第23話『異世界での超特訓』

 目の前に広がる光景は、魔王が語った「旧人類が作った箱舟の世界」そのものだった 。


 木々の葉が風にそよぐ音、土を踏みしめる足裏の感触、森特有の濃密な生命の匂い。その全てがあまりにも生々しく、これが作り物の空間であるとは到底信じられなかった。


 魔王によれば、この世界は旧人類が自らの星が滅びる前に、現実世界を模して創造したのだという 。森を抜け、人里に足を踏み入れ、そこに住まう人々と会話を交わしてみても、その印象は変わらなかった。


 彼らの言葉、表情、生活の息遣い、そのどれもが真実味を帯びており、虚構の世界の住人とは思えなかった。



「元の世界に戻るには、この世界の災厄の根源である魔神を倒さなければならない、か」



 俺は独りごちる。



「どこに潜んでいるのか見当もつかないが、まずは木を切り、己を鍛えながら情報を集めるしかない。何よりも、この世界に来た目的は、アリスとの穏やかな未来を掴むために、揺るぎない力を手に入れることだ」



 それにしても、と俺は改めて周囲を見渡す。旧人類が移住先の候補地として選んだというだけあって、この世界の再現度は驚異的だった。



 多様な種族がそれぞれの文化を育み、日々の暮らしの中で喜びや悲しみを経験している。その営みは、俺が知る現実世界と何ら変わりない。


 味覚も、満腹感も、疲労感も、全てが現実と同じように感じられた。目的を見失い、この世界に安住してしまわぬよう、気を引き締めねばなるまい。



「さて、まずは休息を取るか……」


 深い眠りから覚め、意識が覚醒する。見慣れぬ天井。やはり、まだ俺はこの異世界にいる。 



 魔王は、この世界では時間は無限にあるかのように語っていたが、俺に与えられた時間は有限だ。



 アリスが待つ元の世界へ、一刻も早く帰還しなければならない。そのためには、強くなる必要がある。では、具体的に何をすれば良いのか?



 ――より速く、より正確に、木を切り倒せるようになれば良い。



 この世界において、木ほど複雑で強靭な存在はない、と俺は思う。一つ一つの木が持つ繊維の絡み合いは千差万別で、斧を打ち込む角度や場所によって、手応えは全く異なる。



 天候もまた、木の状態を左右する。例えば、長雨に打たれ、水分をたっぷりと吸い込んだ木は、普段よりも格段に重く、その繊維は粘りを増し、斧の一撃を容易には受け付けない。逆に、乾燥した木は硬く、しかし脆さも併せ持つ。



