第22話


【灯明】


 『動物や植物からとれた油脂でできた《蝋》を灯心となる紐などに巻きつけたもの。紐には油を染み込ませており、これに火をつけて照明として利用される。

 コバルティアで使われている蝋燭は《ロウアメ》という植物の果実部分を使用しており、燃焼時に発生する煙も少ないという利点がある。以後これを【灯明】と呼ぶこととする。製法は以下のとおりである……。』





ふと羽ペンが止まる。どうしたのかとペンの持ち主を見ると、彼もまたこちらを見ていた。

 「これ、書く意味ありますか?」

 不服そうな表情。彼はどうやらこれを書くことがよほど不本意であるらしい。

 「あるよ。私は蝋燭の作り方を知らない」

 「僕が知っています。それでは駄目なのですか?」

 「駄目だよ。もしも君がいなくなった時、誰が作るの?」

 「そんなことしませんよ、レウム。僕らが君を置いていくことなんてあり得ません。……さては、僕を信じていませんね?」

 「君のことは信じている。でも、君の意思はそうでも、そうならないことはいくらでもある。ここに流れ着いた者たちは皆そうだ。だから万が一のためにちゃんと書いておいてほしい」

 「万が一など、ありますか?」

 「もちろん、ないと信じているよ」


 そんな会話をしたのはもう何年前の話だろうか。昨日のことのように新しく、遠い昔のような懐かしさ。


 「でもね、万が一っていうものは起こるものなんだよ、フィリオ。私たちが望めば望むほど上手くできないように世の中はできている」

 そう、不運なことに万が一は現実になってしまい、羽ペンの彼は今ここにはいない。灯明を作れる者は旧階層にはもうおらず、作り方は彼の記した本のみで知ることとなったのである。

 固有魔法の使い手であるレウムは魔法陣の描き方を知らなかった。火を灯す魔法も、それを燃やし続けるための魔法も…。残った灯明に描かれた魔法陣と本のそれとを見ながら描いてはみたが、所詮は見よう見まねである。魔法は当然のごとく発現しなかった。灯明は図書館を除くほとんどを使い切り、有毒ガスの浄化のために植えた夜光草が光源となる。仄白く光る幻想的な空間と言えば聞こえはいいが、灯明の灯りを知る者からすればこの明るさで生活することはとても不便であったろう。

 それに夜光草は植物だ、いずれは枯れる。 そうすればコバルティアは暗闇に閉ざされ、今度こそ生活の目処が立たなくなるだろう。だが、灯明は旧階層を切り離す原因をつくったもの、何の対策もせずに使うことは望ましくない。

 「逃げて逃げて、ようやくたどり着いた先でも私たちは引き離される。ふふ、まるでおとぎ話のようだ」

 おとぎ話ならば必ず始まりと終わりがある。始まりが別れならばどんな終わりが待っているのだろう。願わくは、また君に会い暖かい光を目にすることが叶いますように……。

 






 本の壁から抜き取ったそれが山となって積み上がる。それをとんでもない速さで読み進めるのはヴェーチェルだった。彼は見たものは忘れないという抜群の記憶力を持っていため、紙面に目を滑らせればあっという間に内容をおぼえることができふのである。

 「ねぇ、レオ。そこの本棚の『地下動植物図会』とって」

 「相変わらずとんでもねぇな、お前の記憶力はよ」

 苦笑するエレオスの隣でヴェーチェルは早速差し出された本を開く。調べているのは《ロウアメ》という植物、灯明の原料である蝋の生成に必要不可欠なものだった。

 この旧階層に着いて早二日が経った。灯明について何も知らなかった三人は、まずは灯明の元となった蝋燭というものを作ってみようと考え、それぞれに調べものをすることになった。ジズの読んでいた魔法の理論が記された本は譲ってくれるそうなので、一先ずは灯明について知ることを優先しようということになったのである。

 「これが《ロウアメ》か。見たことない植物だね。ジズんとこの薬草園にもないでしょ?」

 「ないね。……そもそも、これって草?それとも木?」

 「木じゃねぇのか。この絵の枝ぶりと幹の太さからして」

 三人は図会に描かれた細長い枝と小さな実を持つ《ロウアメ》を見ながら口々に言い合った。太陽光が届かない環境で育つ植物の種類は限られている。地下に大樹と呼ばれるようなものが存在するはずもなく、最も植物の自生する薬草園でも草花の中に低木が点々とあるばかりだ。図会のように彼らの身長をはるかに超える木を見たことがあれば誰しも印象に残るはずである。

 「《ロウアメ》は本来地上で育つ植物だ。翅虫たちの花粉の受粉だけでなく、太陽光を浴びる必要があるから。コバルティア近くの廻廊ではまず見つからないよ」

 彼らの疑問に応えたのはレウムだった。なるほど、見たことがないはずだ。 

 「でも、地下にもあるから灯明が作れていたんでしょ?どこに生えてるか知ってる?」

 「知らない。私は君たちのように《探索》に行くことはなかったから。生態から考えるならば、地上に近い廻廊の一角にならあるかもしれないけど」

 追加の質問にさらに応える。それもその通りであるが、気になることもある。

 「その頃はまだ追われてたんだろ?地上に近づくのはあぶねぇんじゃねぇか?」

 「いや、でも蝋燭を作り始めた頃は追手の気配もなくて、比較的地上に出ていた。この旧階層を捨てることになった火事の日まで、不思議なぐらい追手の侵入はなかったんだ。だから、地上に出た探索の連中が追手に見られて入口がばれたんじゃないかって話もある」

 「じゃあ地上にある可能性もあるの?」

 「さてね……。でも、追手がなかったとはいえホイホイと地上に出るほど開祖たちもバカじゃない。安定供給が見込める場所ぐらい確保していたはず」

 「ここは一つ、本人に聞いてみるしかないね」

 そこでヴェーチェルの鞄の中から取り出されたのは通信の魔法具。そうだ、矢継ぎ早に展開していくものだからうっかりしていたが、まだコバルティアに残る族長たちに連絡もしていない。妙案だとエレオスとジズも賛成した。

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