第25話『兄妹が結婚するのは合法だ!』
星の終焉という、荘厳にして寂寥感漂う光景を見届けた後、俺の意識はゆっくりと現実へと引き戻された。
目の前には、かつて俺が異世界へと旅立つ際に横たわった、
周囲の空気はひんやりとしており、微かにカビと埃の匂いがする。ここは……元の世界の、魔王城の地下祭壇だ。
「ここは……。元の世界に、戻ってこられたのか……?」
俺はゆっくりと右の手のひらを開く。そこには、異世界の星が最後の力を振り絞って俺に託した、ヒマワリの種ほどの大きさの、しかし力強い生命力に満ちた一粒の種が確かに存在していた 。
その種は、まるで小さな太陽のように、内側から淡く温かい光を放っている。
この種が存在するということは、あの異世界での途方もない時間は、決して夢や幻などではなく、紛れもない現実だったということか。
「この種があるということは……あの世界は……やはり、現実の世界だったということなのだな」
俺が覚醒した気配を察したのだろう、祭壇の入り口から、待ちわびたように一人の少女が駆け寄ってくる。
その姿は、俺が百万年、いや、一億年という永い時間、焦がれ続けた愛しい人の姿。木彫りではない、温かな血の通った、本物のアリスだ。
彼女のサファイアのような瞳が、俺の姿を捉え、驚きと安堵、そして溢れんばかりの喜びで見開かれる。
「ブルーノっ! あなた、丸一ヶ月も眠ったままだったのよ! 本当に大丈夫なの? 体の具合は悪くない?」
アリスの声は心配と安堵で震えており、その白い頬には涙の筋が光っていた。
「ああ、大丈夫だ。全く問題ない」
俺は、アリスを安心させるように、力強く頷いた。実際、体は少しも鈍ってはおらず、むしろ以前よりも力がみなぎっているのを感じる。
途方もない時間をあの異世界で過ごした気がする。途中からは、どれほどの年月が経過したのか、数えることすら放棄してしまったほどだ。
だが、アリスにとっては、たった一ヶ月の出来事だったのか。
「ブルーノが生きて……本当に、生きて帰ってきてくれて良かった……! 私、本当に、本当に心配したんだから……!」
アリスは俺の胸に飛び込んできて、その細い腕で力いっぱい抱きしめてきた。
その温もり、その匂い、その鼓動。全てが愛おしく、俺の心を深い安堵で満たしていく。
「すまない。心配をかけたようだ。……アリス、俺はお前に、ずっと言わなければいけないと思っていたことがある」
無限に近いとも思える時間を異世界で過ごし、俺は改めて理解した。人の一生は、宇宙の悠久の時の流れに比べれば、瞬きする間ほどの短いものだ。
だからこそ、思い立ったことはすぐに行動に移さなければならない。そして、心に秘めた想いは、言葉にして相手に伝えなければ、決して伝わることはないのだと。
俺はアリスの肩をそっと掴み、彼女の潤んだサファイアの瞳を、真正面からじっと見つめた。
「アリス。俺と、結婚してくれ」
俺の言葉に、アリスは一瞬、きょとんとした表情を浮かべたが、すぐにその意味を理解したのだろう、その顔がみるみるうちに喜びで輝き、満面の笑みを浮かべた。
だが、その喜びも束の間、彼女の表情はすぐに不安の色を帯び、何かを思い悩むように俯いてしまった。
「で、でも……ブルーノ……。私たちは……確かに血の繋がりはないけれど、同じパパとママに育てられた、
アリスの声は、か細く震え、その瞳には再び涙が滲んでいた。
「アリス、心配はいらない。兄妹が結婚することは、完全に合法だ。だから、俺たちが王都を捨てる必要もなければ、パパやママと会えなくなることもない。俺たちが失うものは、何一つとしてない。安心しろ」
俺は、アリスの不安を拭い去るように、力強く、そして確信を持って告げた。異世界での永い思索の時間は、俺に法律や慣習の本質を見抜く目を(……きっと……)与えてくれていた。
「でも……パパとママが、私たちの結婚に反対するかもしれないわ……」
アリスは、まだ不安を拭いきれない様子で呟く。
「大丈夫だ。親父とオフクロのことは、俺が責任を持って説得する」
俺は自信を持って言い切った。うちの親父もオフクロも、細かいことに口を出すような人間ではない。
むしろ、今にして思えば、特にオフクロは、どこか俺とアリスが一緒になることを望んでいるような素振りを見せていた気もする。
親心としては、俺たちの結婚を心から応援してくれるのではないだろうか。説得も、きっとすんなりと進むはずだ。
「それに……兄妹が結婚したら、神様は怒ったりしないかしら……?」
アリスは、小さな子供が親に許しを乞うような、上目遣いで俺を見つめた。
