第33話『勇者クルスという最悪の選択』

 教会の最高職位、枢機卿カーディナルは、眼前で繰り広げられる破滅的な光景――森のあちらこちらで間断なく立ち昇る爆炎と黒煙を、まるで悪夢でも見ているかのように唖然としながら見つめていた。



 何世代にもわたり、先人たちが血と汗で築き上げてきた入念な準備。魔王討伐後の世界秩序までをも描き切ったはずの完璧な作戦。その全てが……今、彼の足元からガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのを感じていた。許容されざる想定外、いや、想定の範疇を遥かに超えた破局であった。



「なんなんだ……これは、いったい。この悪夢のような光景は……」



 枢機卿の口から絞り出されたのは、乾いた呻きにも似た言葉だった。世界を容易に破滅へと追い込むことができるほどの絶大な能力を秘めた、数々の禁断のアーティファクト。そして、それらを最大限に活用すべく練り上げられた戦略、戦術。その全てが、ことごとく裏目、裏目へと出て、破滅的な結果を招いている。



「これは……この惨憺たる失態。断じて許されるものではないぞ……!」



 怒りと焦燥に顔を歪ませ、枢機卿カーディナルは、目の前に浮かぶ板状のアーティファクトに映し出される鮮明な画像と、耳をつんざくような音声によって、刻一刻と地獄絵図へと変貌していく森の中の惨状を凝視していた。



 先発隊が魔導プラントの破壊工作に失敗したこと。それはまだ許容範囲内と辛うじて言えた。彼らの任務はあくまで敵戦力を探るための陽動であり、万が一失敗した際のバックアッププランも周到に用意してあったのだから。



 だが、いま目の前でリアルタイムに繰り広げられるこの惨状は、事前に想定し得る最悪のシナリオすら生ぬるいと感じさせるほど、絶望的な光景だった。枢機卿カーディナルは、必死に思考を巡らせる。



 自分が一体どこで判断を誤ったのか。魔導法国のプラント爆破計画そのものか、それとも、あのクルスという愚か者を勇者として選定したことか。いや、そもそも教会による世界支配などという途方もない野望を抱いたこと自体が、破滅への序曲だったのか。



 何もかもが分からない。暗闇の中で手探りするような、出口の見えない混乱が彼の心を支配していた。




「一体、これはどういうことだ……! これだけの精鋭部隊を派遣しておきながら、モンスター一匹いないただの森を突破できないとは! 一体全体、どうなっているというのだっ!」



 抑えようもなく込み上げてくる憤怒に、枢機卿カーディナルの顔は醜く歪み、その拳はわなわなと震えた。



 元傭兵で構成された戦闘のエキスパート集団、“軍隊”を始めとして、教会側が満を持して投入した軍勢も、その一人一人が上位魔法以上を習熟した文字通りの精鋭たちのはずだった。




「くっ……! 忌々しい……。本来であれば、我らの部隊はとっくに森を突き抜け、アーティファクトによって魔導法国の結界を破壊し、住民を人質として魔王を誘い出し、そして神託の勇者にその首を刎ねさせる。ただ……ただ、それだけの、単純明快な作戦だったのだ。失敗することなど、万に一つも有り得ないと確信していたというのに!」




 枢機卿カーディナルが思い描いていたのは、このような血と炎と絶望が支配する地獄ではない。事前に完璧に書き上げたシナリオどおりに事を進ませるための、いわば消化試合のはずだったのだ。



 教会の御旗である神託の勇者が魔王を討ち滅ぼし、その偉業によって教会の絶対的な力を全世界に示し、教会に反抗する不穏な勢力を一掃する。そして、王族よりもさらに上の至高の職位に教皇の座を置き、数々のアーティファクトによる圧倒的な武力を背景とした、教会による世界征服を成し遂げる。



