継承か模倣


『ルパートの滴』。別名『オランダの涙』。


 400年前からも存在する、オタマジャクシのような形状のガラス。溶かしたガラスを水の中に垂らして急速に冷やす。ただそれだけで作られる簡易さでありながら、その頭部分は、銃弾を正面から受けて、弾き砕くほどの強固さを持つ。が、逆に尻尾部分はそれほど固くもなく、その部分を割れば全体から崩れ去る。


 このルパートの滴。古来から存在する割には、現代までその驚異的な頑強さは謎に包まれていた。いや、そもそも、ガラスというもの自体がいまだに、未解明な特性を有しているのだが。


 ガラスの原子構造は、液体に酷似している。普通、ガラスほどの強固さを持つ物質の原子配列は、整然と規則正しく並んでいるものだ。しかし、ガラスのそれは乱雑さを残している。この乱雑さは液体によく似ており、そうでありながら固体のような硬度を持つガラスは異色の物質と言えるだろう。


「刺すのはやめて、打撃にするの? いたぶるのが趣味かしら?」


 少女を倒す――殺すには、急所への瞬間的な大ダメージしかない。脳に記録された『異本』が効果を及ぼす前に、殺しきる。ならばこれまで通りにピンポイントで人体急所を狙い続ける方が勝率は高いはずだ。


 褐色メイドの周囲に、女性としては決して低くない彼女の身長よりも、やや大きめに生成される複数のルパートの滴を見ながら、少女は思った。客観的に。


「いたぶるなんて、とんでもない。殺すと決めれば、痛みを感じさせるまでもなく即死で。それがメイドとしてのスマートな殺人術だと心得ておりますの」


 まだ、初期位置から一歩も動いていない。その余裕さで、褐色メイドは言った。


「ですから、この現状はすでに、好ましくありません。いくら治るからといって、いたいけな少女が、こんなに血と肉を撒き散らして――」


 言葉通り、少女に及んだダメージはすでに、すべて回復している。それでも、一度部屋にばらまかれた血や肉は消えるわけじゃない。あるいは、少女の肉体とは別離している衣服。真冬ゆえに、纏った黒のロングコート。それを少女は脱ぎ捨て、うちからは、普段の白いワンピースが現れる。いや、いまとなっては穴だらけの、赤に浸食された一着だが。


「だから今度こそ、ひと思いに。この大きさサイズなら、少し躱したくらいで急所へのダメージは躱しきれませんの。スマートではないですけれど」


 言って、少し、笑う。それは、少女への死を宣告した故のものだったのか、それとも別の意味があるのか。


「まあ、スマートじゃないのはお互い様ね。……終わったら着替えたいのだけれど」


 少女は言って、自らの服装を顧みる。動きやすいようにとコートは脱いだが、ちょっとこれはひどすぎる。痛々しいし、それに……穴が開きすぎだ。


「お召し物でしたら、数部屋前で見たでしょう? クローゼットに多種ご用意がありますの。どうぞ、ご自由に。……まあ――」


 ここで死んだら、こちらで綺麗に、死に化粧をして差し上げますの。褐色メイドは、その言葉を皮切りに、攻撃を再開した。


        *


 涙滴型の頭部が、少女を襲う。オタマジャクシの形、とはいえ、ここで生成されたのは巨大な人間サイズ。その頭部の大きさも、けた違いだ。もし躱すことなく真っ向から受けたなら、少女の小さな体の、上半身すべてが一気に吹き飛ばされるほどの、サイズ感。それがその通りの蓋然性を持った速度で、少女の眼前に迫った。


 普通に受けきることは不可能だ。どう防御しようと、衝撃で脳髄が一挙に破壊されるほどの威力。だが、少女の目には、十二分に見えている。大きさが大きさだから、やや動きは大きくしなければならないが、躱しきることは容易い。


 だから、少女は慎重に躱し、その尻尾部分へ右腕で、一点集中の刺突を放った。前述の通り、ルパートの滴は尻尾部分が弱点だ。普通のものでも数十トン以上の圧に耐える頭部とは違い、尻尾部分はひどく脆い。そして尻尾さえ破壊すれば、うちに蓄えられたポテンシャルエネルギーが一気に解放。頑強な頭部も含め、全体から崩壊する。


「…………!!」


 目で見るだけで、少女は最初から気付いていた。サイズ感もさることながら、このルパートの滴は、褐色メイドの能力で作られた特別製だ。頭部に限らず、尻尾部分も十分な硬度をもっている。それを、指先が触れた瞬間、理解ではなく体感する。

