人間の力


 すぐに助けに行きたい。でも、少女は五人の敵に阻まれ、そう簡単に動けなかった。


「なにしてるの、ハク! とっとと行きなさい! メイちゃんを――」


 黒い影が目端に映り、声は遮られた。寝癖メイドの徒手空拳が少女の足を止め、リーゼント執事の頭は大きく、視界が奪われる。隙を見せればすぐにボーイッシュメイドの居合抜きが襲い、黒羽の執事は、常に上下の動きを抑制する。


 そして、アイスピックを爪のように複数持つ、深紅の執事。戦闘力はこの場で最下位とも言えるが、少女は彼の特性を瞬時に見抜いていた。プラナリアの力。そこにいる彼が、本体ではない事実。だから、彼はいるだけで警戒の対象となる。その、人を見下すような嘲笑いの表情だけで、少女の気は逐一引かれた。


「もしかして、本気で戦うつもりですの?」


 笑いをこらえるようなジェスチャをして、褐色肌のメイドは、男を見た。


「さて、な」


 素直に戦って、勝てるはずもない。だから、曲線的な言葉を吐いた。

 だが、心は決まっている。少女は、『まっすぐ進め』と言ったのだ。なんであっても、どうであっても、だったら男は、まっすぐメイドを追う。こんなところで立ち止まっている暇など、微塵もないのだ。


「うおおおおぉぉぉぉ――!!」


 雄叫びを上げ、拳を振り上げ、猪突猛進。ここいらではっきりさせておこう。男。氷守こおりもりはくに、特別な力なんてない。そして、これからもそれを得ることはないだろう。だから、彼はただ愚直に、仲間――『家族』を信じ、頼り、全身全霊で立ち向かう。それしかできないのである。


        *


 いい、タイミング。と、少女は頬を緩ませる。


 皮膚が、風を感じた。黒羽の跳躍。あの小さい羽では、人類を凌駕する跳躍力程度しか発揮できない。あるいは、わずかな滑空か。そしてそれを鑑みるに、彼の次なる攻撃にはコンマ数秒のラグができるはずである。


 もっとも近くで感じていた寝癖メイドの汗。その味が、徐々にしょっぱくなってきた。そこから、精神的にも肉体的にも、追いつめられていることを確認できる。これなら、とっさの不意打ちには反応できないだろう。


 アイスピック。その、木製の持ち手が擦れる音を聞いた。大丈夫。これならまだ、赤の執事は動かない。


 鉄製のヌンチャク。その匂いだけで、リーゼント執事がいまどこで、ヌンチャクをどんな角度で、現在どの回転角で回しているかが解る。一度、いなした方がいい。それでも、次の一手を阻害されるほどではありえない。


 見る。目にも止まらぬ速度の居合でも、人知を超えた身体能力を持つ少女には、見えている。わずかな、癖だ。ボーイッシュメイドは常に、いつでも抜ける姿勢を保っているのだろうが、それでも、柄を握る力が足りていない。その力が必要に達するのは、抜く、その寸前。だから、フェイントをかけて一度、力を入れさせる。その後、ほんのわずかに弛緩する。弛緩しかけているタイミングなら、次の攻撃は、できない。


 少女は、五感すべてを研ぎ澄まして、針の穴を通す隙を探った。


 そして、六つ目の力で、男を先に進ませる。


「そんなおばさん・・・・、無視しなさい」


 それは、ちょうど雄叫びを上げ、殴りかかっている男の耳には届かなかった。が、伝えるべき相手には、届いている。


「はあ……?」


 語尾を上げて、眉も吊り上げて、褐色肌のメイドは、目前の男を無視して、少女を睨んだ。そして、すぐに表情を引き締める。しまった。と、ほんの少し焦って。


『えせ拳法 〝箱庭〟』。少女は心で呟いて、いたずらに笑う。


「『嵐雲らんうん』」


 人間の皮膚は、口腔を用いて行われるそれとは比較にならないほどの微量だが、呼吸をしている。それを少女は利用した。『シェヘラザードの遺言』。自身の肉体を操作する『異本』。その力で、皮膚呼吸による排出を瞬間的に強化。自身の体の周りに、風の膜を生成する。


 それはさほど強力とは言えないが、敵の攻撃を受け、その威力をいくぶんか減衰させる効果を持つ。タイミングを見計らい、敵の隙を突く。寝癖メイドは、反応できない。深紅の執事、黒羽の執事は、ちょうどクールタイムに入っていた。リーゼント執事のヌンチャクを、風の力で受け流し、少女は、ボーイッシュメイドの居合をぎりぎり掠めて、着地・・した。


 男の、背中を、押す。着地というよりは蹴りを入れる――喝を入れるような気持ちで。すると男はよろめき、姿勢を崩した。それは、不格好に褐色メイドの脇の下を潜り抜け、男を先の部屋へ、進める。


        *


 それでも、男の行く手を、彼女は阻めただろう。が、そんなことなどせず、その褐色肌のメイドは悠長に男の進撃を見届けた。


 その真意を、少女は測りかねる。しかし、それはそれだ。まずはこの場を切り抜けなければならない。

 五人の使用人が、背後から少女を襲う。


「やめておきなさい。あなたたちでは無理です」


 ぼそり、呟く、褐色肌のメイド。その程度の声量。だから当然のように、それは彼らには届かなかった。


 止まらない攻撃。まず、接近戦に特化した、寝癖メイドの腕を掴み、投げ飛ばす。背負い投げ。その体そのものを投擲物として、自身の武器のように扱い、黒羽の執事へぶつける。それらは折り重なり、床へ伏した。