 木を制することができれば、鋼鉄の鎧を纏った騎士を斬り伏せることなど造作もない。



 鋼は、木の繊維のような複雑な構造を持たず、均一な物質だ。狙いを定め、真っ直ぐに、水平に、あるいは垂直に斧の刃を打ち込めば、抵抗なく刃は通るだろう。



 木だ。あらゆる木を、ただの一撃で、まるでバターを切るように両断できるようになれば、その時こそ、俺は真の力を得たと言えるだろう。



 フルプレートアーマーを身に纏った騎士であろうと、巨大なモンスターであろうと、一撃のもとに屠ることができるはずだ。



「そのためには、まず圧倒的な筋力が必要だ」



 それから数ヶ月、俺は一心不乱に斧を振るい続けた。森の木々を切り倒し、それを麓の人里へ無償で運び届ける。



 その単純な作業の繰り返し。



 木を切り倒す動作は、俺の斧の技量を洗練させ、より効率的な力の使い方を体に叩き込んでいく。



 そして、切り倒した大木を肩に担ぎ、険しい山道を運び下ろすことで、俺の全身の筋肉は悲鳴を上げながらも、確実に強化されていった。



 最初は一本担ぐだけでも息が上がっていた大木も、数ヶ月後には、まるで小枝のように軽く感じられるようになっていた。



 この異世界に足を踏み入れてから、早くも半年が経過した。俺は来る日も来る日も、ただひたすらに木を切り、運び、また切るという生活を送っていた。



 だが、この世界はあまりにも広大だ。どれだけ木を切り倒しても、森の木々が尽きる気配はまるでない。



「だが、少しずつだが、木を切るコツは掴めてきた」



 単に力任せに斧を振るうだけではダメだ。木の繊維の流れを読み、最も効率的に力を伝える一点を見極める。



 呼吸を整え、全身のバネを使い、斧と一体となる。その感覚が、徐々にだが、確かに俺の体に染み付いてきていた。



 そんなある日、木を切り倒している最中に、森の奥深くにそびえ立つ巨大な城を発見した。



 麓の村々で聞き込みをすると、その城の主は、この世界の人間たちを奴隷のように扱い、恐怖で支配している悪の権化のような存在だという。




「モンスターの分際で、人間のような知性を持ち、人間を支配するとは。なんとも厄介な害獣だ」



 このまま放置すれば、さらに多くの人々が不幸に見舞われるだろう。たとえ、この世界が虚構の存在であったとしても、目の前で苦しむ人々を見過ごすのは、俺の性に合わない。



 それに、奴らの領地は徐々に森にまで拡大してきており、俺の修行の邪魔になる可能性も出てきた。ならば、答えは一つだ。




 徹底的に殲滅する。




 城内は、不気味な静寂に包まれていた。俺は斧を手に、慎重に、しかし迷いなく進む。城の最上階、玉座の間と思われる広間で、俺はその城の主と対峙した。



 玉座にふんぞり返っていたのは、禍々しいオーラを纏った人型のモンスターだった。頭には豪奢な王冠を戴き、まるでこの世界の支配者気取りだ。




 そいつは俺の姿を認めると、何やら長々と、難解な言葉で説教を垂れてきた。だが、その言葉の半分も俺には理解できなかった。




 もし隣にアリスがいてくれたなら、彼女がその意味を解き明かしてくれたかもしれない。




 アリス……。




 その名を思い浮かべた瞬間、胸が締め付けられるような寂寥感に襲われた。この世界では、彼女に会うことは叶わない。 その事実を改めて突きつけられた。




 そして、その感傷を呼び起こした目の前のモンスターに対する怒りが……静かに込み上げてきた。




 俺は、腰に提げたマチェットを抜き放ち、王冠のモンスターへと投げつけた。


 マチェットは鋭い風切り音と共に宙を舞い、正確にモンスターの首を刎ね飛ばすと、再び俺の手元へと戻ってきた。



 城のモンスターを殲滅し終えると、玉座の背後に、突如として転移ゲートのようなものが現れた。



 なるほど、知恵だけは回る雑魚モンスターが考えそうな、姑息な罠というわけか。俺はそれに構わず、王冠モンスターの首を土産に人里へと戻り、城の脅威が去ったことを報告した。




 村人たちは、俺の持ち帰った首を見て驚愕し、そして歓喜した。そのモンスターは『マジン・ノクビー』と呼ばれ、この地方では長年恐れられていた害獣だったらしい 。



 その夜、村では盛大な宴が開かれ、俺は英雄として、心のこもった料理と酒でもてなされた。彼らの笑顔を見ていると、この行動が間違いではなかったと、心から思えた。



 それから、どれほどの時が流れただろうか。この異世界に来てから、体感としては十年近い歳月が経過したように思う。



「この世界は、あまりにも広大だ。魔神とやらの手がかりは、未だに掴めない」

 


 マジン・ノクビーを討伐してからというもの、この地方ではモンスターの襲撃や人間同士の争いもなく、比較的平和な日々が続いていた。



 魔神の気配は依然として感じられないが、焦りは禁物だ。あまり性急に事を進めて、準備不足のまま魔神と遭遇してしまっては元も子もない。



 俺は人里に木材を運ぶ傍ら、周辺の森で悪さをするモンスターがいないかを見回り、少しでも怪しい気配を感じれば片っ端から狩っていったが、その中に魔神らしき存在はいなかった。




「魔神のことは気になるが、今はただ、己を鍛えることに集中しよう」




 俺は再び山に籠り、木を切り、斧を振るう日々に没頭した。もちろん、俺が斧を入れるのは、成長が止まり、森の再生を妨げている老木や、他の若木の成長を阻害するような木のみに限定している。