 枢機卿カーディナルの手段も目的も、驚くほど単純なものであった。単純であるがゆえに、あらゆる不確定要素を排除でき、成功する確率も限りなく高いはずであった。



 更には、この日のために数世代にも渡る長大な猶予ゆうよの時間もあったのだから、この作戦は必ず成功すると、彼は微塵も疑うことなく確信していた。



 だが、現実は非情である。枢機卿カーディナルの思い描いた理想とは、あまりにもかけ離れた事態が進行していた。



「……戦場の映像から、おおよその状況は私も把握しているつもりだが……大司教アーチ・ビショップよ、現在の詳しい状況を説明しなさい」



 枢機卿カーディナルは、努めて冷静さを装いながら、実務における最高責任者である大司教アーチ・ビショップに鋭く問うた。




「は……はい! 現在のこの地獄絵図と化した戦況の発端は、主力たる"部隊"の隊長が何らかの原因で精神に異常をきたし錯乱、完全に暴走したことによるものかと……。部下である衛生兵、武装兵を次々と殺害し……さらには、広範囲を焼き尽くす炎属性の超規模魔法を乱発し、友軍である他の部隊にまで多大な被害を与え、殺戮の限りを尽くしたことに端を発しているように思われます……。しかし……一人でも戦術級の力を持つ彼らが、なぜ、かくも容易く暴走するに至ったのか、その詳細な原因については未だ不明であります」




 音声や映像から、森の中で何が起こっていたのかは、大司教アーチ・ビショップも痛いほど把握していた。だが、なぜそのような破滅的な事態にまで発展したのか、その根本原因を分析し、対策を講じるほどの時間的、精神的余裕は、彼には残されていなかった。




「……なぜなのだ。……なぜ、こうもことごとく裏目に出るのだ! 世界でも最強クラスの能力を持った、規格外の戦力である"部隊"を、多大な犠牲を払って教会側の駒とすることに成功し、なおかつ、魔導法国の結界を一撃で破壊しうる強力なアーティファクトまで持たせたというのに! あらゆる不測の事態を想定し……考えうる限りの最善を尽くしたはずだ。それだというのに、なぜ、このような絶望的な結果になるのだ!」




 枢機卿の悲痛な叫びが、司令室に虚しく響いた。




枢機卿カーディナル猊下。ここまでの兵員の損失は……もはや我々の想定を完全に超えております。断腸の思いではございますが、ここは一旦兵を引き、体制を立て直すこともご検討されてはいかがでしょうか。恐れながら、今が、引き返すことのできる最後の機会かと存じます。この作戦失敗の責任は……この大司教アーチ・ビショップである、私が全て引き受けさせていただきます!」




 全ての責任を背負うということは、教会組織においては、つまりは自らの命を差し出すということと同義である。それほどの重い覚悟をもって、大司教は最高職位の枢機卿カーディナルを諌めようとした。



 その思想も、これまで行ってきた行動も、何もかもが誤っているのかもしれないが、それでも、主に仕える配下としては、これ以上ないほど正しいあり方であった。




大司教アーチ・ビショップ、貴様のその覚悟、見上げたものだ。我がかつて、お前を我が後継者の第一候補とした、あの時の判断は間違えていなかったようだ。だがな、残念だが、その撤退という判断だけは、断じて有り得ぬよ……大司教アーチ・ビショップ




 枢機卿は、苦渋の表情で首を横に振った。




「……っですが、枢機卿カーディナル猊下! このままでは全滅ですぞ!」



大司教アーチ・ビショップ、お前は参謀として、あまりにも優秀過ぎる。お前のこのタイミングでの撤退判断は、教会の損失を最小限に抑えるという観点から見れば、決して間違ったものではないだろう。むしろ、合理的な判断だ」



「…………」



 大司教は唇を噛み締め、言葉を飲み込んだ。




「だが、我らがその双肩に背負っているのは、ただの教会の存続ではない。代々引き継がれてきた我らが先祖たちの悲願、その意志なのだ。それが、いま、やっと手の届きそうな位置まで来たのだ。我々がこの栄光の日を迎えるために費やした永い歳月、この日のために血眼になって集めた数々のアーティファクト、そして、この日を終えたあとに我々が成し遂げなければならない、教会による世界の完全統治……それらを考えるならば、撤退などという選択肢は、もはや我々には残されていないのだ」




「――御意に。枢機卿猊下のお覚悟、しかと拝聴いたしました。貴方の為であれば、この場で朽ち果てようとも、微塵の後悔もございませぬ」



 大司教は深く頭を垂れた。




 その枢機卿カーディナル大司教アーチ・ビショップとの間の、重苦しく張り詰めた会話に、まるで招かれざる客のように、その場に同席していた勇者であるクルスが、不躾に割り込んでくる。




