最強のメイドたち


 少女を残して、男は次の部屋へ向かった。そこには男たちが連れ戻しにきたメイドと、もう一人のよく似たメイドがいるはずであった。

 そして、それ自体は正しかった。


「なん、だ? あいつは」


 寒気がした。吐き気も。肌が痺れる感覚。だが、これでも幾度となく死地を越えてきた男である。その感覚が、強大な敵を目の当たりにしたときの肉体反応とは、どこか乖離していることにも、すぐに気付いた。


「ハク、様。お下がり、……ください」


 片膝をついている。頭を押さえ、逆の手には『異本』、ダークパープルの装丁が怪しく輝く、『ジャムラ呪術書』。そしてかたわらにはもう一人のメイドが、すでに意識を失っていた。


「おや、ハク様、で、ございますね。お初にお目にかかりますわ」


 部屋の先には、一人のメイド。男たちのよく知るメイドと同じような、ロング丈のクラシカルなメイド服。それで全身を隠し、肌の露出は少ない。髪は美しいブロンドヘアーが流麗にウェーブがかって流れている。瞳の碧い、白人だ。年のころは、解らない。十代というほどに幼くはないが、三十歳を基準に上か下か、判断がつきにくい。四十を越えていても驚かないが、二十歳そこそこだったとしても、違和感はない。


 そんなブロンドのメイドを見て、男は吐いた。全身の穴という穴から、液体が漏れだしそうな感覚だった。だから、さきほどの悪寒や嘔吐感に納得する。これは、毒だ・・


「あらあら……。お加減でも悪いのでしょうか? 僭越ながら、ホテルまでお送り致しますわよ?」


 一歩、一歩。近付いてくる。が、男になす術などない。いかなる毒であるのかも特定できず、特定できようとも、その解毒剤を都合よく持っているわけもないのだ。


「おね、がい、します。ダフネ、様。どうか、罰なら、わた、くし、だけに」


 メイドは言う。首を垂れて。いや、それは、おそらく彼女も毒に侵されているから、なのだろうけれど。


「罰……。解りませんわね、アルゴ。あなたはどのような罪を犯したのです? もし、この場に罪があるならそれは、あなたを貶めたフレスカの方でしょう? わたくしの言っていることがお解りになって?」


 ブロンドメイドは小首を傾げて、メイドへ問う。凹凸の強い整った顔が、傾いて影の落とし方を変える。ただそれだけで、印象が不穏に変わった。


「フレ、スカ、は、わた、くしを――」


「いいのですわ、アルゴ。無理に口を開かなくとも、解っていますから」


 悠長な口調で、ブロンドメイドは言う。また、一歩一歩、歩を寄せながら。


「フレスカはあなたのためを思ってそうしたのですわよね? しかし、それはまったくのお門違い。あなたの望みとは乖離していた。あなたはスマイル様に反目するつもりはなく、フレスカの行動はまったくの善意からのものである。すなわち、どなたにも罪などない」


 そう言われて、メイドは答えられない。確かにそうだ。そういうことを言おうとした。しかし、言葉にしてみれば、なんとも嘘くさい。胡散くさい。


「まったくもってその通りですわ。アルゴ」


 目前にまで迫って、言葉とは裏腹に、ブロンドメイドはメイドの髪を掴み上げた。無理矢理に、顔を上げさせるために。視線を合わせるために。


「ですからこれは、罪へ対する罰ではなく、あなた方への正当なる再教育ですわ。望み。願い。思いやり。善意。そういう、道具に不必要な自意識が、いまでは後続の模範ともなるべき第六世代のあなた方に残っていたとは……嘆かわしい」


 言うと、特段の力みもなく、いともたやすくメイドは床に叩きつけられていた。毒により力が弱まっていたことも大きな要因だ。しかし、それを差し引いても、ブロンドメイドの強さは、毒の使い手ということ以外においても察しがつく。


 それを理解して、それでも――。


 立ち上がる影が、ひとつ。


 EBNA。第六世代第二位。フレスカ・メイザース。


 00:09 服毒により戦線離脱。


 ――――――――


 部屋の片付けが済んで、その大部屋はすっきりとした。短辺が十メートル。長辺は、三十メートルもありそうだ。天上の高さもやや高く、五メートル。乗じて、1500立方メートル。

 これから、この空間を駆け回らなければならない。少女はそう、直観した。


「あなたの手の内は存じ上げていますの。ノラちゃん? いくらかの拳法、剣法。我流の『異本』をモチーフとした、特異な攻撃。しかし、人知を超えた我々EBNAの……いいえ、すでに多くが負けていますものね。……でも、私にはそうそう、通用すると思わないことですのよ?」


「そう?」


 少女は言う。それを開戦の合図として、瞬歩、一気に――。

 踏み、出して、顔面から、床へ! 遅れてやってくる痛みは、ぶつけた顔以外の部位から、鋭く駆け巡った。


「やっぱり――っ!」


 声を出す暇すら、存分には与えられない。床から伸びたであろう、細く鋭い、ガラスの針。いや、針というよりは、錐ほどの太さはある。それが、足裏から、甲を突き抜け、まだ、伸びていく。


 やっぱり、ガラス針の使い手は、あなただったのね。少女は、歯噛みして、伸び続ける針を見た。


 だから、少女は飛んだ。足を刺すガラスは無理矢理に引き抜く。むしろ割るつもりの勢いで。しかし、それは割れることなく、少女の足から抜けてもまだ、伸び続けた。


 空に逃げるしかなかった。が、その先になにが待ち受けているかも、少女は理解していた。床から、だけのはずもない。四面の壁から、あるいは、天井から。四方八方、全方位から、そのすべてが宙に浮いた少女をめがけて、猛スピードで伸びてくる!


