170th Item Vol.4(ニュージーランド/ワンガヌイ/8/2020)
青年たちは女を三方から取り囲む。集団戦術の基本だ。数で有利なら、相手の意識を分散させるために、多方向から隙をうかがうのが常套手段である。
女は宝刀『
正面の青年はニタニタと笑いながら、宝杖『ブレステルメク』で何度も地面を叩く。それは牽制であり、威嚇であり、警戒でもある。いつ何時、女に切りかかられても対応できるように。
女は動いた。纏う風を引き連れて。
キンッ――。振り下ろされた刃を、青年は杖で受ける。黄金色の杖は見た目通り、十二分な硬度をもっているようだ。
「なんじゃ、わざわざ受けるのか」
久方ぶりの刃の交わりに、わずかに手を痺らせながら、女は言う。
「ホムラの可愛い顔を近くで見たかったのです。やはりあなたは、壊れるには惜しい」
やはりいやらしくニタニタ笑いを続ける青年。女の全力を受けてもなお、まだ余裕があるようだった。杖を持つ青年の手は、女と違って片手だけだというのに。
「
語尾に合わせて女は力を強めた。『嵐雲』での風の力も交え、青年を弾き飛ばす。
力が落ちたか? 打ち合ったときの手の痺れが、いやに強い。
にやり。と、後退する青年の顔が目につく。だから悟った。背後を瞬時に確認する。しながら、大きく左に移動する。
風が抉り取られた。という感覚。さきほどまで女がいた場所に置き忘れた風に、風穴があいた。圧縮された音が通り過ぎたのだ。見ると、背後にいた二人の青年が、同じような構えで宝扇『
「駄目でしょう。気を付けないと」
言葉に、視線を前面に戻す。ほぼ反射反応だ。考えていない。振りかざされた黄金の杖が、鈍く光っていたから、無理な姿勢で刃を向ける。
キイィィン! 体勢を崩しかけた。その流れでよろめき、近くの木に背を預ける。
「くっ……」
女は圧に耐える。力で負けていることは解っていた。だが、単純な殺傷能力という点においては勝っているはずだった。抜群の切れ味。そして重量差によるスピードの違い。
なのに、どうにも体が重い。いや、重いというより、痺れている。久方ぶりの戦闘。そして相手への憤怒。それらが原因とするには、もはや強すぎる。
「こんなに簡単に追い込まれていてはいけません。あなたは
青年は顔を近付け、言った。
女は背筋を粟立てて、逸らしたい視線をなんとか踏みとどまらせた。戦闘中に視線を外すわけにはいかない。その視界の奥には、さらに二人の青年が扇を構えていた。
キイイィィィィン――!!
さきほどよりも高密度の高音が大気を揺らす。音とは振動だ。増幅された音は衝撃波と言っていい。それは物理的な破壊力を持った、見えない攻撃。
大木すら、簡単に抉る。女が背を預けていた、大木を。
*
瞬間、土煙が舞った。視界が遮られる。間隙ができる。
「……器用なものです」
形が新たに生まれ、言葉を発する。それは青年によく似ていた。
「『インドラの少女』。身体強化系。とりわけ、行動速度を強化する。……あの状況から『百貨店』を発動させるとは、さすがの身のこなしだ」
視界が晴れる。粉微塵になった木屑。立ち上がる砂埃。だが、その中には赤の色彩がない。女は間一髪、衝撃波を躱していた。
「汝も、相変わらずじゃ。……いくら分身とはいえ、己が身ごと、吹き飛ばすなど」
肩で息をしながら、女は言う。
「身共も、あまりやりたくはないのですよ。感覚は基本的に共有していますから。痛覚など、戦闘に支障がでるようなものは切っていますが、それでも、頭は死を認識しますからね」
その反動だろうか? 青年たちも肉体の不具合を確認するためか、不審な挙動を試している。手を振る。足を曲げる。首を回すなど、機能を確認する作業を。生きている実感を、確認している。
「『インドラ』は驚異的な速度を手に入れる反動、疲労が蓄積しやすいと聞く。劣勢で使うにはリスクが高い。……つまり、それほどには追いつめられている」
あえて言葉にして、青年は語った。見透かしている。それを相手に印象付けるために。
「倒れる前に倒せばよいのじゃ。簡単な話――」
世界がひっくり返る感覚。視覚とは合致しない、音声の移転。
「じゃろ!」
右後方。死角からの斬撃。そして声。
ギイィィン! 確かに肉薄はしたが、その刃はすんでで杖に阻まれた。
「見えている。いま、身共の視界は三倍――」
「『
「――――!!」
刃を受け、そちらを向いた青年の目に映っていたのは、特に顔面を主張した女の姿だ。焦点は刃に向けられている。だから、背景のように溶け込んだ女の姿勢にはすぐに判断が追い付かなかった。
どちらかというと落下している。水平から十五度ほど体を傾けた姿勢。しかも、下半身の方を上空に向けて。
女は戦闘におけるタブーの一つ、飛び上り、急な移動を制限される体勢で、端的に言えばジャンプして、青年に切りかかってきたのだ。しかも、斜め上から降下するような姿勢で。
そして、『百貨店』からの『異本』の発動により、その、なにもなかった足場が物質的に形成される。ここでも端的な表現を使うなら、
空に浮く。これが戦闘におけるタブーとされているのは、急な回避行動などができないことが一番に挙げられる。だが、防御・回避など、自衛行動を無視するなら落下による位置エネルギーを乗せることで攻撃の威力を上げる働きもある。しかし、その攻撃も、空に浮き、踏ん張れない状況では、それ以上の力は発揮されず、むしろ、中空という不安定な環境は力の分散をも招く。相手に攻撃を受け流されでもしたら体勢から大きく崩れる結果となるだろう。