 勇者クルスは、便宜上の肩書こそ枢機卿カーディナルよりも上に位置する。だが、その実態は、魔王を殺すというただ一つの役目を与えられただけの、使い捨ての道化役に過ぎない。




 だが、道化役であるがゆえに、このような最高職位の者達が顔を突き合わせる厳粛な会談の場にも、彼は平然と、そして無遠慮に割り込むことが可能なのだ。



 つまらなそうに貧乏ゆすりを繰り返しながら、二人の深刻な話を聞いていた勇者

 が、やがてゆらりと立ち上がり、枢機卿カーディナルにのっそりと歩み寄る。


 かなる立場の者であろうと、帯刀した状態で枢機卿カーディナルに触れるほどの距離に近づくことは、固く禁じられている。


 いや、それ以上に、あまりにも当たり前過ぎて、そんな不敬なことをする者など、これまで一人として存在しなかった。




「あのさぁ……。さっきから、お前らオッサンたちの退屈な話を黙って聞いていたけどさぁ。僕から言わせると、どれもこれも、本当に下らない話なんだよねぇ。……神に選ばれた、この僕、勇者クルスがさぁ。なんで、こんな後方の安全な場所で、指をくわえて待機させられなきゃいけないわけ? おい、お前らってさぁ、一体どこまで無能なんだよ。お前らのその絶望的なまでの無能さは、僕の想像を遥かに絶するよ」




 その声には、隠そうともしない侮蔑と苛立ちが満ちていた。




 枢機卿カーディナルも、いつもならば、いつでも容易く処分できる道化の茶番と一笑に付し、適当に聞き流すことができたはずだった。だが、あまりにも愚かで、そして身の程を弁えないその発言に、彼は思わず、一言だけ反論してしまう。




「神託の勇者、クルスよ。現状は、我々の想定をあまりにも超えた危機的状況であり……」




 枢機卿カーディナルは、平民出身のこの若造による、あまりにも身の程知らずな不遜な発言に、内心では激しい憤りを感じつつも、魔王を殺すという唯一の役目を果たしてもらうまでの間は、あえて勘違いさせたまま増長させておいても良いだろうと思い直し、奥歯を強く噛み締め、屈辱を耐え忍んだ。




 なぜなら、枢機卿カーディナルが持つ"力の代償"と呼ばれる強力なアーティファクトによって、いつでも彼が強く念じさえすれば、この愚かな勇者の命など、即座に奪うことができるからだ。



 『レベル・アップ』という特殊能力と全能力の飛躍的向上を授ける代わりに、その者の生殺与奪の権利を他者に委ねることで、力を授けられた側の暴走を防ぐことが可能な、極めて有用な制御型アーティファクトである。



 枢機卿カーディナルが「死ね」と強く念じるだけで、勇者を容易く殺すことができる。もちろん、この致命的な"代償"については、勇者本人には一切知らされていない。



 勇者が今後どれほど強くなったとしても、その生殺与奪の権利を完全に握っている枢機卿カーディナルにとっては、恐れるに足りない、ただの駒でしかなかった。




「言ったよねぇ……枢機卿カーディナルのオッサン。教会の最高職位だかなんだか知らないけど、さぁ、僕は……とーっても忙しいんだよ。お前たちみたいな無能な連中に任せていたら、こんなにも無駄な時間がかかっているじゃないか。わかっているのか、お前ら無能共のその罪深さが? 僕は、この僕こそが、神に選ばれた唯一無二の勇者なんだぞ。僕の貴重な時間を無意味に奪うことの罪深さを、お前たちは本当に理解しているのか? おいっ?!」




