0th Story Vol.98(日本/新潟/12/2015)


 2015年、十二月。日本、新潟。

 寂れた町の郊外にある、海沿いの屋敷。町以上に寂れた、むしろ草木に覆われ、廃墟同然の屋敷だ。四方を高い壁に阻まれ、中は簡単には窺い知れない。だがそんな寂れた屋敷にも、偏屈な者たちが住んでいた。


「いい加減にしろよ、ホムラ、てめえ!  また『異本』を駄目にするとこだったんだぞ!  ええ!?」


 癖のある漆黒の髪。気だるげな眼光。黒のスーツをきっちりと着こなしているが、その上から羽織る茶色のコートはどうにもぼろぼろだ。しかし、その男はそんなことなど気にする様子もなく、むしろ誇らしげですらあった。


「知らんのじゃ! わらわはなにも知らんのじゃ! なんでもかんでも妾のせいにしおって!」


 責められた女は赤髪に幼い顔つき。しかし、その幼さを否定するかのような発達した肉体をしていた。女性として十二分に誇れるだけの体型だ。胸部は豊満に。ウエストは引き締めて。


 そんな女は、そのスタイルを惜しみなく露出する服装をしていた。しかし、この真冬の寒さの中においては、いい年頃の男の目から見ても劣情をもよおす以前に、単純に寒そうだった。