 重ねて、リーゼント執事のヌンチャクを躱し、身を沈めて足払い。体勢を崩したところへ渾身の掌底を喰らわす。そうして吹き飛んだリーゼントの体は、中距離で居合を構えたボーイッシュメイドにぶつかり、直前のふたりともども、山の一部となった。


 ひとかたまりになる、四人の敵。そうして少女は、跳んだ。『えせ拳法 〝箱庭〟』。そこまでは心で呟く。


「『パララ 〝降繋こうけい〟』」


 人間の体に電気が流れていることはもはや周知だが、パララの家系はそれを自在に操れる。いや、正確には、彼の一族は人体の潜在能力を限界まで引き出せるのだ。それはまさしく、少女のように。『シェヘラザードの遺言』。あの、自分自身を完璧に使いこなせる能力を持った『異本』を扱う、少女のように。


 指先の電位を、そして全身の電圧を上げる。そのまま目標物へ、指先から放電し、振り降ろす。放電は、距離に比例し威力が落ちる。ゆえに、本来なら至近距離で放つのが好ましい。それでも少女は、あえて空中から彼らへ、距離を隔てて放った。それは、その技を使うオリジナルの女傑がそうしていたから、という理由もあるが、それよりも、あえて威力を減衰させ、ダメージをコントロールするという側面をも考慮してのことだった。

 死に至らしめぬように。細心の注意を払って。


 それでも、電気を流す……事はそう簡単でもない。が、繰り返すが人体にはそもそも電気が流れている。電気は、電気を引き寄せる。ゆえに、体中の電圧を上げ、指先を最大電位に。それを目標物へ振り降ろすように指向を持たせ放電すれば、電流は、物質と物質の間を繋がり、落ちる。

 まるで、神がもらたす放電――雷のように。


 EBNA。第七世代第四位。ツェルニアンネ・ケーニッヒ。

 同。   第八世代第二位。ヴァローナ・ネイガウス。

 同。   第七世代第五位。ティェン祝風ヂュフォン

 同。   第七世代第二位。赤ヶ谷あかがや青蛾あおが


 00:20 感電により昏倒。戦線離脱。


        *


「あらまあ。アナン様がちゃんと声を張らないから」


 一人だけ遠くから、いまにも手を出しそうで、実のところほとんど戦闘に参加していなかった深紅の執事が、呆れたように言った。


「いいのよ。そもそも、自分の目で判断できないようでは、まだまだ未熟。未熟も未熟。EBNAの恥さらしね」


 まとめて戦闘不能に追いやられた仲間に対して、褐色肌のメイドは辛辣に言った。さしてどうでもよさそうに。


「その点、わたくしはわきまえておりますからね。こうして一人、生き残っているのがその証左でしょう」


「あなたは面倒がっているだけでしょう? ……まあいいわ。この未熟者たちをCODEコードに運んで、あなたも消えなさい」


「んん……。もう少し観戦していたかったのですけれど」


 深紅の執事が言うと、その体は、六つに切り裂かれた。よく見えない。それほどの速さだったが、それ以前に、使用したであろう刃物が視認しづらいことも相まった。


 だから、少女は確信する。


 六人に増えた深紅の執事が、その場を片付けるまで、少女は彼女を見ていた。最初からそのつもりだったのだろう。と、他の敵が片付いて、余裕ができたから読み取ることができた。


 ああ、このおばさんは、最初からわたしをひとりで相手するつもりで、待ってたんだわ。そう、少女は理解する。

 そして、それだけの自負がある相手だということも。


「あなたたちは、根本的に勘違いをしているのね」


 褐色肌のメイドは言った。見つめ合う二人の間を忙しなく動く深紅の執事たち。その上で視線をぶつけ合いながら。


「私たちが『道具』と呼ばれ、使われることに憤慨しているのでしょう? しかしそもそも、『道具』が『人間』よりも劣ったものだと決めてかかっています。『道具私たち』は『人間あなたたち』の上位種ですの。少なくとも私は、人知を超えた存在として育成され、人々のために働けることを誇りに思っております」


 その言の通り、彼女は胸を張って言い切った。もはやコスプレにしてもいき過ぎな、露出の高いメイド服。そこからさらに豊満な胸元を強調するように、前で腕を組みながら。


「あなたたちは、根本的に勘違いをしているのよ」


 少女は、相手と同じように腕を組み、やや目を細めて同じ導入から入った。部屋の片付けもそろそろ終わりそうだ。一番最初に倒した、双子のメイドを同時に、深紅の執事が担ぎ上げる。


「ルシアとメイちゃんを返しなさい。そしたら、あなたたちのことはもう放っといてあげるわ。『道具』を作るなり、『道具』として生きるなり、好きにしなさい」


 どこか突っぱねるような、あるいは見下すような言い方で、少女は言った。

 だから、ビキビキ、と、張り付けられた笑顔の隅っこで、褐色メイドの額が鳴る。


「後悔しますのよ、クソガキ」


 銀縁メガネのレンズ越しに、紫の視線を突き刺して、褐色メイドは言う。


「後悔……か」


 臨戦態勢に入った褐色メイドを無視して、少女は少し顔を伏せた。


「ごめんなさい。わたし、もう後悔はできないの。……おばさん」


 もの悲しげな表情から、長く目を瞑る。そして、開いた目は、もう、戦闘準備を終えていた。


 最後に無理矢理、相手を威嚇して、少女は、構える。



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