episode 1
突然、電話がなった。あいつか、と急いでとると、電話越しに嗚咽をこぼす声が聞こえた。
何があったか聞いたが、内容は些細なものだった。気にすることは無いと伝え、電話を切った。
定期的に来るSNSの通知。予告のない電話。それは概ねあいつからのものだ。
私とあいつは、微細な表情の変化やその態度から相手の感情を読み取れるほどの仲だった。勿論文章から読み取ることもできた。他愛もない話や相談事、何でも話せた。
ある日、好きな人と上手くいかないというメッセージが来た。内容は、いろいろなことを強制されてつらいというものだった。
そんな関係など止めたらどうかと提案したが、そんなことは考えられないとあいつは言った。相手にご執心だったのだ。
しかしその後も相手との揉め事は続いた。ちょっとした悪戯からどんどんエスカレートし、気付けばあいつの身体は痣だらけになっていた。その度に後で謝罪され、その一言であいつは全てを許した。たった一言の優しさだけを、生き甲斐とし始めたのだ。
さすがに違和感を覚え、離れることを強く推奨した。だがあいつにそんな判断能力はもうなかったらしかった。そうしていつしか私に愚痴をこぼすことも、想い人について話すこともなくなっていった。
あの電話は、そんな矢先にあった。今まで相手がしてきたことを考えると、正直大したことのない小さな問題だった。何故こんなことで泣くのだろうと、疑問に思うくらいだ。もっと酷いことに耐えてきたあいつなら、これくらい、また謝罪ひとつで乗り越えられるだろうとたかを括っていた。
しばらくして、夜、公衆電話から電話があった。ワン切りだった。心当たりもなく薄気味悪く思い、私は折り返しの電話をかけなかった。
夕食後、同じような電話があった。公衆電話からだった。またワンコールでは困ると、急いで電話に出た。聞き覚えのない女性の声。それはあいつの母親だと名乗っていた。恐ろしく震えた声で、彼女はこう言った。
あの子が緊急搬送された。
すぐに病院を聞き出し駆けつけたかったが、彼女の話はまだ終わりではなかった。あいつの身体中にある痣を見たのだろう、そのことについて何か知らないかと電話越しに詰め寄ってきた。
やはり私の思った通りだ。自室でこっそり手当するからバレないだろうとあいつは言ったが、そんなもの、どのみち隠しきれる訳がない。もうどうにもならなくなってから明るみになっても、手遅れだというのに。
母親の言葉の端々から、いかにあいつが彼女にとって大切な存在だったか見て取れた。だからこそこの突然の別れを理解できないのだろう。想い人との確執について何も知らないのだから無理もない。
なんでもっと早く気付いてやれなかったのだろう。あの痣は全て、愛の証でもなんでもなかったのだ。彼女は何度も自分を責めた。なだめながら、私は自分があの電話を聞き流してしまったことを思い出した。
翌朝、あいつの携帯に電話をすると母親が出た。昨日よりは落ち着いたらしい。居場所を教えてもらい駆けつけた先には、何のパスコードないあいつの携帯があった。指紋認証も顔認証もなく、すんなりと画面を開くことができた。
連絡先から想い人を探し出し、連絡をとった。話によれば、どうやらまだ病院等の情報は得ていないらしい。伝えようとすると、あいつの母親が止めた。それもそうだと思い、一度電話を保留にした。
母親はお相手と関わることを一切拒んだが、流石に通夜や葬儀には呼んだほうが良いのではと私は言った。亡き人を偲ぶなら、贖罪の意識があるのなら、それを証明してほしかった。
私はもう一度お相手に電話をかけ、こうなった原因や日取りなどの要点だけを述べた。私は大切な人を失って少なからず動揺しているというのに、相手は特に慌てることもなく落ち着いた口振りだった。それがやけに癪に障り、私は自分の電話対応を棚に上げて相手をこき下ろした。その途端、一方的に電話を切られた。ツーツーと音が鳴る携帯を強く握り締め、私は大声で叫んだ。
読経が始まってから、途中入場してくる者がいた。どこかで見たことのある顔だった。それは写真でよく見せてもらったあの人、あいつの想い人だった。
そいつは後方に静かに座り、坊主が去ると前へと焼香しに行った。帰りにあいつの父親と一言二言話すと、何を話したのか、父親は激昂した。
それなら何故助けてやらなかった、なぜ気づいてやらかったのか、本当にこの子が好きだったのか。相手に怒鳴り散らしながら、今にも飛び掛りそうだった。
私は棺桶に花を手向けた。首元や袖口からのぞくその痣が、痛々しかった。
見えなくなるように服を整えると、坊主が蓋を閉め、出棺した。
あいつへの後悔が、ひしひしと、私の中に染み渡った。
見知らぬ電話 もなか @monakalover
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