「これまでのトラップとは違って、そう簡単には割れませんの」


 その声も、少女の耳には届かない。聞こえなくとも、言われなくとも理解はしていた。だから、聞こえないことはどうでもいい。そして理解しようがしまいが、その現実へ対処すべき事案は変わらない。


「い、きなり……」


 大ピンチだ。死ぬほどの傷でなければ、少女は肉体を修復できる。無尽蔵に。無制限に。だが、即死すればその修復は追い付かない。傷の大きさにもよるが、経験上、傷の修復に最長で二分はかかったことがある。つまり、二分の間に重要な臓器の完全な停止を迎えるか、致死量の失血、脳髄の破壊などを齎されれば、おそらく、生き返ることはできなくなる。


 そして、眼前に迫る数百の針は、それを感じさせるほど緻密に、少女を狙っていた。


        *


 もはや、大参事である。まるで万華鏡の中のように、部屋の中心から放射状にガラスが伸びている。正確なことを言えば逆なのだけれど。本当は部屋のいたるところから中心へ向けて、幾百とガラスの針が突き刺さっているのである。


 少女の、幼い肉体へ。間違いなく、多量の血液を飛び散らかして。


偕老同穴かいろうどうけつ


 褐色肌のメイドは勝ち誇り、そう、告げた。


「深海の海底に生息する、海綿の一種。その珍しい生態は、その骨格を構成する、繊維状のガラスですの」


 相手の反応を待つことはない。だって、もう『相手』と呼ぶ者は、この世にいないはずだから。


偕老同穴人間ワーユーペルテラ極玉きょくぎょくの発現には二種類ありますの。完全に完成した極玉を肉体へなじませる方法。そして、極玉の素を継続的に摂取し、肉体の内で育て上げる方法。前者を『人工極玉』、後者を『天然極玉』と言いまして、前者は容易ではありますが、扱える能力に制限がかかるうえ、精神を蝕まれる恐れもある。後者は、その極玉の力を限界まで引き出せ、完全に自らの精神において、支配下にいれられる。まあもちろんそのぶん、適性も必要ですし、かなりの時間もかかりますけれど」


 べらべらと、講釈を垂れる。もう少女に意識などあるはずもない。いや、仮にあったとしたら、どれだけのダメージがあろうと復活できる。そうであるならむしろ、こうして余裕ぶって独白もできないだろう。


「もちろん、私は後者。EBNAから生まれた、多くのメイドナニー執事バトラーの中でも、片手で数えるほどしかいない、完璧に完成した個体。それこそが私、EBNA、第五世代首席、アナン・ギル・ンジャイですの」


 はだけた豊満な胸を張って、名乗りを上げる。そして、彼女の言葉は途切れた。

 少女の体中から吹き出す血が、ここで治まる。


「……講釈は、終わり?」


 だから、いい頃合いだ、と、少女は口を開いた。全身を貫かれている。もう、痛いという感覚すら通わない。


「ええ、終わりですの」


 驚きのひとつもなく、褐色肌のメイドは言った。楽しそうに。嬉しそうに。

 メイドとしての自分など、もはや脱ぎ捨てたかのように。凄絶な、表情で。


「すこし、侮ってた。幾百のガラスの針。そのすべてがまさしく、針を通すような・・・・・・・正確さで、人体急所を狙ってくる。……さすがに急所をずらすので精いっぱいだったわ」


 講釈へのお返しとばかり、少女は語り、そして力を込める。何度か。何度も。時間をかけて。時間をかけざるを得ない、間を空けて。


 それを悠長に待つ、褐色肌のメイド。少女は、潰れた緑眼を再生し、睨む。そして、力を、込めた。


 割裂。割れ、弾け、崩れ落とす。繊細なワイングラスを取り落としたように、その大部屋は、そのものが崩れ散ったように、砕けたガラスまみれに、きらきらと輝いた。


「もう少し、楽しめそうですのね」


 褐色肌のメイドは、両手を左右に広げる。それに呼応するかのように、オタマジャクシのような、細長い水滴のような形状のガラスを、いくつもいくつも、周囲に生み出す。


 ルパートの滴。少女は確認する。きっと今度こそ、真正面から・・・・・割る・・ことはできない。


「まだ先があるってのに、……ほんと、侮ってたわ」


 すべての刺創を塞いで、構える。まだ、すこしふらつく。失われた血液もすぐに生成できる。が、まだ時間はかかりそうだ。一時的に貧血のような症状が出ている。


 さて、考えなければならない。手の内を知られている相手への、新しい一手を。



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