第32話『勇者クルスという最悪の選択』

 教会の最高職位、枢機卿カーディナルは、

 森のあちらこちらで起こる爆発を唖然としながら見つめていた。


 何世代も前から引き継がれてきた入念な準備、

 魔王討伐後のシナリオまで描かれた完璧な作戦。


 その全てが……足元から崩れてきていた。

 許容されざる想定外。



「なんなんだ……これは、いったい」



 世界を破滅に追い込むことができるほどの能力を持った、

 数々のアーティファクトと、入念に準備した戦略、戦術。

 その全てがことごとく裏目に出ている。



「これは……この失態。許されるものではないぞ」



 枢機卿カーディナルは目の前の板状のアーティファクトに

 映し出される画像と音声によって森の中の地獄を見つめていた。


 先発隊が魔導プラントの破壊工作に失敗したことはまだ許容範囲内。

 あくまで敵戦力を探るためのものであり、

 失敗していたときのバックアッププランも用意してあった。



 だが、いま目の前で繰り広げられる惨状は最悪のシナリオ以上に最悪の光景だ。

 枢機卿カーディナルは、自分がどこで判断を間違ったのかを考える。


 魔導法国のプラント爆破計画、

 クルスを勇者として選定したこと、

 そもそも教会による世界支配なんてものを目指したこと。



 何もかもが分からない。



「一体、これはどういうことだ……。これだけの部隊を派遣してモンスターのいないただの森を抜けられないとは。一体どうなっているっ!」

 


 枢機卿カーディナルは怒りの感情をあらわにする。

 元傭兵の戦闘のエキスパート“軍隊”を始めとして、

 教会側が用意した軍隊も上位魔法以上を習熟した精鋭たち。



「くっ……。本来であれば、我らの部隊はとっくに森を突き抜け、アーティファクトによって結界を破壊、住民を盾にしつつ魔王を誘い出し、勇者に殺させる。ただ……ただ、それだけの作戦だったのだ。失敗することなどありえない」


 

 枢機卿カーディナルが思い描いていたのはこんな地獄ではない。

 事前に書いたシナリオどおりに事を進ませるための消化試合のはずだった。


 教会の御旗である神託の勇者が魔王を倒し、

 教会の力を世界に示すことで教会に反対する勢力を一層。


 王族よりさらに上の職位に教皇の座を置き、

 アーティファクトによる武力を背景とした世界征服。 



 枢機卿カーディナルの手段も目的も単純なものであった。

 単純であるがゆえに成功する確率も高いはずであった。


 更には数世代にも渡る猶予ゆうよの時間もあったことから、

 この作戦は必ず成功すると確信を持っていた。


 だが、現実には枢機卿カーディナルの思った通りにはならなかった。



「……戦場の映像でだいたいの状況は私も把握しているが、大司教アーチ・ビショップよ、現在の状況を説明しなさい」


 

 枢機卿カーディナルは、実務最高責任者の大司教アーチ・ビショップに問う。



「は……。現在のこの地獄絵図の発端は"部隊"の隊長が何らかの原因で錯乱し暴走……。部下の衛生兵、武装兵を殺し……さらには炎属性の超規模魔法で他の部隊で殺戮したことに端を発しているようですが……一人でも戦術級の力を持った彼らがなぜ、暴走したのかについては不明」



 音声や映像から何が起こっていたのかは大司教アーチ・ビショップも把握していた。だが、なぜそのような事態になるまでの事態になったのかの分析を行うほどの余裕はなかった。



「……なぜなのだ。……なぜ、こうも裏目に出る。世界でも最強の能力を持った例外的な戦力"部隊"を教会側の駒にすることに成功し、なおかつ結界を一撃で破壊するアーティファクトももたせた。あらゆる事態を想定して……最善を尽くした。それだというのに、なぜ、このような結果になるのだ」



枢機卿カーディナル。ここまでの兵の損失は……想定外です。ここは一旦引くことも検討されてはいかがでしょうか。今が、引き返す最後の機会。責任は……大司教アーチ・ビショップである、私が全て引き受けます」



