第23話
しかし、レウムはほんの少し苦い表情を浮かべて彼らに背を向ける。どうかしたのか問う前に彼の方から少し席を外したいと切り出された。そして、返事を聞く前に彼はすぐに本棚の合間へと消えていく。
「ばつが悪いんだろうよ」
エレオスが言う。ヴェーチェルも苦笑しつつ同意した。それもそうだ、彼らはこれからレウムをここに閉じ込めた一派と連絡をとるのだから。
あの時のことは仕方がない決断だと心ではわかっていても、自身の境遇を恨めしく思う気持ちもあるのだろう。彼は三人にわりあい好意的に接してくれたが、それが彼の心からの態度であると言い切ることはできない。現在のコバルティアを造り上げるために、旧階層にはたくさんの人が取り残された事実。それを何があってもけして忘れてはならないこと……。
その時、ヴェーチェルの手にした通信用の魔法具が淡い光を放った。
「あ、つながったよ」
《その声はヴェーチェルですか?よかった、なかなか連絡がないので心配したのですよ》
今どちらに?と心配そうに訊ねてきたのは通信相手のフィリオ。ヴェーチェルは彼に三人とも無事だと告げてから現在旧階層にいるということを話した。
《……では、蝋燭の話は聞きましたね》
「ええ、旧階層のものは貴方が作ったのだと聞きました」
誰からとはお互いに口にしなかった。すると、通信越しにフィリオがフッと薄く笑う気配がする。
《これからどうするおつもりですか?》
「まず、灯明の復元に当たります。僕らはこの灯りのことを何も知りませんから、作成から運用までの過程を踏んでから課題を洗い出したいのです」
「でもそれをするには材料が必要だ。ところがこの植物は《薬草園》でも見たことがない」
「元々地上に自生してる植物らしいが、それでもある程度安定した量が収穫できてたから使うことにしたんだろ?どこにあんだよ、この《ロウアメ》とやらは」
三人が口々に応えると、フィリオはしばらく沈黙した。
《…今『地下動植物図会』は開いていますか? 最後のページに地図があるでしょう?》
「《温室ヘ到ル路》?」
《ええ。ジズの管理する《薬草園》と並ぶ重要拠点。それが《温室》。《ロウアメ》はそこにあります》
フィリオが続けて言うことには、《ロウアメ》は地下に適応した植物ではあったが、現在のコバルティアの居住区域では発育が悪く、蝋燭を安定供給するために十分な量をまかなえなかったのだという。しかし、場所によってかすかに太陽光が差し込む第一廻廊に《ロウアメ》の群生地が発見され、生育には適度な光と適切な温度に保たれた空間が必要ということが判明。そこで作られたのが《温室》であるという。
主に太陽光を必要としない植物を管理する《薬草園》に対し、《温室》で管理する植物は適度な光と温度管理が必要なものであるらしい。それを聞いていたジズはふと自分が《薬草園》に造った温室に今度は光源をつけてみようかとぼんやり考えた。
「それで、その《温室》とやらにはどうやって行くんです?この地図の地形、全く見たことないんですけど」
《……お待ちなさい。まさかあなたたち、《温室》行こうというのですか?》
「もちろんです、だって材料もありませんから」
即答するとフィリオはまた黙り込んだ。どうするべきか判断に迷っているのだろう。ややあって、彼は《温室》には旧階層の図書館奥にある抜け道から行けること、ただし打ち捨てられて長いから安全の保障はできないということ、そして最後にそれでも行くかと釘をさされた。
「愚問ですね」
ヴェーチェルはエレオスとジズを振り返った。エレオスの方は心底嫌そうな顔をしていたが、それでもなにも言わないのは異議はないと言うところだろう。
《あなたたちの意思はわかりました。先程も申しましたが、《温室》は第一廻廊にあります。あなたたちが今いる図書館はコバルティアの三階層と四階層との間に位置していますから、《温室》に至るにはそこから再び上を目指すということ。万全の状態で挑むことをおすすめします。…………それでは、ご武運を…》
フツリと光が消えた。声はもうない。ヴェーチェルは魔法具をしまってから二人を振り返った。どうする?と首を傾げるので、どうするもなにも行くのだろう、とジズは返す。エレオスは相変わらず嫌そうな表情を顔に貼り付けていた。
「やめた方がいい」
そう言ったのはいつの間にか三人の背後に立っていたレウムだ。驚き言葉を失う三人にレウムはもう一度、やめた方がいいと口にし、今度はやめてくれと続ける。その表情は悲痛が色濃く、声色は強い。まさに必死の形相だ。言外に行かせたくない、という思いを強く感じた三人は互いに顔を見合わせた。
「あの抜け道は危ない。まだ有毒ガスも浄化しきれていないうえに、凶暴化した地下生物が蔓延っている」
「はっ!そんなんに怖じ気づくとでも思ったか?生憎、修羅場には慣れてんだよ」
嘆息混じりにエレオスが口にすると、レウムは唇をギュッと噛み、それから小声でなにかポツリと口にした。どうやら、わからず屋、と言ったらしく、それを耳にしたエレオスの眉がピクリと動く。しかし、言い返そうとする彼の言葉にかぶせるようにレウムは言う。
「君たちはあのガスの凶悪さを知らないから言えるんだ。コバルティアの連中が逃げ出すぐらいの濃度だよ?」
ガスは例え呼吸をしなくとも皮膚などから侵入する。そうしてじわじわと毒に蝕まれ亡くなった民を見てきたレウムだからこそ止めるのだろう。だが、だからといって引くわけにも行かない。こちらもコバルティアの命運がかかっているのだ。
「じゃあ俺が行く。たとえ有毒ガスでも、俺みたいに耐性があれば話は別だろ?」
「ダメだ、それでは君の命が縮んでしまうだろう。刺青持ちは他の民より短命なことは理解しているはず。どうしてそんなことをするんだ」
ジズの言を到底理解できないと言わんばかりに首を左右に振るレウム。彼がこちらを案じているのはわかった。しかし、それを振りきってでも行こうとする理由、それは……。
「決まってるだろ、生きるためだよ」
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