第24話『星の終焉と異世界からの帰還』


「……うーむ。あのタコみたいな奴はなかなかの強敵だった。あれほどの力を持つモンスターだ、もしかしたら魔神そのものかとも思ったが、どうやら違ったようだな。なかなか試練は甘くない……」



洞窟の最奥、夥しい数の財宝が隠されていた。



俺は、人里へ材木を運ぶついでにそれらを持ち帰り、村人たちに分け与えた。彼らは予期せぬ贈り物に大いに喜び、俺への感謝の言葉を口々に述べた。その笑顔が、俺の疲れた心を少しだけ癒してくれた。



この異世界に足を踏み入れてから、どれほどの時が流れたのだろうか。体感では百年近い歳月が経過したように感じる。アリスに会えない寂しさは、筆舌に尽くしがたい。



その寂しさを紛らわすかのように、俺は木を削り、アリスの姿を模した木像を作るようになった。最初は不格好だった木像も、時を経るごとに、まるで生きているかのような精巧さを帯びていった。



俺が作ったアリスの木像を様々な村に寄贈すると、村人たちはそれを御神体として丁重に祀り、日々の祈りを捧げるようになった。



彼らは、アリスの木像を何かの女神と勘違いしているのかもしれない。だが、アリスがこの世界で神として崇められるのは、決して悪い気はしなかった。



訓練の合間を見つけては、俺はアリスの木像を彫り続け、それを無償で村々に配った。村人たちは、まるで本物の女神に接するかのように、その木像に祈りを捧げていた。




「やはり、アリスは何度見ても愛らしい。この世界での、俺にとって唯一の癒やしだ」




この異世界に来てからの百年という歳月は、俺に斧という道具の奥深さを改めて教えてくれた。この一本の斧があれば、大木を切り倒すことも、凶暴なモンスターを狩ることもできる。そして何よりも、愛するアリスの姿を木に刻み込むことすら可能なのだ。



斧は、まさに万能の道具だ。



だが、その万能の斧をもってしても、木そのものには敵わない。百年という長い年月をかけて、俺は老木や、山火事を引き起こしそうな危険な木々を切り倒し、世界中を旅して回った。



しかし、百年前に切り倒したはずの場所を訪れると、そこには以前よりもさらに太く、力強い木が天に向かって伸びている。百年という時間スケールで見れば、俺の行いは、森の再生という大いなる循環の中の、ほんの些細な出来事に過ぎなかったのだ。



倒したと思っても、それはあくまで一時的な勝利であり、真の勝利とは程遠い。その圧倒的な自然の力、生命の循環の前に、俺は一瞬、その気の遠くなるような道のりに膝を折りそうになった。だが、ここで屈するわけにはいかない。アリスが待っている。




「だが、負けるわけにはいかないのだ、友よ」




俺は、天を突く巨木に向かって、そう呟いた。




一度に一本の木しか切り倒せないのでは、この永遠に続くかのような戦いに勝利することはできない。その事実に気づいた俺は、それからというもの、同時に複数の木を切り倒すための修練に明け暮れた。



この異世界に来てから、千年が経過した。



俺の斧の一振りは、もはや単なる物理的な攻撃ではなかった。斧を横薙ぎに振るうと、その切っ先から不可視の斬撃が迸り、前方の木々を十本同時に薙ぎ倒すことができるようになっていた。



その詳細な理屈は、俺自身にもよく分からない。ただ、斧を極限まで研ぎ澄まし、己の魂と一体化させた時、そのような現象が起こるのだ。



だが、それでもまだ完成には程遠い。先程の一撃も、誤って若木を数本巻き込んでしまった。この斬撃が真の意味で完成したと言えるのは、若木には一切傷をつけず、老木だけを選んで切り倒せるようになった時だろう。



そのためには、斧を振るう際に、より繊細な力の制御と、寸分の狂いもない正確な動きが必要となる。その境地を目指し、俺はさらに長い年月を修練に費やした。



この異世界に来てから、一万年が経過した。



俺は、ついに理解した。



「俺は、木に生かされているのだ」



と 。



俺が生きているのは、木々が存在するからだ。木々が清浄な空気を作り出し、木々が実らせる豊かな恵みが、この世界の全ての生物の命を支えている。



仮に、木々が一斉に呼吸を止めてしまえば、その瞬間にこの世界は死の世界と化すだろう。仮に、木々が実を結ぶことをやめてしまえば、この世界の全ての生き物は飢えに苦しみ、やがては死に絶えるだろう。



そのような尊い存在を、俺は切り倒しても良いのだろうか?



――否。



俺は木を切っているのではない。

木に、切らされているのだ。




つまり、俺が木を切るという行為すらも、この星の壮大な生命の循環、その一部に過ぎないのだ。もし、人間が木々を無視し、森の手入れを怠ればどうなるか?



木々は怒り狂い、山を燃やし、人間もモンスターも区別なく、全てを焼き尽くすだろう。人間が定期的に髪を切って整える必要があるように、木々もまた、人間に適切に手入れされることを望んでいるのだ。



俺は、アリスの面影を胸に抱きながら、静かに眠りについた。 この異世界に来てから、百万年が経過した。




ついに俺は、木々が何を考え、何を感じているのかを、言葉を介さずとも理解できるようになった。木を理解するということは、この星そのものを理解するということ。



そして、星を理解するということは、森羅万象のことわりを理解するということだ。俺が木々に愛情を注ぐ時、木々もまた、俺を愛し、その生命力で俺を包み込んでくれる。その温かい感覚を、俺は確かに感じ取ることができた。




いつしか俺は、自分で彫ったアリスの木像に話しかけるようになっていた。それは、狂気からではなかった。……たぶん……。木の声が聞こえるようになった俺にとって、木像のアリスもまた、語りかけてくる存在となっていたのだ。