 クルスは、まるで駄々をこねる子供のように、甲高い声で喚き散らした。




「…………」




 枢機卿カーディナルは、これ以上勇者を刺激しないように、深く頭を垂れて黙ってその罵詈雑言を聞き流す。



 胸の中は、今すぐにでもこの愚か者を八つ裂きにしてやりたいという激しい殺意で満たされるが、それを実行してしまえば全てが台無しになる。



 だから、今はただひたすらに我慢した。強く噛み締めた奥歯は、力が入りすぎたためか、すでに欠けて血の味が滲んでいた。




「僕の輝かしい晴れ舞台の日に、お前らみたいな無能がミスをすることは絶対に許さないって、僕は何度も言ったよね? おい?」




 クルスは、黙って頭を垂れているだけの、この教会の最高位職の男の態度に、余計に神経を逆なでされたのだろう。その声には、ねっとりとした悪意がまとわりついていた。




「…………」




 奥歯をギリギリと噛み締め、数々の無礼極まる言動を耐える。

 魔王の首さえ落とせれば、この男など用済みだ。

 使い捨てにして惨たらしく殺してやればいい。




 この愚かな元村人は、そのあとに、苦しみ抜いた末に殺せばいいのだ。そんな残虐な妄想を頭の中で繰り返すことで、枢機卿は勇者クルスの耐え難い罵倒に、かろうじて耐えていた。




「おい、なんだよ、その態度は。おい。お前、教会で一番偉いからって、僕の前で威張ってんのか? はぁ? 俺はお前よりも遥かに偉いんだぞ? 神に選ばれた勇者様だからなぁ……。お前さ、心の底で僕を馬鹿にしてるだろ? 何だよ、その反抗的な目つきは。この勇者である僕の言葉を無視してんのか? 黙ってないでさっさと答えろよっ!!!!」




 ――――――――グチャリ。




 鈍い、肉が潰れる音が響いた。クルスが、何の予備動作もなく、枢機卿カーディナルの顔面に強烈な裏拳を叩き込んだのだ。




 教会の最高職位にして、この壮大な計画の黒幕であった男の顔面が、トマトのように爆ぜ飛んだ。




 教会という巨大組織の永い歴史、代々受け継がれてきた悲願、複雑に絡み合った因縁、そして彼らが目指すべきだった世界支配という野望……その全てが、この愚かで傲慢な一人の男の、ほんの一時の癇癪かんしゃくによって、あまりにもあっけなく、一瞬にして終わらされた。



 当然のことながら、クルスは、自らが犯したその行為の途方もない重さを、微塵も理解してはいなかった。




 枢機卿カーディナルは、決して油断も慢心もしていなかった。ただ、目の前のこの若者の、常軌を逸した度を超えた愚かしさを、正確に理解できていなかっただけなのだ。



 それも当然である。何の前触れもなく、単なる一時のイライラによって、この教会の頂点に立つ枢機卿カーディナルである自分が、こんな場所で、こんな形で殺されることがあるなどと、誰が想定し、準備しているはずもない。



 あまりにも突然の凶行に対して、枢機卿は何も反応することができず、最低限の防御すら取る間もなく、ただの肉塊となって無惨に死んだ。




「ははっ! 枢機卿カーディナルのオッサン。ごめんごめん、これじゃあ、もう喋りたくても喋れないかぁ。まぁ、死んで僕の機嫌をちょっとだけ良くしてくれたんだから、お前の無駄な人生も、少しは役に立ったかもしれないね。最高職位くん。――僕をイラッとさせたお前が悪いんだから、自業自得だよ。バーカ」




 クルスは、足元に転がる肉塊を嘲笑うかのように吐き捨てた。教会の実質的なトップであった大教主の頭部が爆散した。この時点で、教会の司令系統は完全に、そして修復不可能なまでに機能不全に陥った。



 この場に居合わせた教会の幹部の誰もが、目の前で起こった信じられない現実を、全く理解することができなかった。この壮大な悪の絵図を描いていた張本人が、よりによって、ただの使い捨ての操り人形に過ぎないはずの勇者によって殺されたのだ。ただの駒の一つであるはずの、勇者に。




 勇者の役割など、本来は誰でも良かったのだ。教会が求めていたのは、『魔王を殺し、そしてその魔王と相討ちとなって英雄的に死亡する』という、感動的な筋書きのために、己の命を捧げる犠牲者。



 その役を演じられる者であれば、誰でもよかった。




 だから、枢機卿カーディナルは、王都の中でも特に外見は良いが、どこか大人しくて純朴そうな、いかにも御しやすそうな男ということで、このクルスを勇者に選定したのだ。



 思い通りに操りやすそうな人形として使うために。皮肉にも、その人選こそが、枢機卿カーディナル自身の命を奪う結果となった。その致命的な選択が、教会をさらなる破滅の道へと、加速度的に導いたのだ。一言で言うならば、彼は、絶望的に運が悪かった。