「てめえ以外の誰が書庫で酒を飲むってんだ? 『先生』もジンも、酒は飲まねえぞ」


「じゃあハクなのじゃ! とにかく妾は知らん!」


「俺は昨日は飲んですらいねえんだよ! そのうえ、てめえが飲んでたのはジンが確認してる! 見ろ! 『嵐雲らんうん』が酒まみれだ!」


「ちっ……あの愚弟、いらんことだけしおってからに」


 女は反省の色も見せず、舌打ちした。謝るでもないその態度に、男の我慢も限界だ。


「ホムラ……てめえ、晩飯抜きな」


 冷たく言い放つ。


「ちょ……ええっ!? それはないのじゃ! ごめんなのじゃ! ハク~~~~」


 加減なくその巨大な胸部に顔をうずめさせられた男は、女とは思えない力で締められ、息を封じられる。


「後生なのじゃ! ごはんなのじゃ! うえ~~~~ん!!」


 泣き出す始末だ。


 泣きたいのはこっちだ。と、思ったが最後、男は意識を失った。


        *


 暖かい感触で意識を取り戻す。だが、心地いい。もう少し、このまま、目を閉じていよう。


「『――――』。誰かが、――みたいだよ」


「誰か?」


「ぼくは知らない人だ。――みたいな服装で、――――なんだけど」


 意識は目覚めているのか眠っているのか、曖昧だ。なれば、この世界は夢かもしれない。そもそも夢と現実の区別など、きっと誰にもできはしない。


 生きている環境が身に余る幸せなら、きっとそれは夢だ。逆に容認できない不幸せは、きっと現実なのだ。


「ふむ。……すまんが、ジン。『――』を持ってきてくれんか?」


「……追い返すだけなら、ぼくとホムラでやろうか?」


「いや、――――に隠れて、出てくるな。よいか、儂の――――っても、出てくるな」


 かすかな息遣いから、男は若者の態度をイメージできた。肩をすくめ、軽く目を閉じ、諸手を上げる姿。


「ぼくは構わないけれど、それ、ホムラが――――? ぼくはあいつを止めるのは――――」


「よい。先のことは――に任せる。じゃが、おまえらじゃ、まだ――――――――」


 言うと、男の手を取る温もりが離れた。それに不安を覚えるころ、拭い去るように頭部に熱と、安心する重み。


 だから、男は眠った。眠ったらきっと後悔する。それを解っていながら。


 きっとこうやって眠れる日は、金輪際こない。なぜかそうも思ったから。


        *


 屋敷の敷地内の密林の中、老人と来客が向かい合う。その姿を、女と若者が三階の保管庫から見ていた。


「何者だろうね。また友人とやらか。にしては、警戒が強いようだけど」


 壁に背を預け、白を纏った若者が問う。金髪金眼。そして常に気障な態度をとるその若者は、あらゆる事態に達観して臨む。


「……あれは……!」


 隣で窓にギリギリまで顔を近付ける女が、その大きな瞳をさらに丸く見開いた。

 見たものに驚愕し、急いで振り返る。そのまま現場まで駆け出しそうな勢いだった。


「ホムラ」


 だから、若者はそれを諌める。


「あの人からの言伝だ。ここで見守ろう」


 若者の言葉に、女は気を静める。早く駆け寄って、話したいことが山ほどあった。だけど、『パパ』の言いつけなら仕方がない。少し、待とう。


「……何者なんだい。彼は……彼、なんだよね?」


「ああ、中性的な顔つきじゃが、男じゃよ。織紙おりがみ四季しき。ジン、なれが『パパ』に拾われる半年ほど前まで、ここにおった子どもじゃ」


「へえ……」


「思ったよりは驚かんのじゃな」


「そりゃあ、他に子どもがいたであろうことは予想がついていたからね。むしろぼくが気にしていたのは、ハク以降、他に誰も拾われてこなかったということの方だ」


「言われてみればそうじゃ。……それにしても、シキ。生きておったのか。……それも、あんなに大きくなって――」


 女の目は喜びと懐古と、どこか面映ゆさに輝いた。

 ただの、一瞬だけ。


「「――――!!」」


 二人の瞳は、その日の最大値に見開かれた。


 自分たちの『父親』である老人が、以前の『息子』であるはずの青年に、殴り殺されたからだ。


        *


 咆哮が聞こえた。

 あそこか。と、青年は視線を上げる。


「ホムラは元気にしているようですね。重畳重畳」


「…………」


「で、いつまでそうしているおつもりか。とっとと立ち上がり、身共みどもに『太虚転記たいきょてんき』を渡していただきたい」


「……まったく、老人の体をいたわることもできんのか。クソ息子」


 言って、老人は立ち上がる。その姿は、どの部位を見ても損傷などない。血の一滴すら流れてはいなかった。


「心にもないことを言うものではないですね。身共がいつ、あなたの子となった?」


「この屋敷にて過ごした者は、みな儂の子じゃ。子の失態は、親の責任。子を正すのも、親の責任。……これが儂の努力じゃよ。文句あるか?」


 老人が言うと、青年は見惚れるように恍惚と笑った。やはりいつもと違う、優しい笑みだ。


「いいえ、素晴らしい。それこそが人間だ。生ある限り、努力、努力、努力。この土臭さこそ実感だ。だから――」


 その努力のうちに、幕を閉じろ。


 青年は駆けた。もう殺そう。探すのは後でいい。そう決めた。


 努力する姿は、そのものすでに美しい。それこそが人間として完成する『宝』だ。


 だが青年にとっての『宝』とは、過酷に耐えるものだった。だから、ちょっとやそっとの刺激で壊れるようなものを『宝』とは呼ばない。『宝』は乱暴に取り扱っても生き残るくらいでないといけないのだ。


 こうして壊してきた『宝』もどきは、過去、いかほどあったろう? 青年は数える。だが、それはいつも徒労に終わる。この世界にはまがい物が多すぎた。


 また壊れるだろう。この老人も壊れるのだろう。


 青年は、黄金の杖を振り下ろす。


        *


 と、不意に、突風が起きた。

 いや、そんな生易しいものではない。


「くっ……これは……?」


 振り下ろす杖を、無理矢理軌道修正。青年は鈴を鳴らし、それを地面に突き立てた。

 風をここでせき止める。宝杖、『ブレステルメク』の力で。


 だが、そう容易くはない。

 竜巻。渦を巻く暴風。その風のベクトルは、四方八方、縦横無尽に吹きすさんだ。


 宝杖、『ブレステルメク』は、あくまで線引き・・・をするアイテム。境界を張れるのは、一方向へのだけだ。


「どういうことだ。この風。『嵐雲』にしては強すぎる。……いや、まさか」


 青年はさきほどの咆哮を聞いた方向を向く。その窓は割れているが、特段に損壊がひどいということもない。


 周囲を見渡す。発生源は? もし、自分の去った後、誰かが『嵐雲』に適応したとしたら? このレベルの風もあり得ないこともない。


「あそこか……?」


 目的を発見したころ、急に、その嵐は止んだ。


 いまは、いい。『嵐雲』より、まずは『太虚転記』だ。青年は一瞬で切り替える。


「……どこへ消えた」


 嵐のうち、いつの間にか、老人の姿は消えていた。……いや、違う!


