十一 殊なる亡利山
「……まさかその首が喋ってるのか」
押し殺した男の言葉で、又兵衛は我に返る。蕗と向き合っているせいで侍たちの姿は見えなかった。その大きく見開かれた目に、再び刀を向けられたかと事態を察するのみである。
「やっぱり化け物でねえか!」
「……!」
返答に窮した蕗の顔が歪む。否とは言えないのだ。それは又兵衛も同じで、自分が普通の人間であると表明できる手立ては持ち合わせていなかった。
それでも、その場に「在る」からには又兵衛は娘を守らなければならない。
「んだなあ。おれは化け物かも分からねえ。はは」
「喋るな! 切ってやるぞ!」
侍は又兵衛が一言喋るだけで怖気付いているようだった。刑場にいた同心たちとは違い、人を切る場面を経験したことがないのだろう。決して距離を詰めてこない。あとのことはいざ知らず、又兵衛は其の場を凌ぐベくだらだらと口を動かした。
「おれはお
おずおずと蕗が首を回し、侍たちを向くようにしてくれた。彼らは大したありがたみもないことを話し続ける又兵衛をじっと見ている。まだ刀を握りしめているが、振り上げる胆力はなかった。しかし、この時間の浪費がいつまでもつだろうか。
東の空がみるみる白んでくる。又兵衛が倦みと焦りを味わったそのとき、一陣の風が吹いた。覚えのある肌触りだった。風は灰色に凝った塊となり、その中から一人の少年が現れる。
「そこまでだ。話をやめろ」
「今度はなんだ」
侍が悲鳴をあげた。すっかり酔いも覚めたらしい。刀をあげる気力もない男と、青ざめたまま提灯を握りしめている男に三森は顔を向ける。
「おまえたち。ここがどのような謂れのある山かまさか知らないの?」
「知ってて登ったに決まってるだろ! これは肝試しだったんだ」
「肝試しできていい山じゃない。ここには死者が集うと言われているだろう。それを蔑ろにして眠りを妨げるからこんなものを見るんだ」
三森は
「悪いなあ」
「生首が喋るな」
すげなく返した三森は青年たちに向き直り、あのどこか甘い声を低めて言った。
「教えてやる。誰にも口外するな。この山での肝試しは絶対に何か良からぬことが起こる。
だが、三森山に死者がいるから不可思議なことが起こるんじゃない。死者のいる山に生者が来るからおかしなことが起こるんだ。
これはどうすれば証明できると思う? 生者がいない時の山について知るものはいない。だから我が目で確かめようと思えば、生者が山に登る事になる。そうすれば確実に厭な目に遭う。こういう風にして不毛な試みが続くんだ。ここで肝試しなんて不毛だ」
「……じゃあ、お前は何者だ? なんでそれを知ってる」
侍は朗々と弁をぶつけてくる少年に食い下がった。三森は鼻で笑った後に眉根を顰める。
「おまえたち、僕に構う暇があるか。もう明けるぞ。ここから仕事場まで間に合うかどうかの方が大事じゃないか」
はっと二人の侍が顔を見合わせる。反射的に東を向けば、もう山の麓の霧もはっきり見えるほどの頃合いになっていた。二人は慌てたように納刀、あるいは提灯の蝋燭を消した。
「お、俺たちもう行かないと」
「総次郎
「それでいい。早く帰れ。北東の道を下りて
「ああ、勿論勿論」
二人の下級藩士は少年に気安く頷くと、山道を城下町のある方角へ駆け下りていった。あれほど緊迫していた空間が嘘のように静まり、堂の前には三森と又兵衛、そして又兵衛の首を抱えた蕗が残された。
「日常は稀有だ。どんな新奇なものよりずっと居心地がいいから、多少の不条理には砂を被せられる」
三森は藩士たちの消えた方を見てぼやいた。しかしその透明な瞳はさらにずっと遠くを見つめていて、彼ら以外の人間を、生者たちを捉えているようだった。
「なんでおれには、生きてる人間が見えてるんだ? お前以外は見えないんじゃなかったのか」
又兵衛は蕗の手に支えられたまま、人間離れした少年に尋ねた。彼は北の斜面を向いたまま、鬱陶しそうな声を漏らす。
「……この三森山は他と違う、特殊な山だ。ここでは他の里や山よりも
「死人の山なのにそんなことがあっていいのか?」
「だからこそ、だ。そもそも順番が違う。この山は紗膜の力が弱まってしまうからこそ、普段から生者と死霊を混在させてはいけない場所だ。それゆえ山中には死者だけを集め、
少年の顔がゆっくりと又兵衛たちを振り向く。無機質で色のない表情で、首だけの体を動かしている男を一瞥した。
「面倒を起こしてくれたな、又兵衛」
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