「ひっひい……」




 周囲の幹部たちから、恐怖に引きつった短い悲鳴が漏れる。




「なんだよ、お前ら。最高職位だかなんだかしらないけどさぁ……この教会の中で一番偉い、神に選ばれた勇者である僕がいるんだから、何も問題ないだろ。僕は神に選ばれた特別な存在だけど、そこに転がってるあの肉塊は、所詮は人間の中でちょっと偉い程度の、ありふれた存在だ。代わりなんていくらだっているだろ? 何をそんなにうろたえているんだ?」




 クルスは、心底不思議そうに首を傾げた。次々と入ってくる戦況悪化の報告に、勇者のイライラは、もはや限界に達しようとしていた。




 教会の幹部たちは、魔王を勇者に殺させたあとは、邪魔になった勇者を速やかに始末することで、救国の英雄、メシア《救世主》の物語を完璧に完結させる。そんな甘い青写真を思い描いていた。頭の悪い、操りやすい人形に過ぎないと、完全にタカを括っていたのだ。




 いや……確かに、実際にクルスは輪をかけて頭が悪く、そして救いようがないほど愚かだ。ただ、その愚かさの度合いが、教会の老獪な幹部連中の頭脳を以てしても、到底想定できないレベルだったのが、彼らにとっての最大の悲劇だった。




「ああ、もう面倒くさい、もういいや! こいつら役立たずの無能な奴らも、ついでに魔王も、もろとも陽光砲で皆殺しだ! もう魔王も何もかも、全部まとめて焼き殺せばそれでいーじゃん。殺したあとに、全部僕の手柄にすればいいんでしょ? 簡単な話だろ?」




 クルスは、まるで玩具を壊す子供のような無邪気さで言い放った。




「よ、陽光砲のご使用は、勇者クルス様……。お、恐れながら、まずは、撤退を開始している者達の避難が完了するのを待ってからでも、決して遅くはないものと愚考いたしますが……」




 大司教アーチ・ビショップが、震える声で、しかし命がけで反対の声を上げた。




「はぁ? 聞こえねーな。無能なノロマどもを待ってやる余裕なんて、僕にはこれっぽっちもねーんだよっ!」




 勇者の裏拳が、その大司教アーチ・ビショップの頭頂部に、容赦なく振り下ろされた。ゴシャリ、と鈍い音が響き、頭蓋が陥没する。大司教は目や鼻から夥しい量の血を吹き出し、もはや二度と言葉を発することはなかった。



「おまえらも、何か僕に文句を言いたいのかな?」



 クルスは、血に濡れた拳を振りながら、残りの幹部たちを睥睨した。



「い、いえ……滅相もございません、勇者クルス様! ただちに、陽光砲の発射準備をさせていただきます!」



 幹部の一人が、恐怖に顔を引きつらせながら叫んだ。いまは亡き枢機卿カーディナルの、取り返しのつかない致命的な失敗は、クルスという底抜けの愚か者を勇者にしたこと。



 次に、その勇者クルスを、手に負えないほど強くしすぎた事。そして最後に、人の命を奪うという禁断の行為に、彼を慣れさせてしまった事。この三点に集約されるだろう。



 勇者は本来、モンスターを殺すことでその魂を吸収し、レベル・アップする存在だ。だが、枢機卿カーディナルは、ただの木こりの村人程度にすら敗北するクルスの貧弱な強さでは、到底魔王に勝てないと早々に見切りをつけた。



 それからは、レベル・アップの対象を、モンスターから人間へと変更した。一人の人間を殺すごとに、強力なモンスターを実に100体分屠るのと同程度の魂を吸収できるのだ。



 だから、教会に対して反抗的な態度を取っている村々や、教会の支配の受け入れを頑なに拒否した村を、次々と勇者クルスに襲わせ、皆殺しにさせた。



 最初はかろうじて人を殺すことにためらいをもっていたクルスも、それが教会のため、ひいては世界のための正義の行いであると盲信するようになり、途中からは教会とは全く関係のない人間たちをも、何の躊躇もなく、虫けらのように簡単に殺すようになっていた。



