三 引導渡し

「これからどうしろと……」


 空ろな独り言を聞き咎めたのか、少年は又兵衛の眼前に掌を翳した。それから再び又兵衛の顔を覗き込むように顔を近づけ、薄い表情で彼の呟きに答える。噛んで含めると表現するには少々雑で、煩わしそうな口調だった。


「おまえは死者だから、決められた時期以外は人里にいちゃいけない。だからこれからおまえを山まで連れていく。着いたらあとは勝手にすればいい」


「山……?」


 惚けたように繰り返す。地獄でも極楽でもなく、山に向かうなどとは。いつぞやどこかで聞いたような気もするが、何だったかは思い出せない。そんな又兵衛の様子にれた風で、少年はせかせかと立ち上がって己が膝の土埃を軽く払いた。


「僕だっておまえにばかり構ってはいられないんだ。ほら、早く立ってよ」


「おお、おお。悪いわり


 先ほどよりも険悪な目つきになった──それでもあどけなさがそこはかとなくたちのぼるが──少年は、又兵衛が起き上がるのをただじっと待っていた。そして隣に並び立つと、又兵衛の節くれだった手を滑らかな掌で包んだ。


 ──温度がない。


 又兵衛は感じたことのない心地悪さを覚えた。少年の手は人のような温もりも冷たさもなく、辺りの風と同じ温度をしていた。だというのにその感触はいやに伝わってくる。他人に触られた感覚がいつまでも淡く肌に付き残るにも似るが、ずっと触れられたままであるのが歪だ。


「じゃあいくぞ。歩いてるうちは僕の手を離すな」


 少年は又兵衛の手を握って一歩、二歩と刑場の南、竹矢来と山の境目へ踏み出した。

 刹那、二人の周囲にはふわりと追い風が吹いた。大小の輪郭は渦を巻いた靄霞となって宵闇に混じり、忽然と刑場から人影は消えた。



 自分が靄の中に入っていることを知らぬ又兵衛だったが、猛烈な早さで何処かへ向かっていることは直感的に理解していた。歩みを進めるごとに、彼らを取り巻く風景が目まぐるしく移り変わったからである。

 先導する少年の歩幅が小さいので普段の徒歩かちよりずっと遅いというのに、馬で駆けるよりも速く移動しているらしい。


 坂道を下り、店が立ち並んで賑やかな一角を一歩のうちに通り過ぎる。不思議なことに、どの店にも灯りや色とりどりの品はあるのに、人はだれもいなかった。


 次の歩みで二人は河口の船着場に出ていた。日はとっぷりと沈んで、西の海の果てには残り火の色がほのかに残っていた。又兵衛はそれら一つひとつに瞠目し、歩みを止めそうになっては少年に睨めつけられた。


 さらにその次。二人は藩内随一の大川、最上川もがみがわのただ中にいた。下流ともなれば舟なしでは対岸までは到底たどり着けない幅と深さのはずである。それをあろうことかこの童は、中洲の砂利を裸足で一度踏むだけで暗い流れを渡りきってしまった。


「お本当にほんとで、人でないんだな」


 ついそう口にすると、少年の手に篭る力がきゅっと強くなった。しかしその表情は硬く動かない。


「ふん、ここまで来て今さら何を」


 声音で少しだけ、誇るような拗ねたような色が見えた。それがどこか年相応な子供っぽさを感じさせて、又兵衛は思わず笑んでしまった。歩み始めは大ごとのように言っていたが、手さえ話さなければ喋ろうが構わないようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る