第10話

 青年のスラリとのびた足、その右太ももをまん丸なネズミが登っている。否、あれは刺青だ。灰白の髪に刺青を持つ者、それはすなわち彼の出生がコバルティアであることを示していた。それも自分たちと同じ、稀有な力を持つ刺青持ちの……。

 「ようこそ、《灰の遺児》 たち。私は《灰鼠》 レウム、この旧階層の守護者」

 「守護者って……」

 火災とガスの充満で人が住めないと判断され打ち捨てられた旧階層。彼はその中でどうやって生きてきたというのか。三人が揃って絶句していると、レウムと名乗った青年はそうなるだろうね、と頷いて見せる。

 「立ち話もなんだし、私の住処に案内するよ。君たちが求めているものの話も、そこでね」

 彼はそう言いつつハサミを取り出し、夜光草の花を葉と共にいくつか摘み取っていく。それを腰にある花籠にそっと入れ、今度は手にしていた箱から出した別の夜光草の芽を岩壁に挿し始めた。

 「何してるの?」

 「挿し芽。……あ、ちょうどよかった。君たちも手伝ってくれないか?」

 思いついたようにレウムは箱から取り出した夜光草の芽を三人に手渡してくる。ひんやりと冷たく水滴がついていることから、箱のなかに水を張ってつけていたらしい。

 「この岩壁、どこでもいい。土が見えていたらそこを軽く掘ってこの子たちを挿してくれ。固いところは駄目だよ、芽が痛むから。……ああ、上の方でもいいよ、私は手が届かないからむしろ上の方に挿してくれると嬉しい」

 「え、えっと…」

 「じゃあよろしく。私は向こう、君たちはこの辺り、いいね?」

 有無を言わさずにさっさと行ってしまうレウム。ポカンとする三人の視線の先で、レウムは先ほどと同じように挿し芽の作業を続けている。どうやらこの仕事を終わらせなければ話はできなさそうだ。どうする、とジズが二人を見るとヴェーチェルは困ったように笑った。

 「ジズ、足場つくるの、お願いしてもいいかな?」

 



 作業は予想以上に大変だった。空間を作るために天井となる岩壁は特に固く整備されており、レウムの言うように軽く掘り返すことは大変難しかった。あのあと手で掘り返せるぐらいの所に挿してくれればいいとも言われたが、そもそも手で簡単に掘り返せるわけがない。苛立ったエレオスが彼に文句を言ったが、でも天井の岩壁にも挿したいから頑張れ、と返された。そのあとの言葉は全て黙殺。エレオスの沸点はとうに過ぎていたが、ヴェーチェルがなだめては作業を続行、ようやく終わったのはそれから時計の針が一周半進んだ頃だった。

 「助かったよ、ありがとう」

 「それだけかよ」

 「これ以上の感謝を求めるのか?感謝はされるものであって、求めるものではない」

 正論で返されたエレオスは言葉をつまらせる。その顔は不満一色であった。レウムはそれに気がついたのか小さく息をついてから踵を返す。

 「疲れただろう?飲み物をご馳走しよう」

 そう言って歩き出した彼に続き三人は廻廊を下っていく。

 見れば見るほど第二廻廊にそっくりな空間。異なる点は夜光草がコバルティアのそれよりも力強く発光し、空間全体を明るく照らしていることだった。恐らくこれは自然に作られた環境ではあるまい。前を行くあの青年が地道に挿し芽を続けて作り出した、いわば彼の《庭園》とも言えるだろう。

 一体どのように育てたら、夜光草がこんなにもたくさん、また力強く発光し続けるのか。それはきっと彼が知っていて、彼の知識が現コバルティアを灯り切れから救ってくれるに違いない。そう期待して彼らはひたすら彼について歩いていった。

 やがて、暗闇の先に見たことのある重厚な扉が現れる。現コバルティアと同じ造りのそれ、その先が何かなんて誰かが言わなくてもはっきりとわかった。

 「……あ、それ苦しいでしょ?はずしていいよ」

 指差されたのは廻廊に入る前に装着した口面くちめん。それを受けて一番動揺したのはジズだった。

 「この先で、まだ火災がおさまってなかったら……」

 「平気。もう九割方消火されてるから」

 有毒ガスの心配をするジズの言葉を遮って軽く言ってのけるレウム。まだ信用しきれないジズがはずすことをためらうと、それが気に入ってるなら、まあいいけど、と今度は呆れたような口調で言ってくる。そうは言っても、はいそうですか、とすんなりはずせるわけがない。結局、扉が開くまで三人は口面くちめんをつけたままでいた。

 しかし、扉が開いた瞬間、彼らはそれが杞憂であったことに気がつく。

 「もう一度言うけど、それ、はずしていいよ。苦しいでしょ?」

 「どういうこと……?」

 言葉を失う三人のなか、真っ先にヴェーチェルが口を開く。そんな呟きが漏れるぐらい、扉の向こうの空気は澄み渡っていたのだ。さらに、岩壁一面をおおって煌々と輝いているものを見て三人はさらに驚く。

 「夜光草が、こんなに……っ!」

 「おい!ネズミ野郎!!なんだってこんなに夜光草がはえていやがるんだ!こっちは数が少なくなって苦労してるっていうのに!!」

 「ちょっと!落ち着いてよ、レオ!」

 ほとんど八つ当たりのような言葉を吐きながら今にも掴みかかりそうなエレオスをヴェーチェルが必死に制止する。それを受けたレウムは顔色も変えることなく、ただ静かに目を伏せた。

 「これを見て驚くってことは、そっちの夜光草はもう元気がないみたいだね。いいことだ」

 「はぁっ!?」

 「《族長》から聞いていないのかい?ここの夜光草がこんなに元気な理由。……簡単さ、彼らの生育に必要不可欠なものがここにはまだ残っているからだよ」

 そう、私たちを苦しめたあの有毒ガスが、ね……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る