第2章:旧コバルティア
第9話
†
その昔、大陸の発展と共に多くの地下鉱脈が発見され、各地で資源の採掘が活発に行われていた。しかし、危機管理がきちんとなされていない採掘場も多く、事故が起こる度に土地を捨てることを余儀なくされた者たちが路頭に迷ったという。
中でも地下で起こる火災は非常に危険である。まず消火すること自体が非常に難しい。地下空間は人間が留まる範囲とそこへ至るまでの道のみを整備しており、火はそこを通って燃え広がっていく。地下の限られた空気を消費し、地下水を蒸発させ、鉱石をも燃やしながら有毒なガスを発生させる。ガスに火が引火してしまえば大規模な爆発が起こる可能性も格段に高まる。こうなってしまってはもう手遅れだ、人の手で鎮火するには手に余る。魔法でどうにかしようにも大規模火災鎮火のために必要な人員は少なくとも数百は必要になるだろう。
仮に消火が成功したとしてもまだ問題は残る。地下水が蒸気として噴出されたことにより岩盤の崩落や最悪粉塵爆発も懸念される。とにかく地下空間は危険と隣り合わせなのだ。
コバルティアの祖先たちもこの地下火災の被害者であった。彼らが住んでいた旧階層も例に漏れず甚大な被害に見舞われ、苦労して開拓した地下都市の半分を捨てる選択をしたのである。
コバルティア旧階層を襲ったこの火災は前代未聞の大災害であった。犠牲者は住民二十三名、特に事態を深刻にしたのは階層に充満した有毒なガスであった。これを浄化しない限り、コバルティアは常に危険と隣合わせのままだ。ガスの流出を防ぐために旧階層を閉ざしたとはいえ、万が一があれば永遠に人の住めない場所となる。
気が遠くなるほど長い時間がかかったとしても、必ず浄化しなければならない。たとえ毒で身体が蝕まれ命が散ることになろうとも……。
†
真っ暗な道が続いている。左右の岩壁に植物は一つも見つからず、時折パラパラと細かな砂が流れ落ちてくる。足場も悪く、時折土に埋もれた石のゴツゴツした感触が靴底に響いた。少しの息苦しさを覚えながら三人は前へ前へと進む。
エレオスが使役する烏が辺りを照らしているはずなのに、道の先は全く見通せなかった。入口からずっとまっすぐに歩いて来ているはずだが、今自分たちがどこをどちらの方角へ進んでいるのか、どんな道を歩いているのか、全くわからない。そもそもここは道なのか、そんな疑問が生じてもおかしくないほど何も見えない。
「空気が薄いね」
「あんな風に入口を固く閉ざしてりゃ当然だろ」
地下生活が長いので多少空気が薄くても問題はない。その三人が若干の息苦しさを感じているのである。地上の人間ならばすぐに意識障害を起こしてしまうだろう。
「このままじゃまずいよ、二人とも」
「うん、非常にまずいね」
「悠長に言ってる場合じゃねぇだろ。この先に空気があるっていう確証もない。このままじゃジリ貧だぞ」
「困ったね、何かいい手はないかな」
ヴェーチェルはそう言ってからジズを振り返り、彼が持ってきている医療セットの内容を訊ねた。ジズは斜めにかけていた鞄の口を開けて中身を一つずつ確認していく。
種々の薬草、小さなすりこぎとすりばち、キセル、マッチ、針と糸、包帯、消毒液、手袋、
地下の道は整備されているとはいえ危険と隣り合わせである。万が一空気の供給のない場所に閉じ込められたとき、助けが来るまで命をつなげるようにと渡されているである。
「今回のセットはこんな感じ。空気のストックは二日分。帰りの分も計算しなきゃいけないから、今のところ苦しくなったときの使用に限定してくれると助かる」
万が一はないと信じたいが、危機が迫ったときのために空気はなるべくとっておきたい。その言葉にはヴェーチェルもエレオスも同意する。
「違いないね。とりあえず
「ご先祖サマが浄化の魔法かけたんだろ?ガスの濃度はどれぐらいなんだろうな」
「今のところガスの臭いはしないけど…」
口々に言いつつ注意深く足取りを進める三人。話しているうちにかなり奥まで来ていたようだ。周囲は相変わらず真っ暗だが、靴底に伝わる地面の感触がいつの間にか平坦で歩きやすいものに変化している。さらに進んでいくと、道の先が青白く光っており、心なしかそよ風のようなものに頬を撫でられる心地がした。
即座に先頭を歩くヴェーチェルが光源の烏を伴って光の方へと駆け抜けていく。瞬間、その足が突然止まった。
「二人とも!こっち!」
彼は驚愕の中どこか興奮したような調子でエレオスとジズを呼んだ。呼ぶということは危険はないと判断した二人が彼に追いつくと、眼前に広がる景色を見て思わず言葉を失った。
「これは、《廻廊》?」
青白い光の中浮かび上がったもの。それはつい先ほどまで自分たちが探索していた第二廻廊と瓜二つ。
「あれは…絡繰りだな。機動してねぇみたいだが」
廻廊を守る絡繰りたちも点在しているが、それらが動いている様子は見受けられない。本来の役割を忘れ、まるでオブジェのように佇む機体。駆動部分からは花が芽吹き、蔦は機体を包み込んで廻廊の岩壁へとのびる。その途中にも、到達した岩壁にも、あの絡繰りに芽吹く花と同じものが咲いていた。それも、青白く発光しながら……。
「……まて、あの機体から芽吹いてる花って、まさか」
「夜光草…?」
あの釣鐘型の小ぶりな花、見間違えるはずがない。それは確かにコバルティアの灯りとして重宝される夜光草であった。よくよく目を凝らすと、この廻廊を照らしているのは岩壁や地面などから芽吹いた青白く光る無数の夜光草ではないか。
「どうしてこんなにも……。コバルティアの夜光草は軒並み駄目だっていうのに」
そう、目の前に咲き誇る夜光草の花たちは、コバルティアで育てられているものよりもずっと大きく強く発光しているように見えた。
言葉を失い立ち尽くす三人、その背後から三人のものではない微かな足音が聞こえてくる。
「そこで騒いでるのは、誰?」
声。
驚いた三人が一斉に振り向くと、そこには自分たちと同じ灰白の髪のヒョロリと背の高い青年が立っていた。彼はジズの顔の刺青を見て、ああ、と声を漏らした。
「刺青の子達か。そろそろ来る頃だと思っていたよ」
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