第13話
それから一月以上経っても火の勢いがおさまる気配はなかった。二月、三月、半年と経っても事態は好転するどころか、むしろ悪化の一途をたどっていた。火事によって発生した有毒なガスがじわりじわりと第七階層へと侵入してきたのである。このガスの恐ろしいところは無味無臭、そして毒に遅効性があるところだった。
開拓されてから十年そこらの地下都市に空気を循環させるための空調設備が満足に整っているはずがない。姿の見えない敵が侵食してきていることに住民が気がついたのは、不幸にも何十人もの死者が出てからであった。
有効な手立てが打てないまま月日は過ぎる。半年、十ヶ月、一年、二年…。じわりじわりと侵入してきたガスはもう第四階層まで到達していた。このままでは状況は悪化するばかりだ。やむなくコバルティア上層部は第四階層の八割を打ち捨てることを決断したのである。
だが、地下の開拓には途方もない労力と時がかかる。最悪の場合、新たに開拓した空間にも万が一が起こるかもわからない。そこで、コバルティア上層部は水と浄化を得意とする魔導師全員を旧コバルティアに残し、火の消火と有毒ガスの浄化を命ずることになった。そして既にガスが侵入してきていた第四階層の一部を封じ込めてガスの侵入を絶ったのだった。現コバルティアには第四階層奥に不自然な土の壁があるのだが、あれがまさに旧階層を切り離した時に造られたものなのだという。
その時封じ込められた壁の向こうに取り残されたのがレウムを含む魔導師二十三人。水と浄化を得意とするというだけで閉じ込められた彼らは貧乏くじを引かされたといっても過言ではなかった。 それでも彼らは逃げ出した者たちの安息の地を守るため、身を粉にして働き続けた。
岩壁、地面、天井…。彼らは目が覚めている間ずっとありとあらゆる場所に浄化のための魔法陣を描き続けた。疲れはてて寝ている時も、地面を指で引っ掻いてずっとずっと……。
あの光景は今でも鮮明に覚えている。うわ言のように詠唱を繰り返す魔導師たち、震える手でいくつも描かれた魔法陣。あれは、安息の地には程遠い、苦しみに満ち充ちた人生で最も悲しい風景であった。
†
そこまで語って、レウムは一息ついた。
「彼らのおかげで、ここまで鎮火した。まずはここまで。なにか聞きたいことは?」
「……つまり、灯明の正体はただの《火》の魔法だったってこと?」
「そうだよ。半永久的に灯り続ける術式を練り込んで作った燭を用いた灯り。それが《灯明》。 むしろ何だと思っていたの?」
私はてっきりその燭の作り方について根掘り葉掘り聞かれるのではないかと思っていたんだが。
言葉の通り、お茶をすするレウムはとても不思議そうな表情をしていた。
「君たちの聞いてきた歴史でも《大火》って言われているんでしょ?火以外に何があるのさ」
「図書館の本で火の存在は知っていたけど……。まさか本当に火がコバルティアにあるなんて考えてもみなかった」
また大火は一月で鎮火されたと記録にはあった。しかし、レウムの話ではもっと長い間燃え続けていたという。そんな大火を起こすような火種はコバルティアにはない。それに火を使える魔導師もいない。火を灯すことが不可能だから夜光草を育てるようになったのだと、少なくとも三人はそのように考察していた。だが、レウムは首を左右にふって否定した。
「コバルティアを切り離さなければならないぐらいの大火だ、そんなにすぐに消えると思う?その大火によって恐ろしさを目の当たりにしたからこそ、火を扱うことをやめたんだ。誰も使っていないだけで、使えないわけじゃない」
「でも、ここにだって火種らしきものは何も…」
「それは単に私が火を使えないだけだ。灯明を作った魔導師はまだ存命だろうから、君たちの住んでる場所にだって火を灯すことはできるはず。……君たちもしかして、火を見たことない?」
その問いに三人は小さく頷いた。そう、灯明がなくなり夜光草咲き誇る地下で生を受けて育ってきた彼らは火というものを知らないのだ。
「火を知らない世代の遺児たちか……。じゃあ魔法の式も理論も習ってはないの?」
「知らない、魔法は感覚で使うものだってずっと教えられてきたから」
「誰に?」
「族長と、あとフィリオっていう側近…」
「なるほどね……」
レウムはそう意味深な返事を返した後、その意図も告げないまま話を続けた。
彼曰く、コバルティアの開祖たちはあらゆる魔法に精通した者たちで、どんな属性の魔法も使いこなせたのだという。ここに来たとき、まだ子供で見習いの魔導師だった彼は、魔法理論を学ぶ前に師と共に国を飛び出してコバルティアに行き着いたらしい。故に、使える魔法の種類はわずか、特技は幼少期に花屋で働いていた経験から植物を育てること。それぐらいしか能がないのだという。しかし、だからこそ旧コバルティアの守護と夜光草の栽培を任されたのだと。
「夜光草って、結局なんなの…?すぐに枯れちゃうし、繁殖力そんなにないよね。地上にもあるの?」
今度はジズがおそるおそる口にした。火のなくなったコバルティアを照らし続ける唯一の灯り。咲き誇る花からもれる青白い光が彼らの手にある器をキラキラ光らせる。
「地上にはないよ、必要がないもの。夜光草はコバルティアの灯りとするため、私が品種改良を重ねて作った花だからね」
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