「神様は、実の兄妹や、それどころか実の親子であっても、結婚どころか子供を作っていたりするくらいだからな。俺たちのことを見ていたとしても、文句を言われる筋合いはないはずだ。重要なのは、アリス自身が、俺と結婚したいかどうか、ただそれだけだ。もちろん、俺はアリスのことを、一人の女性として、心の底から愛している」
「私……私も……ブルーノのことが、一人の男性として……大好きよ……!」
アリスは、頬を真っ赤に染めながらも、はっきりとした声で、俺の目を見てそう言ってくれた。
その言葉だけで、俺の心は喜びで満たされた。
「それならば、結婚しよう。人生は、長いようで、本当に短いものだ。善は急げ、というだろう? もとより、俺たちは、国も、親も、法律も、神も、そして信仰すらも全て背く覚悟で、あの王都を飛び出してきたんだ。今更、俺たちを阻むものなど、この世に存在するはずがない」
「でも……もし結婚できたとしても、その後の生活で、法律上の問題がいろいろと出てくるかもしれないわ……」
アリスは、まだ少しだけ心配そうな表情を浮かべている。
「法律上の問題? それは例えば、具体的にどんなことだ?」
「た……例えばの話だけど……兄妹同士で、その……キスをすることは、合法なのかしら……?」
アリスは、顔をさらに赤らめ、恥ずかしそうに視線を彷徨わせながら尋ねた。
「ああ、完全に合法だ。キスをすること自体には、全く何の問題もない。地域によっては、男女を問わずに、挨拶の代わりにキスを交わす国だってあるくらいだ。俺のオフクロも、お前がまだ幼い頃は、よくお前にキスをしていただろう? あれが違法な行為だったと、お前は思うか? もし、仮に、うっかりキスをする時に、お互いの舌が絡み合ってしまったとしても、それも全く罪にはあたらない。あくまでもそれは、『おはよう』や『おやすみなさい』といった、挨拶の一環に過ぎないからな」
「確かに……挨拶は、合法だわね。……そうよね。キスをすることは、たとえ兄妹であっても、完全に合法的な行為だったのね。考えてみれば、挨拶をしないというのは、むしろ失礼にあたるくらいだわ……挨拶は合法=キスは合法……完璧な論理証明ね」
アリスは、俺の言葉に納得したように、こくりと頷いた。
俺は、念のために、一つだけ重要な注釈を加えることにした。
「そうだ。兄妹同士でキスをするという行為は、全く問題のない合法的な行為だ。ただし、誰彼構わず挨拶をすると、風邪をうつされたり、あるいは良からぬ病気に感染したりする危険性も否定できない。だから、アリスが挨拶をする相手は、この俺だけにしておくべきだろう。合法であることも重要だが、健康面での安全管理も、決して軽視してはいけないからな」
「そうね……! 私は……朝起きた時と、夜寝る前、そして……もし、一緒にベッドで寝ることがあるなら、その時には必ずブルーノに挨拶をするわ。もちろん、外で他の異性と軽々しく挨拶をしたりすることは絶対にないから、安心してっ!」
アリスは、悪戯っぽく微笑みながら、俺の腕にそっと自分の腕を絡めてきた。
「ああ、そうだな。挨拶は、人間関係を円滑にする上で非常に重要だ。だが、その挨拶をする相手を慎重に見極めることは、もっと大事なことだ。俺に対しては、いつ、いかなる時でも、挨拶してくれて構わないぞ」
「……えっと……それじゃあ、これも例えばの話なのだけど……兄妹が、その……一緒のベッドで寝る、という行為は、法律的には問題がないのかしら……?」
アリスは、期待と不安が入り混じったような表情で、俺の顔を覗き込んできた。俺は、自信を持って、はっきりと答える。
「ああ、それも全く(おそらくは)問題がない。完全に(きっと)合法だ。考えてもみろ、俺もアリスも、まだ幼い頃は、よく一緒の布団で川の字になって寝ていたじゃないか。それに、王都で暮らす三人以上の兄妹がいる家庭では、ほとんどの場合、子供たちは同じ部屋で寝ているはずだ。中には、同じ布団の中で、身を寄せ合って寝ている兄妹だって大勢いるだろう。むしろ、それを罪だというのであれば、その法律の方が間違っている。誤った法律は、正されなければならない」
「……ブルーノ、あなた、たった一ヶ月会わなかった間に、なんだか、とっても賢くなったみたいね。……そうよね。確かに、兄妹が同じベッドで仲良くすやすやと一緒に寝ている姿は、誰が見ても微笑ましい光景のはずだわ。もし、それが罰せられるとしたら、法律の方が間違っていることになるわね」
アリスは、感心したように俺を見つめている。