 全ての責任を背負うということはつまりは命を差し出すということ。

 それだけの覚悟をもって、最高職位の枢機卿カーディナルを諌める。

 思想も行動も何もかも誤っているが、配下としては正しいあり方であった。



大司教アーチ・ビショップ、貴様の覚悟見上げた物だ。我がお前を我の後継第一候補としたあの判断は間違えていなかったようだ。だがな、残念だが、その判断だけは、ありえぬよ……大司教アーチ・ビショップ



「……っですが、枢機卿カーディナル



大司教アーチ・ビショップ、お前は参謀として、優秀過ぎる。お前のこのタイミングでの撤退判断、教会の損失を考えるのであれば決して間違ったものではない」



「…………」



「我らが背負っているのは代々引き継がれてきた先祖たちの意志。それが、いまやっと手の届きそうな位置まできたのだ。我々が今日の日を迎えるために費やした歳月、今日の日に集めたアーティファクト、今日の日を終えたあとに我々がなさなければならない、協会による世界統治……それらを考えるなら、撤退という判断をとることはできない」



「――御意に。貴方の為であればここで朽ち果てようと後悔はありませぬ」



 枢機卿カーディナル大司教アーチ・ビショップとの会話に

 その場に同席していた勇者であるクルスが割り込んでくる。


 勇者クルスは便宜上の肩書は枢機卿カーディナルより上に位置する。

 だが、その実は魔王を殺すという役目を与えられただけの道化役。


 だが、道化役ゆえにこのような最高職位の者達の会談にも、

 平気で割り込むことが可能なのだ。


 

 つまらなそうに2人の話を聞いていた勇者が、

 貧乏ゆすりをしながら枢機卿カーディナルに歩み寄る。


 いかなる立場の者とはいえ帯刀した状態で枢機卿カーディナル

 触れる距離に近づくことは禁じられている。


 それ以上に当たり前過ぎてそんなことをする者は存在しない。



「あのさぁ……。さっきから、お前らオッサンたちの話を黙って聞いていたけどさぁ。僕から言わせると、どれも下らない話なんだよねぇ。……神に選ばれた、この僕、勇者クルスがさぁ。なんで、こんな後方で待機させられなきゃいけないんだよ? おい、お前らってさぁ、どこまで無能なんだよ。お前らの無能さは想像を絶するよ」



 枢機卿カーディナルもいつもならばいつでも殺すことができる、

 道化の茶番と適当に流すことができた。

 だが、あまりの愚かな発言に一言だけ反論してしまう。



「神託の勇者、クルスよ。現状は、想定をあまりに超えた事態であり……」



 枢機卿カーディナルは、平民出身の男による身の程知らずな発言に内心は激しい憤りを感じつつも、魔王を殺す役目をこなしてもらうまでの間は、あえて勘違いさせたまま増長させていても良いと思い、奥歯を噛み締め我慢した。


 枢機卿カーディナルの"力の代償"と呼ばれるアーティファクトによっていつでも彼が念じれば、即座に命を奪うことができるからだ。


 『レベル・アップ』という特殊能力と全能力向上を授ける代わりに、生殺与奪の権利を他者に委ねることで、力を授けられた側の暴走を防ぐことが可能な、制御型アーティファクトである。



 枢機卿カーディナルが死ねと強く念じるだけで勇者を殺すことができる。もちろんこの"代償"については勇者には知らせていない。勇者がどんなに強くなったとしても生殺与奪の権利を握っている枢機卿カーディナルにとっては恐れるに足りない相手であった。



「言ったよねぇ……枢機卿カーディナル。教会の最高職位だかなんだか知らないけど、さぁ、僕は……忙しいんだよ。お前たちに任せていたら、こんなに時間がかかっているじゃないか。わかっているか、お前ら無能の罪深さ? 僕は神に選ばれた勇者なんだよ。僕の時間を奪うことの罪深さを理解している? おいっ?!」



「…………」



 枢機卿カーディナルは勇者を刺激しないように頭を垂れて黙って聞く。

 胸の中は殺意で満たされるが、それでは全てが台無しになる。

 だから我慢した。噛み締めた奥歯は力が入りすぎ、すでに欠けていた。



「僕の晴れ舞台の日にミスをすることは許さないって言ったよね? おい?」



 クルスは黙って頭を垂れているだけの最高位職の男に余計に神経を逆なでした。



「…………」



 奥歯を噛み締め、無礼の数々を耐える。

 魔王の首さえ落とせれば使い捨てにして殺せる。

 この愚かな村人はそのあとに殺せばいい。

 そんな妄想をすることで、勇者クルスの罵倒に耐えていた。



「おい、なんだよ。おい。お前、教会で一番偉いからって、威張ってんのか? はぁ? 俺はお前よりも偉いんだぞ? 神に選ばれた勇者だからなぁ……お前さ、僕を馬鹿にしてるだろ? 何だよ、その反抗的な目つきは。勇者である僕の言葉を無視してんのか? 黙ってないで答えろよっ!!!!」



