十 父娘

 地面の上の首と目が合った刹那、又兵衛の意識はその中に引き込まれていた。数瞬の失神のあと覚醒した彼は、まずはひどい体の重さに苛まれた。割れるような頭の痛みと耳鳴り。目を開けているはずなのに、何も見えない。

 しかし少しずつその混沌は澄み、先ほどまでと変わらぬ具合まで回復する。その時分になって、又兵衛には自身の置かれた状況を認識できた。胴と手足を失い、首一つとなっていることを。


 腕を、足を動かそうといくら念じても、無情なほど身動きが取れない。ただ骨もむき出しの首元に、底冷えのする夜の終わりを感じるだけだった。未知の感覚に怖気が走っていまにも狂い出しそうだというのに、頭はこれまでで一番明晰に動いた。

 今又兵衛に動かせるのは顔──目と口、それに表情というところだった。喉の存在も知覚できるが、胸がないので声を出せるかはわからない。何はともあれ試そうとすると、先の侍たちの低い声、そして忘れもしない抜刀の音が耳に入った。

 その軽やかで残酷な音を聞き、又兵衛は自分の身の外に意識を向けた。渾身の力で目を動かしあたりを窺えば、自分の首を持った少女が刀を向けられているのがわかる。


 彼女は又兵衛の首が自分を向くようわずかに持ち直し、ずいぶん年上であろう侍相手に幼いながらも説得を連ねた。

 少女が自分の娘──ふきであることに気づいたのは、彼女の必死の言葉によってだった。

 提灯と未明のほの明かりで浮かび上がった蕗は、最後に会った四年前の秋と比べて随分と大人びた顔立ちをしている。先ほど一目顔を見た時点ではわからなかったのももっともな話だ。そう思うことで一抹の後ろめたさに蓋をした。

 以前は刀の手入れの音にも怯えていたというのに、今や刀を前にしてひるむことなく気丈に振る舞っている。その凜とした声は、かつての比奈のそれにどこか似ているような気もした。


 お蕗、と思わず名を呼べば、誰よりも又兵衛が驚いていた。自らの出し得たおぼつかない声は、はっきりと他者の耳朶に触れたようだ。

 首が本当に又兵衛のものであるなら、三森みつもりが死霊だとか魂だとか言った姿はやはり仮のもので、肉体のなかに戻った今こそ本来あるべき姿なのかもしれない。そして元の体にいれば、こうして生者とも会話ができるのだ。


 又兵衛は娘と真正面に相対した。驚きと恐れの混じった顔をしているのは、侍たちだけではなく、このような姿で話し出した又兵衛のせいでもあるに違いない。申し訳ない思いも沸いたが、それよりも無量の懐かしさと喜ばしさに襲われた。


 笑いかければ、蕗も笑った。今際に思ったものよりも、ずっと力強く愛らしい笑みだった。

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