 枢機卿カーディナルが、数多の候補者の中からクルスを神託の勇者として選んだ理由はいくつかある。まずは彼が、選定の当時はごく一般的な平民であったからだ。



 何の取り柄もない平民で、平凡な凡人だった少年が、やがて神託の勇者となり、世界を脅かす魔王を倒すという感動的な物語は、教会の布教活動に大きく貢献すると期待していた。



 魔導法国を滅ぼし、魔王を倒すということよりも、教会の圧倒的な力を世界に示すことと、その教会の威光の象徴となる御旗が、彼らには必要だったのである。



 枢機卿カーディナルが、自身を教皇と名乗らなかったのにも理由がある。勇者と魔王との壮絶な闘いのあとに、"力の代償"のアーティファクトの力によって勇者を秘密裏に殺し、魔王と戦って戦死した悲劇の勇者に、死後"教皇"の階位を与えることで、教会のプロパガンダを完璧に完成させる予定だったのだ。




 整った甘い顔立ちと、陽光を反射して輝く目立つ金色の髪。素朴だが純朴そうに見える、ただの平民の青年。いかにも操り人形として御しやすそうな、愚鈍な少年。



 枢機卿カーディナルは、そのクルスの内面に深く渦巻く、鬱屈とした感情や認知の歪みを、致命的なまでに見抜けなかったのだ。



 結果として、彼の長年の野望は遂げられることもなく、己が神託の勇者として選定したはずの、ただの操り人形の戯れによって、あっけなく殺されることになった。自らが蒔いた種が、最悪の形で実を結んだのである。




「さっさと撃てよ! お前らも、あのノロマでグズな枢機卿カーディナルのオッサンと同じように、僕のレベル・アップのための貴重な糧になりたいのかよ! こんなところでモタモタして、これ以上僕をイラつかせるんじゃねぇぞ!」




 クルスの金切り声が、恐怖に支配された司令室に響き渡った。




「は……。承知いたしました。陽光砲の照準を、ただちに魔導法国へ……。陽光砲の

 軌道上に存在する、退避中の味方もろともに、全て焼き尽くせとのご命令です」



 残された教会の兵士は、もはや何の感情も浮かべない人形のように、その残酷な命令を復唱した。陽光砲。それは、旧人類がその叡智の限りを尽くして発明した、恐るべき戦略兵器。教会が保有する、最強最後の切り札たるアーティファクトである。




 王都に向けて放てば、巨大な王都を丸ごとドロドロに溶かし尽くし、一瞬にして更地に変えることができるほどの絶大な威力を誇る、ただ単純に広範囲を破壊し尽くすことのみを目的として作られた、究極の破壊兵器。




 唯一にして最大の欠点は、その莫大なエネルギーの充填には、純粋な太陽光の蓄積が必要であるということ。そして、一度発射した後の再充填には、実に10年もの長大な歳月を必要とする。




 実質的には、一発限りの使い捨ての切り札であった。旧人類に滅びをもたらしたとされる、伝説の七つの災厄。そのうちの一つとも言われる、禁断のアーティファクトである。




 本来は、勇者と魔王の歴史的な闘いを記録したのちに、全ての証拠を隠滅するために、魔導法国を国ごと溶かし、地図の上から完全に消し去るために使われるはずだった最終兵器。それをクルスは、何の躊躇もなく、初手から使おうとしている。



 陽光砲の巨大な砲身に、眩いばかりの膨大な光のエネルギーが集束していく。そして、巨大な砲身から、圧縮された太陽そのものとも言うべき、灼熱の陽光が解き放たれた。それは魔法などという生易しいものではなく、単純なる熱線による、純粋な物理的破壊攻撃。



 陽光砲から放たれた凄まじい熱線は、一瞬で森の木々を燃やし尽くし、次の瞬間には灰へと変えた。



 その陽光は、退避途中だったわずかに生き残っていた哀れな教会兵たちの肉を骨ごと焼き尽くし、地面の土や岩すらも無慈悲に溶かしながら、一直線に魔王の城に向かって突き進む。単純な熱量という名の圧倒的な暴力が、その軌道上には障害物など一切存在しないかの如く、ただひたすらに、まっすぐと直進していく。




 その白く、あまりにもまばゆいばかりの光を放つ絶望の陽光は、やがて魔導法国を護る最後の砦、魔力によって編まれた強固な結界に直撃したのであった。

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