 ――グチャリ



 クルスが枢機卿カーディナルに裏拳を振るう。

 教会の最高職位、黒幕の男の顔面が爆ぜ飛ぶ。


 教会という組織の歴史、悲願、因縁、目指すべき世界支配、

 ……その全てが、愚かな一人の男の癇癪かんしゃくにより一瞬で終わらされた。

 当然クルスはその行為の重さを理解していない。



 枢機卿カーディナルは油断も慢心もしいない。

 目の前の男の度を超えた愚かしさを理解できていなかったのだ。


 当然である。何の前兆もなく、単なる一時のイライラによって、

 枢機卿カーディナルである自分が殺されることがあるなど、

 想定して準備しているはずもない。


 突然の攻撃に対して何も反応することができず、

 最低限の防御もできず肉塊となって死んだ。



「ははっ! 枢機卿カーディナル。ごめん、これじゃあ、もう喋りたくても喋れないかぁ。死んで僕の機嫌を良くしてくれたんだから、無駄な人生ではなかったかもしれないね。最高職位くん。――僕をイラッとさせたから自業自得だよ。バーカ」



 教会のトップである大教主の頭部が爆散。

 この時点で完全の司令系統が機能しなくなった。

 この場にいた教会の幹部の誰もが、

 目の前で起こった現実をまったく理解できなかった。



 この絵を描いていたトップがよりによって、

 ただの使い捨ての操り人形によって殺された。

 ただの駒の一つである勇者に。



 勇者の役割なんて誰でも良かったのだ。

 教会が求めたのは『魔王を殺し、そして相討ちとなって死亡する』

 その筋書きのために犠牲になるものであれば誰でもよかった。


 だから、枢機卿カーディナルは、

 王都の中でも外見は良いが、大人しくて純朴そうな

 クルスを御しやすそうな男ということで勇者に選定したのだ。


 操りやすそうな人形として使うために。

 その人選が枢機卿カーディナルを殺した。


 その選択が教会をさらなる破滅の道へと導いた。

 一言で言うならば、彼は運が悪かった。



「ひっひい……」



「なんだよ。最高職位だかなんだかしらないけどさぁ……教会の中で一番偉い勇者である僕がいるんだから何も問題ないだろ。僕は神に選ばれた存在だけど、あの肉塊は所詮は人間の中でちょっと偉い程度の存在。代わりなんていくらだっているだろ? 何をそんなにうろたえているんだ?」



 組織のトップ、そして黒幕が突然死んだことにより、

 意思決定を下せる者がいなくなった。



「ああぁ……無能どもめ。たかが、こんな程度の森一人を乗り越えられないのか!! ハイキング気分で勇者の仕事の手伝いをされても困るんだよねぇ。ここの森に入った奴らは生きる価値のないゴミだ。僕がいうから間違いない」



 次々に入る報告に勇者のイライラは限界に達していた。



 教会の幹部たちは魔王を勇者に殺させたあとは、

 邪魔な勇者を殺すことで、

 救国の英雄、メシア《救世主》の物語を完結させる。


 そんなことを思い描いていた。

 頭の悪い操りやすい人形に過ぎないとタカを括っていたのだ。


 いや……確かに、実際にクルスは頭が悪く愚かだ。

 ただその愚かさが教会の幹部連中の頭脳でも、

 想定できないレベルだったのが悲劇だった。



「面倒くさい、もういいや。こいつら無能な奴らももろとも陽光砲で皆殺しだ! もう魔王もろともに焼き殺せばそれでいーじゃん。殺したあとに、僕の手柄にすればいいんでしょ?」