 それでも、押し切る。瞬間的に指先を硬質化。腕に込める力も、筋力増強で強化する。


 パリイイィィ――――ン。

 美しく全体から崩れ去る。その大きさから当然と、大量のガラス片となり、部屋に散らばった。


「まあ、割りますわよね、これくらいは」


 褐色メイドは驚きもせず、言う。その言葉に対応するように、他のルパートの滴も蠢き、多方面から少女を襲った。


「これくらいは、ね」


 言葉とは裏腹に、少女は嘆息のように息を吐いた。


 硬い。見るだけで理解できるが、体感してみると受ける印象は変わってくる。壊せる。でも、思ったよりも反動が大きく、なにより、時間がかかる。それは、コンマ数秒の違いだ。しかし、高速で襲いかかる、即死級の攻撃を躱しながらだと、そのごくごく短時間のラグは、看過できない。


 躱す。四方から、あるいは上方からも襲いかかる、一撃必殺の打撃。見えている。すべて見える。だからこそ・・・・・、神経が削れる。『シェヘラザードの遺言』による身体操作。だから、心肺機能も筋力も、人間の限界まで到達できる。五感も、情報処理能力も、学習能力も。それでも、心までは・・・・強化できない・・・・・・。いくら高性能の機体でも、それを操縦する者が手元を狂わせれば、最強とはなりえない。


 なんとか、近付ければ。そう、少女は思う。こんなガラスを相手し続けても意味がない。あくまで操っているのは、本体である褐色メイド。彼女を倒さない限り、ルパートの滴をいくら砕いても、どうせすぐに再生成される。

 だがもちろん、彼女もそれを理解している。ゆえに、ガラスによる攻撃は常に、少女を褐色メイドから遠ざけるように行われてきた。


 これでは、らちが明かない。少女は思う。ここでやる・・・・・しかないの?・・・・・・ 自問して考える。褐色メイドは、こちらを知っている。でも、あのこと・・・・までは知らないはずだ。あの場所・・・・は門外不出。誰も知るはずがない、のだから。


 そんな思考が、少しだけ少女の、この場での対応を遅れさせる。昔を懐かしんで。故人を悼んで。


「……いいわ、添削・・してあげる」


 負け惜しみ、言う。気が逸れて、できた隙に、襲いかかるガラス。完全には躱しきれないことを悟って、諦めて、決めた。


        *


『えせ拳法 〝箱庭〟』。『一角獣ユニコーン』。


 皮膚の強化。皮膚とは一般認識において、基本的に柔らかいものだろう。しかし、周知の通り、例えば、人間の爪だって皮膚である。あるいは、角。たいていの動物における角とは、基本的に骨の一種である。が、例えばサイなどの奇蹄目サイ亜目に属する動物の角は、角質という皮膚で作られている。ゆえに、サイの骨格標本には角がない。


 まあ、それはともかく。以上のことからも解る通り、皮膚は十分な硬度を持つ生体部位にも変化する。つまり、身体操作できる少女の爪――あるいは表皮全体は、その硬度を増すことも可能なのだ。


「『削痩拳さくそうけん 皆伝奥義』」


 とはいえ、それだけでは褐色メイドが用いる、特別製のルパートの滴を、真っ向から打ち壊せるほどに硬くはない。だから、割るのではなく『削る』。


 ガラスというのは、熱にも電気にも強く、経年劣化も起こりにくい。ゆえに、割れたりすることがなければ、半永久的に現存する。古代遺跡に収められたガラス製品が完璧に近い形で残っていることがあるのもそのためだ。


 それでも、傷はできる。それはつまり、削れる・・・ということ。


「〝花散下生フアサンシャション〟!!」


 と、言っても、ただただやたらめったら、削るだけだ。だが、それは、その拳法における基礎の集大成。速度、威力、角度、順序。対象を見極め、的確に削り続ける。そのすべてを、崩壊させるまで。


 複数のルパートの滴。それを、一挙に壊滅させ、一気に褐色メイドへ近付く。一撃で仕留めるしかない。少女は判断し、最高速度で。疲れからか、少しだけ足が重かったけれど、それでも十二分に、速く。


「終わりね」


 少女は、言う。まだ砕いたガラスは、そのすべてが床に到達すらしていない。それだけの速度で。


「くっ……そ、ガキがああぁぁ!!」


 ガラスのように、言葉遣いも崩して。


 そして、少女の一撃を喰らい、その身も、崩れ落ちた。



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