170th Item Vol.1(ニュージーランド/ワンガヌイ/8/2020)


 長身に赤髪。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んだ体型。露出の高い服をコートで覆っただけの格好。ジャラジャラとアクセサリーを大量にあしらった軍帽。そして不釣り合いに幼い顔つきに口角を上げると現れる鋭い犬歯。


 どこからどう見てもまともじゃない。そんな目立つ姿でこうも堂々と振る舞えるのは、自信の表れだろう。


「久しいのう、ガキ。……ハクはどこじゃ?」


 女は周囲を見渡す。神経質に遠くまで、周囲360度すべてを。


「ハクならいないわ。いまは――」


 怪我をして入院している、ということを、少女はすんでで飲み込んだ。若者にも言われたことだ。敵に余計な情報を与える必要はない。


「別行動よ」


「そうか。まだ治っとらんのか。貧弱じゃのう」


 その言葉に少女は違和感を覚えた。まるで女が、男の入院を知っているかのようだったから。


「そんなことより、おばさん」


 少女は切り出す。


 そもそもが敵だ。しかし、少女はそんな敵を見つけ、急いで女のもとへ駆けつけた。以前にやり合ったこともある。だから、危険がある可能性ももちろん考えていた。


 それでも、少女が女のもとへ向かった理由。それは――


「わたしの体にかけた『異本』の効果を、消して」


 以前、女と争ったとき、少女は女の持つ『異本』によって、ある枷をはめられていた。それは、少女の頭に遺る『異本』の効能を打ち消すもの。

 それに関して少女は、若干の不具合を感じてはいたが、無理に戻そうなどとは考えなかった。しかし、あれから多くの戦いを経て、いま一度、その力を取り戻したいと感じ始めていた矢先だったのだ。


 そんな少女を見、女は勢いよく少女へ自身の顔を近付けた。


「おばさんじゃない。お姉さんじゃ」


 女の持つパーツのうち、唯一攻撃力のない顔を、それでも可能な限り歪めて、少女へ向ける。


 少女は威圧された。怒りの形相をしてもまだ弱い女の表情だったが、その気迫に圧され、たじろぐ。


「お、お姉ちゃん・・・・・


 だから、ついそのように、口が滑った。


        *


 少女の言葉に、女は顔を歪めた。だがその歪みはさきほどと異なり、ポジティブな方向へ振れている。


「は、はわわわぁぁ!? い! 愛い愛い、なにこれ、可愛かぅわういぃのじゃああぁぁ!!」


 突然の咆哮に少女は一歩引く。だが、その後退は精神的なものと比べればごくごくわずかだった。


「い、妹なのじゃ……ぐへへ……わらわに妹ができたのじゃ……」


 少女はさらに後退する。なぜなら、いつの間にかできていた姉が、両手をわきわき・・・・させながら、獲物を狙う肉食獣のようによだれを垂らして、やや前傾気味にに近付いてくるからだ。


