第17話



 結界は《式》である。正確な《式》を立てれば護りは強固なものになり、正確に解けば安全に鍵を開けることだってできる。しかし、《式》を立てる以前にまずは《式》の理を読み取り解けなければならない。これはコバルティアの神父の必修事項だ、心して励みなさい。



 「くっそ……。ずいぶん紛らわしい《式》立ててくれるじゃねぇかご先祖サマよ」

 口にくわえた飴棒に歯を立てながら忌々しそうに呟くエレオス。彼の視線の先には無数の紙が散らかっており、紙面は真っ黒になるほど大量の紋様に埋め尽くされていた。

 「散らかし過ぎだよレオ、もうちょい何とか……」

 「うっせぇな。…おい、さわんなよ?それ並べてあるから」

 「これで!?」

 「しかたねぇだろ、ここせっまいんだよっ」

 長い時間をかけて階段をくだった先の踊り場にレウムが用意してくれた敷布を引き、その上に紙を広げて《式》の解読に挑む一行。鍵が開かない以上、一度上に戻ることも考えたが、エレオスはその体力を思考に費やしたいと言って今に至る。ここの昇降に慣れているレウムは住まいに戻り、必要なものを持って降りてくる役回りとなったのだった。

 それから半日は経ったろうか、式を組み立てるエレオスの周りには無造作に置かれた紙が散らばっている。きれい好きで整頓好きなヴェーチェルは驚き固まったが、どうやら独自の法則に従って並べたあとらしいので黙って手を引いた。

 「ヴェーツ、ジズ。この式にこれ代入して解け。答えが1ならここ、2ならここ、3はそっち、それ以外はこっちに置け」

 「わかった。他にも必要な式があったらこっちに紙回して」

 対するジズは目の前に広がる光景に驚くことはなかった。すぐに鉛筆を取り出して紙面にしゅるしゅると滑らせる。あっという間に解いてエレオスに渡すと、受け取った彼は渋面をこしらえつつ、次も頼むと別の紙を渡してきた。ああでもないこうでもないと頭を捻る彼の傍らでひたすらに計算を繰り返す二人。すると、だんだんある種の法則のようなものが見えてきた。

 「1も、2も3も、でないね。解として存在するの?」

 「なかったら指示してねぇよ」

 「こっちも4と5ばっかりだけど」

 そう、エレオスが指定してきた三つの数字がジズの解いたものにもヴェーチェルが解いたものにも全くないのである。十枚、三十枚、五十枚解いてもだ。さすがにここまで来ると疑ってしまうのも無理はない。すると、一際大きな紙をにらみつけていたエレオスがポツリと溢した。

 「それはダミーだ」

 「ダミー?」

 「なんでまたそんなものを……」

 「簡単に術を解かないために決まってるだろ。考えてもみろ、他者に漏らしたくない大きな秘密を針金で簡単に開けられるような扉の向こうに隠すか?」

 この封印はそれぐらい強力で、何がなんでも死守したいようなものがあるときに使われるのであるという。

 「この《エヴィルノ・カーシェ》の厄介なとこは魔法陣を何個も重ねてあるところなんだよ。解式方法は一つ、全く同じ魔法陣を重ね合わせることだ。そのためには重ねられた魔法陣一つ一つの正確な形、書いた順番、重なってる位置とか、寸分の狂いもなく再現しなきゃならない」

 「じゃあこの作業は書かれた魔法陣の順番の洗い出し?」

 「……の前、書かれた魔法陣そのものの洗い出しだ」

 エレオス曰く、魔法陣の基本原理は図形と四則演算と方程式、その三つの応用なのだという。例えばなんの力も持たない一つの円があったとして、そこにさまざまな図形を重ねるとしよう。複数の図形を加えては積み重ね、割っては減らしていくと、不思議な紋様が浮かび上がってくる。そうして現れた一つの紋様が魔法陣なのである。図形によって対応する魔法効果は決まっている。それらを組み合わせることで、図形同士の相互作用が働き一つの術が完成するのだという。

 「そもそもなんの図形を組み合わせて魔法陣が書かれてるのかがわかんねぇんだよ。バカみたいな個数の陣を重ねてるからな。それを明らかにしないことには順番どころの話じゃねぇ」

 「それが僕らの解いた式がダミーだっていうことにどう関係してくるの?」

 「解が4以上のものは全部目眩ましの魔法陣だ。この扉を閉めてる結界には直接関係ねぇんだよ」

 つまり、解式の時にこれらの魔法陣を重ねたままでは《エヴィルノ・カーシェ》の正確な形を導き出せないということか。

 「でも、レオは《エヴィルノ・カーシェ》の正確な形知ってるんでしょ?それを書いてぶつければ開くんじゃないの?」

 「基本形はわかっても書いた順番まではわからねぇんだよ。順番までは指定されてないからな。それにこの魔法陣の威力を高めるための補助魔法陣が組まれてる場合は、そいつもぶつけなきゃなんねぇ」

 「なるほど、レオが嫌がった理由がようやくわかったよ」

 ヴェーチェルは頭を抱えた。確かにこれは恐ろしく時間がかかる。

 「そうかよ。じゃあ辞めてもいいか?」

 「駄目」

 ニコッと微笑みかけるヴェーチェルを見てエレオスは苦虫を噛み潰したような表情をこしらえる。わかっていたことではあるが、ここまですっぱりと切られてしまうと文句を言う気にもなれない。盛大なため息をついたエレオスだが、ふと目の前の紙の山に新たな式を見つけて目を見開く。

 「おい!これ解いたの誰だ!?」

 「え?俺だけど、何?」

 それまでのやり取りにほとんど口をはさまずに黙々と式を解いていたジズがきょとんとした表情をする。ジズが先ほど解いた式の解は1、それはすなわちダミーではない魔法陣が一つ見つかったということ。

 「でかしたジズ!!ようやく一つ、見えたぜ」

 

 


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