「そうだ。法律といっても、所詮は人間が作ったものに過ぎない。そして、世の中の常識というものも、時代や状況によって変化していくものだ。だからこそ、俺たちは、それらを盲信するのではなく、時には冷静に、そして客観的に、その法律や常識が本当に正しいのかどうかを、常に自分自身の頭で考え、判断していかなければならない。それこそが、王都の民である俺たちに課せられた、大切な義務なのだ。誤った法律や常識によって、人々が不当に苦しめられたり、不幸になったりすることは、決してあってはならないことだからな」
「凄いわ……。ブルーノの発言は、とても論理的で、非の打ち所がなくて、とっても説得力があるわ……!」
アリスは、尊敬の眼差しで俺を見つめている。
そんななか、魔王は考えた。
(いやいや、我には、このブルーノとかいう男が言っていることは、どう考えても詭弁にしか聞こえぬのじゃが……。それとも、我も知らぬうちに、人間が定めた法律とやらに、知らず知らずのうちに思考を縛られていたということなのじゃろうか……? 危ない、危ない。危うく、この朴訥な木こり風情の男に、洗脳されるところじゃったわい)
玉座の後ろで聞き耳を立てていた魔王は、内心でそんなことを思いながらも、二人のやり取りを興味深そうに見守っていた。
「そ……っそれならば、ブルーノ。これも、もしもの話なのだけれど……。もし、兄妹が一緒に、お風呂に入るという行為は、法律的に問題がない行為なのかしら……? もちろん、その……一糸まとわぬ、産まれたままの、全裸の姿で……。こ、これでも、合法なのかしら……?」
アリスは、顔を湯気が出そうなほど真っ赤にしながら、それでも勇気を振り絞って尋ねてきた。
「なるほど。それは、非常に興味深い質問だな。まず、そもそも論として、お風呂というものは、一糸まとわぬ姿で入るのが正道であり、衣服を着用した状態でお風呂に入ることは、衛生面においても、そしてマナーの面から考えても、決して好ましい行為とは言えない。もちろん、それが即座に違法行為とまでは言わないがな」
「そうね……。確かに、お風呂に入る時に服を着ていたら、ちょっとおかしいわよね」
「そうだ。お風呂に入るということは、必然的に全裸になるということだ。そして、最初の質問に戻るが、兄妹が一緒に全裸で風呂に入ることは、(確率的に考えて)法律的に全く何の問題もない。考えてもみろ、俺たちがまだ幼い頃は、親父やオフクロも一緒に、家族全員で全裸になって川で水浴びをしていたではないか。あれが、犯罪だったと、お前は思うか?」
「いえ……。確かに、あれは犯罪ではなかったわ。むしろ、とても楽しくて、キラキラとした、大切な思い出だわ。王都の川で、たくさんの兄妹たちが、キャッキャと楽しそうに水浴びをしたり、魚を捕まえたりしている姿は、誰が見ても微笑ましい光景であって、何ら問題があるとは思えないわね。……ということは、つまり、兄妹が一緒にお風呂に入るのが、何だか後ろめたい行為のように感じてしまうのだとしたら、それはむしろ、そう思う人の心の方が、よほどえっちだということなのね。……えっちなのは、よくないわよね」
アリスは、何かを悟ったように、うんうんと一人で頷いている。
「ああ、その通りだ。えっちなのは、断じて良くない。兄妹が一緒にお風呂に入るという行為は、極めて健全な家族のコミュニケーションの一環であり、そこには一切のえっちな要素など存在しない。それどころか、兄妹が一緒にお風呂に入ることによって、湯を沸かすために必要となる薪の量も減らすことができるし、さらには使用する水の量も少なくて済む。つまり、家計の節約にも大きく貢献できる、非常に合理的で素晴らしい行為なのだ」
「さすがね……ブルーノ。あなたは、あの異世界で、筋力だけではなく、知性までもしっかりと鍛え上げてきたのね。確かに、ブルーノの言う通りだわ。川で水浴びをしている子供たちが犯罪者だというのなら、この国の大半の人間は、みんな犯罪者になってしまうわ。ということは、つまりは、兄妹が一緒にお風呂に入るという行為は、完全に合法ということなのね。それに、おまけに、家計にも優しいというのであれば、一緒に入らないという選択肢は、もはやあり得ないわね……!」
「ああ、そういうことだ。兄妹が一緒にお風呂に入ることは、家計にも優しく、そしてもちろん、(演繹的に考えて)法律的にも全く問題がない、素晴らしい行為なのだ」
魔王は、玉座の後ろで、このおバカな二人のやり取りを、もはやツッコミを入れる気力も失せ、ただただ呆れた表情で聞き耳を立てるのであった。
その一方で、ほんの少しだけ、頬を赤らめているようにも見えたのは、気のせいだろうか。
(……なんじゃ、我もむらむらしてきよったぞ。まったく……)
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