「い、妹になった覚えは、ないわ」


 少女はそれだけをなんとかひり出した。距離は徐々に縮まっていく。その気迫に圧されていては、それで精一杯。


「いひひ……妹よ、なにか欲しいものはないかの? お姉ちゃんが……ぐへへ……お姉ちゃんがなんでも、買ってあげるのじゃ」


「だめだこのお姉ちゃん、話聞いてねえ」


 少女の言葉が崩壊した。


「はああぁぁん……! ツンツン系妹なのじゃ! 反抗期なのじゃ! 可愛かぅわういのじゃああぁぁ!!」


「きゃああああぁぁ!!」


 素直に絶叫した。これは動物的本能だ。獣に狙われる獲物は、その喉元に喰らいつかれれば、それくらいしかできることがない。


        *


 念のため確認しておくが、ここは公道のただ中だ。どれだけ気持ちが高揚しようと、いきなり相手を組み敷き、摩耗するほどの頬ずりをしていい場所ではない。


「あの……ホムラさん。……灼葉しゃくようほむらさん?」


「なんじゃ、なれ。妾はいま、愛い妹うぃもうとを愛でるのに忙しいのじゃ」


「その妹が白目を剥いています。ちょっと緩めてください」


「妹よおおぉぉ!」


 女はまたも咆哮したが、どうやら力は抜いたようだった。そしてようやく、正気も取り戻す。


 ベンチに座り、女は少女の頭を膝に乗せた。


「ところで汝は誰なのじゃ? 妹の恋人か?」


 鋭く光る眼光。それは威圧とは違うが、しっかと少年を見定め始めていた。


 少年は一考する。


 灼葉焔。その姿を見るのは初めてだが、一目で確信した。若者から聞いてよく知っていたのだ。その独特な容姿は間違えようがない。それに、少女が女と出会ったときのことも聞いていた。それとこの場での会話を考える限り、女は若者の姉、灼葉焔に違いなかった。


 さて、そうであるなら。自分はどう答えるべきか? 女の戦闘力は聞いている。ここでわざわざ敵対したくはない。問われるままに「恋人です」と答えるのはまず間違いだと解る。そもそもそんな事実はない。


 かといって、「稲雷いならいじんの子どもです」と言うわけにもいかない。それはそれで、敵意を起こさせる可能性が、比較的高い。


「わたしは……シロの兄です」


 だから無難な返答を選択した。そのうえ、その表現自体、あながち間違いでもないであろう。


「シロ? 妹はそんな名じゃったかのう……」


 女は少女に目を落とし、少し考えた。


「ああ、いえ。たしか本名はノラです。ノラ・ヴィートエントゥーセン」


「そうじゃ、ノラじゃ。愛いのう。ぐへへ……」


 またもよだれが垂れる。だが、少女の顔に落とす前に、女はなんとか、それを拭った。


「それで、ホムラさんは――」


「お姉ちゃんじゃ。ノラの兄じゃろ? じゃあ汝も、妾の弟なのじゃ」


 女は期待を込めた目で少年を見た。


「……姉さんは、ここでなにをやっているんですか」


「姉さん! いいのじゃ! それはそれでクるのじゃ! クール系弟の爆誕なのじゃああぁぁ!!」


 少女を膝に乗せていたことが幸いした。でなければ二人目の犠牲者がでたに違いない。


「わたしはとうに誕生しているのですが……」


 そんな声は、もちろん女に届かない。


        *


「『Te waiワイ ma』を探しに来た」


 落ち着き、再度問うてみるところ、女はそう答えた。


「汝もノラの兄なら知っておるじゃろう。世界に776冊あるという特別な本――『異本』のうちの一冊。それが『Te wai ma』」


 少年は努めて態度に出さないように配慮した。


 おかしい。そんじょそこらの『異本』ならまだしも、『Te wai ma』のことを女が知っているとは思ってもいなかったのだ。

 それはゆゆしき事態だ。他の誰かならいざ知らず、『箱庭』シリーズの持ち主に、よりによって『Te wai ma』のことが知られるとは。


「このあたりにあるはずなんじゃがのう……探知能力がうまく機能しとらん。あちこちにあるようで、どこにもないような」


 そうか、探知能力。『箱庭』シリーズに備わっている機能の一つ。シリーズのそれぞれで探知能力の精度は違うと聞いていたが、少なくとも女の持つ『百貨店』は一目見れば・・・・・探知候補として追加されるらしい。


 少年は理解した。


 女が『Te wai ma』を知ってしまったなら仕方がない。自分にできることはないが、ジンに報告くらいはしておこう。

 いや、ジンならおそらく、すでに見ている・・・・のだろうが。


「もう一つ聞きたいことがあります。……シロにかけた『異本』の効果とは?」


「……ん」


 女は少女に目を落とした。言葉尻を惑わせて。


「まあ、兄である汝には話しておいた方がよかろう。……じゃが、まだ効果は解くわけにはいかんが」


 ところで、汝、名はなんという?

 女は言葉を躊躇うように、そうやって一つ、間隙を挟んだ。


「これは、申し遅れました。わたしは――」


 白雷はくらい夜冬やふゆです。


 少年は立ち上がり、紳士らしく頭を下げ、名乗った。



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