40th Memory Vol.7(エジプト/アスワン/9/2020)


 男は凱旋する。子どもたちのもとへ。


 幼年と、互いの掌を合わせ、音を鳴らす。互いに目配せをし、その手に気付いていた者同士、意味深に笑った。


 そして、その後ろ、少女と幼女のもとへも向かう。二人の子どもたちが並んで駆け寄ってくるので、男は幼年にしたように、掌を子どもたちへ向けた。


「この、卑怯者」


「ハク、ずっる」


 罵声が返ってきた。そして男の掌は空を切り、その両脇を、子どもたちが走り抜けていく。少女と幼女が向かっていくのは、ぐったりと玉座にもたれかかった女流のもとへだった。


 男はボルサリーノを目深に押さえて、その様子を振り向く。


「フィロちゃん大丈夫? あんな卑怯な手にやられるなんて、かわいそうに」


 少女が言う。もはや器用に寝そべっていると言っても過言ではない、女流の頭を撫でながら。


「あんなズル、気にせんでええよ。ハクは昔っからああやねん」


 幼女も言う。女流の手を取り、ぶんぶん振って元気付けようとしていた。


 その後も罵声は、この黄金の石窟に響き続けた。甲斐性なしだとか。ロリコンだとか。辛い物好きだとか。もはや貶されているのかも解らないし、そもそもゲームに関係のない、本当の意味での罵声に変わっていく。男はうなだれた。


「ハクさんって――」


 そんな男のかたわらに寄り、幼年が申し訳なさそうに口を開く。


「人望ないんですね」


「ほっとけ」


 すでに怒りすら湧いてこない。勝利の余韻など、雲散霧消していた。


        *


「おい、馬鹿」


 さらなる罵声に男が顔を上げると、そこには、女子たちに連れられた女流が立っていた。


「どうして……どうして余が、『神』を進めると思った、のう?」


 地に這いつくばる男に視線を合わせるため、女流はしゃがみ、言った。どうやら今回も感想戦をしたいようである。


「ルールに基づくなら、仮に敵味方の駒同士で融合ができるとしても、新手を打つには前場でなければならない。……余が『神』を前進させ、そなたの前場にまで踏み込まねば、『剣』を融合することはできなかったのだぞ」


 そう、ルールブックによれば、『新手を打てるのは前場のみ』だ。すなわち、初期配置で後場にある『神』を、前場にまで引き付けるには、なんらかの手法や理由が必要だ。


 よもやそれは運任せにしたわけでもあるまい。女流は期待と困惑を織り交ぜたような上目づかいで、男を見た。


「あー、期待してるとこ悪いが、運任せだよ」


「なっ――」


1ターン目・・・・・はな・・


 男はにやりと笑う。そしてようやっと立ち上がった。


「とはいえ、割といい確率で、一手目も動かしてくると思ってたぜ。……このゲーム、『神』は進めるときに進ましとく方がいい。1ターンに二手――『主人』のみを動かすなら、4回も行動できるってのがミソだな。ほんの少し守りをおろそかにすれば、簡単にゴール――後自場2へ『主人』が『到達』してしまう。なら、『神』を早めに前進させて、敵の動きを早めに、止めた方がいい」


 一度言葉を切って、男は少女を見た。


 少女との対局、後手1ターン目。あのとき女流が『神』を動かさなかったことを思い出す。だが、あのとき動かさなかったことには理由があった。もし、動かしていたら、次の少女のターンに、『主人』が『神』の横を素通りできた。もしそうなっていればほぼ確実に、少女の勝利だっただろう。


 だから少なくとも、女流はその初見殺しを把握していた。ならば、男も早々に『主人』を前進させるわけにはいかなかった。女流が1ターン目に、『神』を動かす可能性を上げるためには。


