0.5th Step(オーストラリア/キャンベラ/8/2020)


 2020年、八月。オーストラリア、キャンベラ。


 男とも女とも取れる外見の者がゆったりと歩いてくる。


 狩衣のようなデザインの服装だ。平安時代の貴族のような。黒い袴の上から袖口の広い白い上着を纏っている。その上着の脇は縫われておらず、内側の袴が覗いていた。左手には黄金の杖。右手には漆塗りの扇。その扇を三分の一ほど広げ、そこに張られた白い和紙で口元を隠している。


 艶があり、鈍く深緑色に照って見える癖毛はワカメのようだ。瞳の色は左右でわずかに違っており、右目は濃い黒色、左目はくすんだ灰色だった。


「おや。あなたもいらっしゃっていたのですか。二級特別管理官殿」


 声を発する。特別と低いわけではないが、その声でその者が、青年男子だと判断できる。青年は扇を閉じ、丁寧に頭を下げた。その動作は、目上の者へ向ける最大の侮蔑を込めた礼節だ。


「シキさん。……どうも」


 その侮蔑を受けたからではないだろう。しかし、別のどこかで青年に嫌悪を持っている。そういう含みを持たせた、公の場における正しい対応だった。


「『火蠑螈ホォロンヤン监狱ジアンユ』を譲られたそうですね。しかも、ただの一個人に」


 棘のある言葉遣い。しかし、内心のことなど誰にも解らない。たとえ本人だとしても。だから人間、先にキレた・・・方が負ける。


「方々の許可は取ってあります。……なにか問題でも?」


 女は厳しい顔つきをさらに少し歪めて、不快感を表現する。


「いえ、滅相もない。ただの事実確認ですよ」


 青年は改めて扇を広げ、口元を隠した。その状態で目つきだけを見ると、どうしてもニタニタ笑い、おちょくられているような気持ちになる。


「しかし――」


 青年は杖を一度踏み鳴らす。杖の上部につけられた鈴が、耳障りに一度、鳴った。


「譲る相手は、もう少し選べたのではないかと」


 やはり、笑っている。相手をおちょくるように。その声質からは、どうしてもそういう印象を孕んでいた。


        *


 咳ばらいが聞こえた。


「ご不満ですかな、シキ殿」


 見ると、老人だ。皺に潰れたからか、老人特有の柔和さがある。特別な威圧感はないが、身なりがよく、また、斜め後ろに立つ二人の使用人が、老人の高貴さを物語っていた。


「一級監査官殿……! おいででしたとは……」


 その驚愕は本物だった。しかし、片膝をつき首を垂れる動作は淀みなく、まだ余裕が見て取れる。そして、余裕であれば態度も変わらない。やはり相手を逆撫でる言動が随所に表れていた。


「ハク様はこの老いぼれが、『異本』を持つに足る男であると判断した者です。異があるのでしたら、私がお聞きしましょう」


「いえ、……それを聞いて安心しました。『ジャムラ呪術書』も同じ方にお譲りしたと聞いておりましたので。まあ、『ジャムラ』は一級監査官殿の私物ですので、身共みどもが口を出すことはありませんが」


 かしずいた姿勢から立ち上がる。改めて扇を開いて、先程よりも深く、口元を隠した。目を細めて、やや顎を引く。


「あと三歩、お下がりください」


 不意に使用人の一人が前に出、両手を前に出した。そこに握られているのは伸縮性の棍。まだ伸ばされておらず、長さは三十センチほどで威圧感が弱いが、持ち主の目つきは鋭く青年を射抜いていた。


 青年は言われるまま、黙って三歩下がる。


「やめないか。……失礼しました、シキ殿」


 老人は使用人を下がらせ、わずかに頭を下げた。


「……いえ、主人思いの、よいメイドですね。しかし、以前お連れだった方とは、よく似ているが別人です。どうされましたか、あの方は」


 扇に隠れているが、青年は苦い顔つきをしている様子だった。


「ほっほ。老いぼれの世話など、あの子には退屈だったのでしょう。……仕えるべき相手をしっかと己で見つけ、出て行きました」


「それはそれは――」


 実に残念だ。と、青年は低く、取りこぼすような口調で言った。


        *


 青年は会合が行われていたビルディングを出た。一度、振り返り、見上げる。毎度毎度、このビルディングで会合が行われているわけではない。しかし、この組織に関わったというだけでいろんな感情が湧き上がってくる。それは畏れか、蔑みか、妬みか。青年自身にも理解できなかった。


「腹立たしい」


 杖を一度、踏み鳴らす。それで気を静め、杖を日本刀のように腰に差した。扇を袖口に仕舞い、逆の袖口から、一冊の本を取り出す。


 いや、『一冊』というには中途半端だ。煤けたこげ茶色のハードカバーだが、表紙がない。もとは一冊であったはずの本の前半部分が破り取られたような形状をしている。ゆえに、タイトルは、そのものを見ても解らなかった。