 青年は空を見上げる。あれほどの風だ。自分は『ブレステルメク』と体重を落とし踏ん張ることでなんとか耐えたが、あんな老人が耐えきれるはずもない。


 見ると、案の定、老人は空を舞っていた。かなりの高さだ。それこそあんな老人が、生きて着地などできようはずもない。


「つまらない幕引きだ」


 だから青年は、屋敷に向かう。『異本』の保管庫の位置くらい、さすがに覚えている。


        *


 懐かしい扉に手をかけたとき、青年は後ろから声をかけられた。


「目的はこれだろう」


 振り向くと、白い若者だ。服装もそうだが、肌も病的に青白い。幽霊――むしろ死神のようだ。


 そんな若者が、こげ茶色の装丁をこれ見よがしに掲げる。間違いなく『太虚転記』だ。


「どちらさまですかね、あなたは」


「それは本来こちらのセリフだ。だが、ぼくはもうきみを知っている。織紙四季」


 会話をしながら、慎重に青年は隙をうかがう。『嵐雲』に適応した者が、目の前の若者かもしれないからだ。


「警戒は不要だ。ほら」


 言って、若者は『太虚転記』を青年に向けて放った。危なげなく、青年は受け取る。


「どういうつもりですか」


「どうもこうも、それが欲しいだけなんだろう? だったらくれてやる。それでおとなしく帰ってくれればそれでいい」


「交渉になっていない。条件を出すなら、先にこれを渡してどうする? 馬鹿なのか、あなたは」


「さてね。だが、きみはそれを手に入れればおとなしく帰るだろう? 無為な殺生を好むタイプじゃない」


「解ったようなことを言う。……確かにそのつもりでしたが、そう見透かされたようなことを言われると、抗いたくもなる」


「それは困るな」


 だが、特に困った様子もなく涼しい顔で、若者は木にもたれかかっている。


 青年は息を吐く。落ち着け。これはきっと、罠だ。


「いいでしょう。確かに目的は果たしました。ここはおとなしく引くとします」


 それでは。言うと、青年は踵を返し、去って行く。

 その姿が見えなくなってから、若者はようやく力を抜いた。


「やれやれ。ブラフも精神を削る」


 いまさらになって汗が一滴、流れた。


「後は任せたよ、ホムラ」


 力を抜いて、腰を降ろした。深く息をつく。


        *


 帰り道。青年は老人の死体でも確認しておこうかと、同じ道を戻った。


「これはこれは、ホムラ。見違えたよ」


「シキ……」


 その赤髪の女は、膝をつき、老人の頭を抱えている。だが、どうやら肉体から離れてはいないようだ。どころか、その肉体にも傷らしい傷もない。どうやらしぶとく、まだ息があるようだ。


「その老いぼれがそんなに大切か? もはや手を下さずとも、朽ちて死ぬだけの古びた存在だよ。大切なのは若い命だ。君のような美しい女が手間暇かけて、守るようなものではない」


「シキ、それが汝の本心なのじゃな」


「身共は本心でしか話しませんよ。虚言を吐く意味がない。この世界は身共のためにあつらえられた『宝』でしかないのだから」


「そうか……」


 女は顔を伏せたまま、老人を優しく、地面に横たえた。そして、立ち上がる。


「ホムラ。君は至極美しい。身共の――いや、世界にとっても十二分な『宝』だ。だから身共と来い。あなたのことは、身共が誰よりも正しく、使ってやろう・・・・・・


「妾は、汝のことを、弟じゃと思っておったよ」


「それはずいぶん身共の認識と違う。身共は昔から、あなたが『宝』となり得るものとして見守ってきた。そしてこう、美しく成長した。身共の好み通りに」


 ニタニタと、いやらしく青年は笑う。


「『パパ』だって、汝のことを、本当の息子じゃと――」


「くだらない。そんな家族愛、身共の求める『宝』にはなりえない。情など、目的の達成のためにもっとも不要なものですよ。人は結局、一人で生きるしかないのです」


「だから、じゃろ」


 女の言葉に、青年は首を傾げる。


「誰もみな、一人だから。だから、大切なんじゃろ。繋がりが」


 青年は黙る。黙って、女から視線を外した。

 その横に倒れる、老人へと、視線を向ける。


「人と人の繋がり。確かに大切です」


 青年は杖を持ち上げる。


「そんなものを後生大事にする馬鹿がいるから、利用するだけの価値が生まれる」


 言って、杖の先端を、突き立てた。


 もはや動くことすらままならない、老人の心臓に。



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