だから、
「おおおおぉぉぉぉ――――!!」
女は叫ぶ。余談だが、咆哮にも力を倍増させる効果がある。
「くっ……!!」
青年は初めて、杖に諸手をつけた。
なにがいけなかったかというと、両手を使うのが遅すぎた。逆説的だが、青年は両手を使い杖を構えることで脱力してしまったのだ。敵からの力を、両手に分散させるために。たった一瞬だったが、青年は力を緩めてしまった。
「シキいいぃぃぃぃ!!」
だから、取り零す。杖を持つ手が力の閾値を超え、精神とは裏腹に、武器を手放した。
その結果は、言うまでもない。ただ、切り裂かれるのみだ。
*
だが、もちろんそれで終いなはずがない。いや、むしろまだ、始まったばかりでしかないのかもしれない。
切り裂ける、紙。何度も味わった、限り無く確実で、軽い手応え。
「いやあ、お見事です。さすがはホムラだ」
扇を手に打ち付け、拍手のような音を奏でる。切ったはずの青年は当然のように――というか当然と、背後にいた。まだ、二人。
「その『異本』は初めてだ。『開闢の夢』? 空間を瞬間的に、物質化する。といったところか」
女が足場とした辺りの空をつつきながら、青年は言う。
正解じゃ。女は心の中だけでそう思った。
片方の青年が、おもむろに『
「両手を使わされたのは久しぶりだ。式が切られたのも……いや、切られたのは割と最近ですね」
余裕そうにどこかを眺めながら、青年の一人が言う。
女は肩を大きく上下させ、呼吸をする。体が、休息を求めている。
「それで?」
青年はニタニタ笑って、端的に言った。
「それで、それだけで、どう身共に勝つ?」
肩をすくめて手を広げる。挙動のひとつひとつが相手の心を逆撫でるのも、相変わらずだ。
「なに。いつか、本体に当たれば、終いじゃ。たいした、こともない」
肩を揺らし、女は言う。
『インドラ』の反動が如実に表れている。体力はすでに限界に達し、全身から汗が噴き出す。刀を握る手も、どこか力が入らない。いや、握力に関してはずっと不調だ。痺れる感覚。その指先には、すでに神経が通っていないような錯覚すら覚える。
だがそれでも、女は気丈に青年を睨んだ。額から流れる汗が一滴、目尻をかすめ、涙のように伝った。
「美しい……」
青年は不意にそんなことを言った。その表情は純粋な感嘆だ。いつもの気色の悪いニタニタ笑いを消している。だから、それが純粋だと解るのだ。だから――だからこそ、その神経が気色悪いと感じるのだ。
「人間は努力することができる唯一の生き物です。だから、努力する姿は、いかなるときも美しい。とりわけ、美しい女性が不可能に挑戦し、泥まみれになるのは、何度見ても飽きません」
「……下種が……」
「どう思われようが結構ですが、これは純粋な気持ちですよ。どこまで追い込んでも、あなたは立ち向かってくる。その精神、『宝』と呼ぶに相応しい」
言うと、青年たちは構えた。
「だから、簡単に壊れてくれるな」
青年たちが一斉に女へ向かう。真ん中の青年が杖を構え、数歩先んじる。その左右後方を、わずかに遅れて、扇を構えて駆ける青年が二人。徐々にその陣形は広がり、女を多方向から狙う。
女は視線をめまぐるしく動かし、対応を考える。おそらく中心の青年が真っ先に女へ到達するだろう。杖での殴打。それを受けるだけの力が、残っているだろうか? また受けきれたとして、その後、追撃されるであろう左右の青年による攻撃は? おそらく中距離からの音での衝撃波。左右から挟み込まれるそれを、躱せるだろうか?
考えるだに困難だ。『インドラ』による高速移動も、もう一度使えば、ほとんど動けなくなるだろう。だから、この場を乗り切るだけの回避に当てるわけにはいかない。
『百貨店』に収められた、他の『異本』の能力はどうか? いくら百冊以上集めたといっても、戦闘向きなものは少ない。
『ベルフェゴールの歯車』。触れた相手の動きを数秒、遅くする。『
駄目じゃな。女は思った。どの『異本』を用いようと、この状況を好転させるには弱すぎる。
そもそも女は、蒐集した『異本』のほとんどを使ったことがない。もとより女の目的は『異本』を『蒐集する』ことだ。決して『使う』ことではない。必要であれば使いもするが、基本的に『異本』は、蒐集して終わりなのだ。
そんな『異本』の性能など、すべてを把握しているはずがない。もしかしたらこの状況を打破しうる『異本』も持っているのかもしれなかったが、女にはこの土壇場で、それを脳内検索することができなかった。
だから、諦めた。女は生きることを諦めた。
「訂正じゃ、シキ。……
ここで、ともに死のう。
その呟きは、青年たちには届かなかった。
だから、青年たちの速度には微塵も影響しない。
それを見て、女は笑う。懐に手を入れ、なにかを呟く――呟きかけた。
「お姉ちゃんっ!!」
目を疑った。目と耳と、あらゆる現実を疑った。
中央の青年が杖を振り下ろしている。その最中に、女と青年の間に、その少女は現れた。
細い体躯。頼りなく白いその姿。それは
そんなことはきっと、少女にも解っていた。
それでも――
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