「努力が足りない、努力が」


 その本に手を当て、目を閉じる。様々な景色が心象に映った。


「にゃーにをしてんだぁ? シキちゃん」


「努力だ。見れば解るでしょう」


 にひひ。と、その幼いギャルは下から青年の顔を覗き込んだ。

 ツインテールの金髪。つけまつげにアイシャドウ、赤いリップクリーム。チャラチャラとしたピアスは両耳合わせて十を越え、それ以外も含めれば二十を数えるほどだ。髪色もメイクも浅黒い肌も香水の匂いも、どれも作られた装飾で、青年とは違った手法で、相手の神経を逆撫でる。


「アリス。あなたこそなにをしているのです、こんなところで」


「きゃは☆ エルファとゼノの付き添いだよぉ。WBOの会合日程が事前に知れたのは珍しいからね。回収回収♪」


 横ピースにウインクを添えて、ギャルは言った。


「相変わらず鬱陶しいやつだ」


 青年は思った。


「おーい、漏れてるぞぉ。隠せ隠せ」


 不満げにギャルは言った。だが、余裕はあるようだ。決して怒ってはいない。


「それで、なにを回収すると?」


「あ、やっぱ気になっちゃう感じ? だいじょぶだいじょぶ。シキちゃんの邪魔にはならないものだから」


「それを判断するのは身共です。お解りだとは思いますが、邪魔になるようならあなたたち『本の虫シミ』も、ぶっ壊しますよ」


 青年はギャルを睨み下ろし、言い放った。


「おけーい。ぴかりんにも伝えとくね☆」


 大きな瞳をギラリと輝かせ、ギャルは返す。んじゃ、そろそろ行くにゃー。言って、ひらひらと手を振り、去って行った。


 その姿を見送り、青年はため息をひとつ。再度袖口に手を入れ、一枚の紙を取り出した。


「やれやれ、せっかくとっておいた一枚を、こんなところで使わなければならないとは」


 反対の手に握られたままの本が薄く発光する。すると、その手にある紙が風になびき、ピントがずれたようにぼやける・・・・。そして一気に形を変えた。


「努力を続けよう」


 そのは青年の言葉に呼応し、どこかへ向かった。


        *


「失礼。WBO三級執行官の方ですね」


 その優男は坊ちゃん然としたおかっぱの金髪を揺らし、礼儀正しく言った。


「何者だ。貴様」


 しかし、問われた男は一気に警戒する。それもそのはずだ。WBOといえば一般的には世界ボクシング機構のことで、そこに三級執行官などという役職はない。つまり、世界的に認知度が低く、そもそも国などに認められていないくせに『世界書籍機関』などと名乗っている方のWBOの人間だと理解したうえで話しかけられている。しかも、会合で必要となった・・・・・・・・・異本・・を持ち歩いているこんなタイミングで・・・・・・・・・・・・・・・・・


「名乗る必要はありません。我々は『本の虫シミ』です。……おとなしく『ピピリノの航海日誌』を渡してください」


 執行官はなにも答えない。が、わずかに体を引き、懐に手を差し入れる。


「WBOの中でも、執行官という役職だけは、『異本』との親和性が高い者にしかなれぬ特別な役職。……その意味が解るか?」


「ええ、存じてます。つまりあなたは『ピピリノ』を扱える。そういうことでしょう?」


 だったら使うなりなんなり好きにして、とっととかかってこいよ。優男は言った。


        *


「おっつー☆ 簡単なお仕事だったねぇ」


「三級執行官くらいではね。エルファの出る幕もないですよ」


「不満。うちの子たちもそう言ってる」


 ギャルと優男、そして小さな娘子。実際に『異本』回収に手を下したのは後者二人だが、その戦闘を見る限り、娘子の方が厄介そうだ。まあ、水を操る『ピピリノ』に対して、油を操るらしい優男の『異本』が、相性の悪かったこともあるが。


「わざわざわちきが回収に来たってのに、ほとんどゼノがやっちゃって」


「いいじゃないですか。エルファは働くのが嫌いでしょう?」


「嫌いだけど。やる気で来たから、消化不良」


 整えられていない黒髪は無造作に腰まで伸びている。娘子はそれを邪魔そうに、首を大きく振り揺らした。子どもっぽく頬を膨らませ、つまるところが不満そうだ。

 娘子には特徴らしい特徴はないが、その後ろにつき従う――


「目障り」


「くっ……」


 娘子の言葉とともに、冷や汗をかいた。

 どうやら、切られた・・・・。景色が歪んで、溶け始める。


「そういえば、前にゼノと組んでた人はどうなったの? その人のせいで、わちきまで駆り出されてるわけだけど」


「ああ、どうにも使い物にならないようで、トイレ掃除からやり直してますよ」


「ぴかりんももう少し使おうとしてたんだけどねぇ。あの戦闘以来、頭くるくるぱーになったみたいにゃー」


「いえ、あの馬鹿はもともとくるくるぱーですよ」


 わずかな談笑が最後だった。景色がひとつ消え、やがて紙が戻ってくる。


「……さて、身共も次の回収に向かいましょう。……確かにあの程度の『異本』は、特段の食指も動かないようですし」


 呟き、青年は踵を返す。目的地は海こそ超えるが、そう、遠くない。



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