「分の良い賭けか……、まあそれはよい。では、2ターン目は――!」


 言いかけて、女流は言葉を止めた。驚いたような表情で、目を見開き、男を見る。


「2ターン目は、長考だよ・・・・


 男は言いあぐねた女流の言葉を代弁する。


「『神』の前進に対して長考する。それによって『『神』の前進は不都合だった』と思わせる。実際、あんたもそう思ったみたいだしな」


 女流は思い返す。「『神』の前進は、そなたにとって都合が悪かったのか」と、確かに自分は言っていた。


「そのうえ、まったく駒を動かさないという手だ。あんたは警戒しながらも、攻撃的に『神』を前進させてくると思ったぜ」


 男は両手を上げて言った。降参。のような格好だが、顔つきは不敵に、女流を見つめて。


「ふ、ふふ……」


 女流はこらえきれずに声を漏らした。


「あはは、あはーはっはっはっは!!」


 声を上げて笑う。黄金の石窟に、高らかに響き渡る。


「そうか、そうか! これは、……余の負けぞ!」


 高笑いを続ける。続けて、それに気をとられて、動けないままに、やがて、女流は、声を静めた。


「愉しかった……この世界の終焉に、相応しくよく笑ったわい」


 本当に涙まで溜めて、女流は言った。崩れた相好を、少しずつ訂正する。立て直す。そして、言う。


「『試練』を乗り越えし者どもよ、よくぞ、余を打ち負かした。その褒美に、地底郷シャンバラへの道を示そう。……さあ、進むべき一名よ、前へ出よ」


 女流は言う。その瞳から、笑い過ぎからか、それとも別の理由からか、出所の解らない涙を流しながら。


        *


 その言葉に、子どもたちは当然と、男を見た。だが、男が見ていたのは、少女の方だった。ボルサリーノを押さえて、伏し目がちに、影を落として。


「どうしたの、ハク」


 だから当然と、少女は問う。首を傾げて。


 男が考えていたこと、それは、現実世界でのこと。この『試練』に挑む前、エジプト、アスワン、アブ・シンベル神殿でのこと。


 カイラギ・オールドレーン。フウ老龍ラオロン。『本の虫シミ』の中でも屈指の実力者コンビ。あいつらが待っている現実に、子どもたちだけで返してもいいものか。


 だから、その感情を読み取って・・・・・、手を取る。少女は、そのすべてを受け入れる。


「大丈夫よ、ハク」


 男の様子から、読み取る。あの二人はきっと、とんでもなく強い。戦う必要はない。確かに、『異本』は持っているのだろう。だが、無理をしてまで蒐集する必要はない。だから、ただ逃げればいいだけだ。だからといって。


 だからといって、逃げることが容易だとも思わない。それでも、大丈夫。


「こんなときのために、ジンからいろいろ学んできたのよ。大丈夫」


 男へ、というより、自分自身へ言い聞かせるように、言う。

 いま蒐集するべき『異本』のために――ハクのために、わたしはあるの。少女は思う。


「可愛いわたしは、必ず、あなたの役に立ってみせるわ。ハク」


 そう言って、握りこぶしを掲げた。


 それを見て、男はため息を吐く。


「パララ、シュウ。……二人を頼んだぞ、ノラ」


 ボルサリーノを深く押さえて、逆の手は、少女に倣って。


 こつん。と、合わせた。


 前だけを見据えて、一歩前へ出る。ぼろぼろのコートをはためかせて。


        *


 掴め。と、言わんばかりに、女流は手を差し伸べた。男は戸惑いながらも、その手を掴む。


「……あんたは、これからどうなるんだ?」


 それを聞くのは残酷だ。こんな人知を超えた世界に、現象に、答えなど出せるはずがない。そのうえ、どうなるのだとしても、少なくともその結果を引き起こしたのは、男なのだから。


「さて、のう。……だが、どうなるとしても、余は後悔しておらぬ」


 振り向き、にっこりと笑って、女流は言った。


 その言葉は本心だったのかもしれない。だが、女流の笑顔は堅苦しく、緊張に満ちて、そして繋いだ手は、震えていた。


 何百、何千年と生きても、人間は、結局、人間だ。未知へ恐怖する気持ちには、抗いようもない。


「心配はいらぬ。長らくこの場を守ってきた。余を、神様も、ないがしろにはできぬであろう」


 むしろ男をなだめるように、女流は力強く言った。腕にも力が籠る。震えを、止めるように。


「次の世界では、あのゲームをもっと、しっかりと仕上げろよ」


「当面の目標はそれぞ。とにかくまずは、『融合は自身の駒同士でしか行えない』と追加しよう」


 言って、笑う。さきほどよりはほぐれている。優しい、笑みだった。


 光が見える。いや、むしろ、光に包まれていく。見渡すと、積み上がった黄金は、無重力状態のように徐々に別れ、隙間から、おびただしい白光が注いでいる。天井も、壁も、足元の黄金さえ、ほつれて――まるで、世界の終りのようだ。


「さあ、行け。そなたは余を打ち負かした、優秀なペテン師ぞ。……必ず、生きて帰れ、のう!」


 そう言って、最初にほつれ始めた、一番大きな光の先へ、女流は力強く、男を放り込んだ。


 無重力の中、浮くような感覚。……は、一瞬。


 一気に体が重くなり、落下する。夢から醒めるように、現実へ回帰するように。


「お、おわああああぁぁぁぁ!!」


 男が最後に見たのは、笑顔で手を振る女流の、どこかいたずらっぽい顔と、その奥で男を見送る、子どもたちの姿だった。



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