「陽光砲の使用は、勇者クルス……まずは、撤退を開始している者達の避難が終わるのを待ってからでも遅くはないものと愚考しますが」



「はぁ? 無能なノロマどもを待つ余裕はねーんだっ!」



 勇者の裏拳が命がけで反対の声を上げた、

 大司教アーチ・ビショップの頭頂部をゲンコツで殴りつける。

 頭蓋が陥没。目や鼻から血を吹き出し、もう二度と口を開くことはなかった。



「おまえらも、何か僕に文句を言いたいの?」



「いえ……勇者クルス。早急に、陽光砲の準備をさせていただきます」



 いまは亡き枢機卿カーディナルの致命的な失敗は、

 クルスという男を勇者にしたこと。


 次に勇者クルスを強くしすぎた事。

 最後に、人の命を奪うという行為に慣れさせてしまった事。


 勇者はモンスターを殺すことで魂を吸収しレベル・アップする。


 だが、枢機卿カーディナルは、木こりの村人程度に敗北する

 クルスの強さでは魔王に勝てないと判断した。


 それからは、レベル・アップの対象を人間に変更した。

 一人の人間を殺すごとに強力なモンスター100体分程度の魂を吸収できる。


 だから、教会について反抗的な態度を取っている村や、

 教会の受け入れを拒否した村を勇者クルスに殺させた。


 最初は人を殺すことにためらいをもっていたクルスも、

 それが正義の行いであると信じるようになり、

 途中からは教会と関係のない人間も簡単に殺すようになっていた。


 枢機卿カーディナルがクルスを神託の勇者とした選んだ理由はいくつかある。

 まずは彼が、選定の当時は一般的な平民であったから。


 平民で凡人だった少年がやがて勇者になり魔王を倒すという筋書きは、

 教会の布教に貢献すると期待していた。


 魔導法国を滅ぼし魔王を倒すよことよりも、

 圧倒的な教会の力を示すことと、その教会の御旗となる象徴が必要であった。


 枢機卿カーディナルが自身を教皇と名乗らなかった理由は、

 勇者と魔王との闘いのあとに"力の代償"の代償の力によって殺し、

 魔王と戦って戦死した勇者に"教皇"の階位を与えることで、

 完成する予定だったのだ。


 整った顔と目立つ金色の髪、素朴だが純朴そうな平民の青年、

 いかにも操り人形として御しやすそうな少年。


 枢機卿カーディナルはクルスの内に抱える、

 鬱屈とした感情認知のや歪みを見抜けなかったのだ。


 結果として野望は遂げるられることもなく、

 己が神託として選定した勇者の戯れで殺されることになった。



「さっさと撃てよ! お前らもノロマでグズな枢機卿カーディナルと同じように僕のレベル・アップの糧になりたいのかよ! こんなところでモタモタとしてこれ以上僕をイラつかせるんじゃねぇ!」



「は……。承知。陽光砲の照準を魔導法国へ……陽光砲の軌道上に居る者達もろともに焼き尽くせ」



 陽光砲、旧人類が発明した戦略兵器。

 教会が持つ最強のアーティファクト。


 王都に放てば王都を丸ごとドロドロに溶かし、

 更地にすることができるほどの威力を誇る、

 単純に広範囲を破壊し尽くすことを目的とした兵器。


 唯一の欠点はエネルギーの重鎮には太陽光の蓄積が必要ということ。

 そして再充填には10年の歳月を必要とする。


 実質的には使い捨ての切り札。


 旧人類に滅びをもたらした七つの災厄、

 そのうちの一つと言われるアーティファクトである。


 本来は勇者と魔王の闘いを記録したのちに、

 証拠隠滅のために国ごと溶かし、

 地図上から消すために使われるはずだった。

 それをクルスは初手から使う。



 陽光砲の砲身に膨大な光が集まり、

 巨大な砲身から太陽の光を凝縮した陽光が放たれる。

 魔法などではなく単純なる熱線による攻撃。


 陽光砲は一瞬で森の木々を燃やし一瞬で灰に変えた。


 陽光が退避途中だったわずかに生き残っていた隊員の肉を燃やし尽くし、

 地面の土や岩すら溶かしながら一直線に魔王の城に向かって突き進む。


 単純な熱量という暴力が軌道上には障害物など一切存在しないかの如く、

 まっすぐと直進する。



 その白くまばゆいばかりの光を放つ陽光は、

 魔導法国の結界に直撃したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る