そして、一億年という、もはや人間の認識を超えた時間が過ぎ去った。 この星に暮らしていた人間たちは、いつしか宇宙を駆ける巨大な船を建造し、新たな星を目指してこの星を去っていった。



彼らは旅立つ際に、この星の若木を大切に抱え、『必ず他の星でもこの木を育て、緑を広げる』と誓っていた。そして、俺が作ったアリスの木像を、彼らは『創生の女神の像』として崇め、宇宙船の最も神聖な場所に祀って持っていった。



彼らは、旅立つ最後の日に、俺に向かって深々と頭を下げ、『ありがとう』という言葉を残して、星々の海へと消えていった。長い、長い歳月をこの世界で過ごしたが、この世界の人間たちと争うことなく、最後まで平穏に過ごせたことは、俺にとって幸いであった。




そして――数え切れないほどの年月が過ぎ去り、ついに、その時が来た。

この世界の、終焉の日である。




大地の至る所で火山が噴火し、空は黒煙に覆われ、大地は裂け、海は荒れ狂う。この星が、その寿命を終えようとしていることは、誰の目にも明らかだった。




この最後の瞬間にこそ、あの魔神が現れるのではないかと期待したが、結局、魔神は姿を現さなかった。あるいは、俺に倒される前に、何らかの天変地異に巻き込まれて死んだのかもしれない。




この星に住まう人々も、とうの昔にこの星の崩壊を予期し、宇宙の彼方へと旅立っていた。つまり、今、この滅びゆく世界に残された知的生命体は、俺一人だけということになる。




俺は、いつものように、森に入り、木を切り、そして、木彫りのアリス像を彫っていた。もはや、カンナなどの道具を使わずとも、斧の一振り、ナイフの一閃で、まるで生きているかのような、完璧なアリスの姿を木から生み出すことができるようになっていた。




我ながら、完璧な仕上がりである。




その時、俺が彫り上げたばかりの木彫りのアリスが、ふいに俺に向かって話しかけてきた。一瞬、俺は自分の正気を疑った。ついに、永い孤独の中で、俺の精神は破綻してしまったのではないか、と。




だが、(たぶん……)それは違った。




木彫りのアリスを通じて俺に語りかけてきたのは、この滅びゆく星、そのものだった。星の魂、星の意志が、最後の力を振り絞って、俺にコンタクトを取ってきたのだ。



「今まで、この星を……私の子らを守ってくれて、本当にありがとう。異界の木こりさん」



その声は、優しく、そしてどこか懐かしい響きを持っていた。



「……あなたは、この星の意志、なのですね」



俺は静かに問い返した。





「はい。そして……残念ながら、あなたの推察通り、この星の寿命は、もう尽きようとしています。ですが、あなたのおかげで、私の子たち……この星に生まれた生命たちは、新たな星へと逃げ延び、その命脈を繋ぐことができました。それもこれも全ては、かつてこの世界を脅かした邪悪なる者たちから、この世界を救ってくれた、あなたのおかげです。異界から訪れたにも関わらず、この世界の文明に過度に干渉することなく、最後までこの星の成長を、静かに、そして優しく見届けてくれて、本当にありがとう。彼らは、これからも、あなたにしてもらった数々の恩を、決して忘れることはないでしょう」




「いえ、俺は何も特別なことはしていません……。ただ、一人の木こりとして、木を切り、森と共に生きてきただけです」




この星で、俺は多くのことを学んだ。木の素晴らしさ、斧の奥深さ、そして何よりも、アリスへの変わらぬ愛。この途方もなく長い歳月を通して、それらの想いは、より一層深く、俺の魂に刻み込まれていった。




「異世界からの来訪者さん。どうか、元の世界へ、この星の種を持っていってください。私が、最後の力を振り絞って作り出した、たった一つの種です。この種には、この星が永い時間をかけて蓄えた、星の叡智の全てが詰まっています。この種は、あなたが護り通してくれた、この星そのものなのです。きっと、あなたたちの世界でも、何かの役に立つことでしょう」




星の意志は、そう言うと、俺の掌に、温かく、そして力強い生命力に満ちた一粒の種を託した。その種は、まるで小さな太陽のように、内側から淡い光を放っていた。



「ありがとう、ございます。……そういえば、あなたの名前は?」


「私は、ただの星……名前など、ありません」


「それでは……アリス、というのはどうでしょう? 少し女性的な名前かもしれませんが、俺にとっては、最も大切な響きを持つ名です」




「アリス……。とても、素敵な名前ですね……。ありがとう、木こりさん。……さあ、そろそろ、この星の終わりの瞬間が近づいています。その最後の瞬間を、特等席で見届けましょう。この星の終焉を、この私と、そしてあなたとの、たった二人だけで見届けられるということは、何よりも喜ばしいことなのかもしれませんね。全ては、あなたのおかげです」




「この星の子たちは、新しい星でも、きっと元気にやっていくことでしょう」



俺は、遠い宇宙の彼方に思いを馳せた。




「ありがとう。あなたは、最後の瞬間まで、ただ静かに、この星の行く末を見守ってくれた。それが、私には、とても嬉しかった。あなたは、異界からの来訪者でありながら、常に優しく、この世界を見守り続ける、良き隣人でした。最後の最後に、あなたに感謝の言葉を伝えることができて、私は、本当に満足です。これで、心置きなく、永い眠りにつくことができます」




その言葉を最後に、星の中心から、目も眩むほどの膨大な光が溢れ出し、次の瞬間、俺の意識は、温かく、そしてどこまでも優しい星の光に包まれていた。




俺は、一人の木こりとして、一つの星の、壮大なる死と再生の物語を、最後まで見届けたのであった。

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