七 来訪

 未明だった。月も沈んだようで全くの暗闇。

 突然に聞こえた騒騒しい音に、又兵衛は飛び起きた。音がする。丸一日聞かなかった、自分以外の立てる音。


 だれかが、いる。


 すぐに反射で立ち上がる。体と頭の急な目覚めにそこかしこが軋みをあげた。本能的に危険を感じているのに、どうしたらいいのかわからない。又兵衛は立ち尽くしたまま、まなこを見開いて音のした場所を探した。

 ふいに遠くを赤い光が通り過ぎた。炎だ。そしてそれを中心にあの音が聞こえる。森の静寂を破って大きく響くが、内容は聞き取れない。ただ、酷く酔っているような乱痴気騒ぎの声だった。


 全身が総毛立つ。心臓が早鐘を打ったようにうるさく動く。

 木々の隙間から見えたのは、提灯を携えた二人の男だった。闇に包まれた森にとっては、慎ましい明かりは眩し過ぎるほどである。不規則に揺れる提灯のそばで、二本差しの柄頭つかがしらがぬらりと光った。


「な、なんで」


 言葉が零れ出てしまった口を慌てて塞ぐ。見えないのではなかったか。人も、死霊も。ここは自分一人しかいない山だと、そう思えとあの少年は言った。だがこれは、気のせいで済ますにはあまりにも生々しく立ち上がる現実で。

 二人分の声が又兵衛の方へと近づいた。そのまま堂を目指して直進してくる。向こうの声が聞こえるのであれば自分のそれもだろうと思い、又兵衛は息を殺して堂の裏手へ回り込んだ。二人がどんどんと距離を詰めるのが、草の薙ぎ倒される音ではっきりと分かる。


 ──そうだ、あいつは自分を呼べと言った。


 何かあれば、と。忙しいとも言っていたが、これはそれを上回る余程のことだろうと思われた。


「み、三森みつもり、三森。人がいる。早く」


 うるさく騒ぎ立てる人間の声に紛れる声量で、又兵衛は恥も外聞もなく少年に助けを乞うた。

 男たちは又兵衛が背にした堂の戸を躊躇なく開けて中を見聞しているらしかった。ガタガタと粗暴な音がする。

 その激しさ、そして姿を見ずとも伝わってくる、生きた人間の目が眩むほどの輝きに身が竦んだ。自らとは圧倒的に違う光を、二人が身の内から放っているように感じられる。

 又兵衛は恐慌の中で、生者と死者の違いをまざまざと見せつけられていた。


此処こごが頂上だが? まんず先刻さっけだ金峰きんぼより低くてつまらね」


「いや、頂上ではねえ。彼処あっこからまた登り道なのが見えねえか」


「ああ! ねがったねがった!」


 品のない大笑いをした二人は、又兵衛が寝床にしていた堂を通り過ぎてさらに斜面を登って行った。

 少年は、三森はまだ来ない。あるいは気づいていながらこの状態を放置しているのかもしれない。不安はどこまでも想像をかきたてた。

 提灯の明かりが山肌を伝う。光が遠のいていく。それがどうにも看過できなかった。もはや又兵衛には、山中の均衡を乱す二つの輝きが、提灯の火よりも暖かく惹かれるものとして映っていたのである。


 ──三森が来ねえから。あいつが来るまで、見張りが要る。


 心のどこかに後ろめたく思うところもあったが、思えば城の蔵に入ったときから理性には無視を決め込んでいたのだった。

 三森が来たら戻るから。そう下手な言い訳をして、又兵衛は忍び足で三つの光を追いかけた。

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