 たとえ虚構の世界であっても、生命力に満ちた若木を無闇に切り倒すのは、木こりの矜持が許さない。



 俺は来る日も来る日も、木を切り、木を運び、木と向き合い続けた。だが、俺一人がどれだけ木を切り倒そうとも、森全体の成長速度には到底追いつけない。



 つまり、一振りの斧で一本の木しか切り倒せないようでは、いつまで経っても一人前の木こりとは言えないのだ。その事実に気づいた時、俺は新たな境地へと足を踏み入れた。



 俺が対峙しているのは、単なる一本一本の木ではない。この星そのものなのだ、と。



 草木は大地に根を張り、大地は生命の死骸を糧とし、そして生命は草木によって育まれる。



 この壮大な生命の円環、その中心にこそ、星のエネルギーが存在する。つまり、木と向き合うということは、この星そのものと向き合うことに他ならない。




「なるほどな……。はは……俺の相手は、この星だったというわけか」




 自分が挑もうとしている相手の途方もない強大さに、俺は改めて気づかされた。



 だが、ここで怖気づくわけにはいかない。この程度の壁を乗り越えられなくては、魔神を倒すことなど夢のまた夢。



 そして、魔神を倒せなければ、アリスの待つ元の世界へ帰ることも、彼女を守ることもできない。そんな力では、何の意味もないのだ。



「まだまだ俺も、未熟者ということだな」



 さらなる鍛錬のため、俺はより過酷な環境を求めた。凶悪なモンスターが跋扈し、人間が足を踏み入れることすら稀な、手入れのされていない原生林の奥深く。



 そこは、木々が密集し過ぎて太陽の光もろくに届かず、寄生植物が蔓延り、木々は痩せ細り、まるで森全体が病んでいるかのような場所だった。




 そんな森の探索の途中で、強固な封印が施された巨大な洞窟を発見した。何者かが、何かを恐れて封じ込めたのだろう。俺は、その古びた封印の扉を斧の一撃で破壊し、洞窟の奥へと進んだ。



 最深部には、この世のものとは思えぬほど巨大なモンスターが潜んでいた。その体長は数十メートルを超え、まるで巨大なタコの化け物のような姿をしている。



 無数の触手が蠢き、その先端には、タコの吸盤ではなく、それぞれ異なる色をした不気味な瞳がびっしりと張り付いていた。




 戦いは熾烈を極めた。斧で片っ端から触手を叩き切り、何度も何度もその巨大な頭部を叩き潰しても、奴は即座に再生し、攻撃を仕掛けてくる。




 途中、奴は人型の形態へと変身し、何やら難解な哲学めいた言葉を語りかけてきた。だが、所詮は畜生の戯言に過ぎない。俺には、奴の言葉を理解する気も、聞く耳もなかった。



 俺はただひたすらに、何度も蘇るそのモンスターの頭部を、斧で打ち砕き続けた。



 三日三晩、飲まず食わずで斧を振るい続け、ついに奴はピクリとも動かなくなった。




「やはり、これも魔神ではなかったか……」




 その強大な力から、もしやと思ったが、どうやら違ったようだ。だが、この戦いを通じて、俺はまた一つ、新たな力の片鱗を掴んだ気がした。



 それは、まだ言葉にはできない、感覚的なものだったが。



 この修行の地は、かつて魔王が語った「星の種」の力を解放・統合するプロセスと深く関わっているのかもしれない 。



 俺の木こりとしての技術、自然との調和、そしてアリスへの想い。それらが複雑に絡み合い、俺の中で新たな力として覚醒しようとしている。



 聖剣もまた、この異様な空間で微かな共鳴を示しており、その秘められた力が俺の成長を促しているのを感じる。



 俺は、この異世界での修行が、単なる筋力や技術の向上だけではないことを理解し始めていた。



 それは、俺自身の魂の在り方、木こりとしての生き様、そしてアリスへの愛を、より深遠なレベルで再認識し、統合していくための試練なのだと。

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