

 いかに屈強な木こりであれその不敬の対価から逃れることはできない。

 それは例外なく等しく与えられるものだ。


 その恐怖を木こりは理解している。


 だからこそ神や精霊の存在を信じ、敬う。

 その源泉は木や森に対する、潜在的な恐怖。

 否――畏敬の念から生じているものだ。


 木こりが木や森に対して、敬意を払っているのは、

 彼らに学がなく、無知なせいではない。


 森がひとたびその牙を剥けば命はない、

 そのことを潜在的に知っているからである。


 それを知っているからこそ木や森を侮らず、

 木こりたちは、常に敬意を忘れないのだ。



 森の怒りに触れ……多くの者達は命を落とすこととなった。

 それはあまりにも高すぎる授業料であった。

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