38th Memory Vol.3(中国/成都/8/2020)


 まず起きたのは、ただの衝突事故だった。車同士の接触事故。それだけでは、とりたてて珍しくもないだろう。

 それでも男は警戒していた。先日受け取った、脅迫文が頭にちらついたからだ。それでも進行方向を曲げるほどではない。


 それから起きたのは、連鎖する玉突き事故。だがそれにしたって、特別あり得ない事件ではない。特に交通規制が緩い中国だ。

 そういう具体的なことを思ったわけではないが、男はやはり、過大に動きを変えることはしなかった。せいぜい立ち止まり、成り行きを見守る程度。


 問題は、その先だった。事故の先頭。一番最初の衝突事故を起こした車両から、玉突き事故に巻き込まれた順番に、車体が爆発していった。

 一二台の車が爆発する程度なら、あってもおかしくはない。だが、事故にあった車が順々に、規則正しくすべて爆発していく、なんてことは、まずあり得ない。


「ノラ! パララ!」


 あり得ない事件には、人知を超えた力が働いている場合がままある。たとえば、『異本』のような。

 男はそう考えて、とっさに二人の女子に声をかけた。


 それだけでだいたい察したのだろう、前を歩く二人は、男の影に隠れるように、少し後退した。


「逃げないの? ハク」


「『異本』が絡んでいる可能性がある。少し様子を見たい」


 言うと男は周囲を見渡した。ほとんどの通行人は即座に立ち上る炎から離れるように逃げていく。一部、立ち止まり様子をうかがったり、むしろ炎に近付いてく者もいるが、とりたててあやしいという挙動はない。


「おまえらはとりあえず、あの路地裏にでも隠れてろ。危険を感じたらホテルに逃げてもいい」


 運よく、ホテルの方向は事故現場と反対方向だし、距離も離れている。現状危険ということはないだろう。

 少女は一瞬躊躇ったが、すぐに二人は男の指示通り動いた。


 男は慎重に、炎に近付く。


        *


 玉突き事故の先頭に、生き残っている車両が二台ある。そのルーフ上に立ち、叫ぶ男が二人。


「おい、なんつったっけ? コオモリ・・・・! 出てこいや!」


 ぼさぼさの金髪で頭の悪そうな悪人顔が叫ぶ。だが、その分体格はいい。自分と組み合ったら分が悪いだろう。男は冷静に分析する。悪人顔は隠しもせず一冊の本を持っていた。遠目ではっきりとは視認できないが、特徴的な黒い装丁、そこから『あるシリーズ』の一冊であることが窺い知れる。


 で、やっぱり俺かよ。と、むしろ安堵した。キルギスから突発的な事故に見舞われてばかりだったので、素直に物語が進んで、なにひとつ驚愕する部分がない。


コオリモリ・・・・・です、名前間違っちゃ、出るもんも出ませんよ。……ということでコオリモリさん! コオリモリ・ハクさんはいらっしゃいますかね!? あなたのせいで大勢が迷惑してるんで、出てきてもらえますか!?」


 いかにもインテリ風の金髪の優男が、姿勢正しく後ろ手に手を組み言った。こちらは体格がよくない。だいぶ体がなまったいまの自分でも、まあ力だけなら勝るだろう。というほどに、ひょろそうに見える。


 その優男が、おもむろに片手を持ち上げ、続けた。その手に握られているのは、悪人顔と同様の、特徴的な黒い装丁。


「たぶんいると思うんで、話進めますけど。これ見えますか!? ええ、あなたの欲しているものですよね! 欲しければ、姿を見せ、奪っていけばいいです! ただし、我々はあなたから『火蠑螈ホォロンヤン监狱ジアンユ』を奪わせていただきます!」


 あり得ないでしょうが。と、優男は前置きを挟み、主張を続けた。


「『火蠑螈监狱』を渡すなら、この場は引かせていただきます! その他の『異本』については、今回は見逃しましょう! 少なくとも我々が把握している、あなたの『異本』で、我々が欲しているものは、現状、他にありませんから」


 最後に。優男は叫びすぎて疲れたのか、やや言葉を溜めた。


「我々は『本の虫シミ』です! ハクさんなら、その意味は解るかと思います!」


        *


 男は金髪二人の死角を縫い、一度戻った。


「……逃げてなかったのか」


 路地裏をのぞいてみると、女子二人はそこに、まだ、いた。


「特別動きがないから。……さっきの叫び声、ハクを呼んでなかった?」


「ああ、ご指名だ」


 その言葉に、女子二人は顔を見合わせた。


「にーちゃん、行くん?」


「ああ、悪いが預かっといてくれ」


 男は言うと、ぼろぼろの茶色いコート、いつも着ているそれを脱ぎ、少女に渡した。


「逃げた方がいいわ。ハクになにができるっていうの?」


「知らねえ。だが、『異本』を前に逃げ出すようじゃ、776冊すべてを集めるなんて、土台無理だろうよ」


「時と場合があるでしょう? 相手は二人なんでしょう? しかも、たぶん火とか爆発とかを起こせるだけの『異本』」


「『異本』の目星はついてる。なら対策のしようもある」


「でも……」


 少女は拗ねているような表情で言葉を噤む。


「にーちゃんが死んだら、ウチはどうすりゃええねん!」


 それは幼女にとって本心の一部ではあったが、本当の本心は、もちろん別にあった。


「もしものときはメイドにいろいろやってもらえ。……ノラ。てめえには俺の資産を引き出せるようにしてある。万が一俺が死んだら、好きに使え」


 男は少女の頭に瞬間、手を置いた。


「…………っ!」


 少女は言葉にならない声で、表情で怒りをあらわにした。


 だがすでに、男は背を見せている。


 少女の頭には、男の腕の重みが、ずっと残っていた。


        *


 男は無性に腹が立っていた。


 こんなやつらがいるから、こっそりやってきたというのに、気付かれるのが早すぎる。あいつ・・・のせいだ。と、ローマでのことを思い出す。だが、まあ、それはいい・・・・・


 どうして『火蠑螈监狱』をわざわざ狙ってきたのか? たしかに男が手に入れた中でも比較的、一般的に所在が知られている『異本』であり、性能もそれなりに高い。脅迫文も見ていたのだ、可能な限り早く国を出るべきだった。

 パララの住居探しに時間を食った。本来なら今日の午前には、空の上を飛び、どこか別の国へ向かっているはずだったのだ。だが、まあ、それはいい・・・・・


 そもそも『本の虫シミ』という組織がなぜ存在する? そして、なぜよりによって、自分を狙ってくる? ただ運が悪かった? 『先生』の後継者の一人として、名が知られていた? ホムラの弟分として? ただ単純に『異本』蒐集家として?

 理由は解らないが、なんらかの事情により今回狙われた。だが、まあ、それはいい・・・・・


 理由の候補となるものには、自分の行動の浅はかさも含まれている。本当にそんなことは、どうでもいい・・・・・・


 男が一番腹に据えかねたこと。『異本』を前に逃げたくない、自分が出て行かなければさらなる被害が出るかもしれない。そんなことも、立ち向かう理由にはなるが、一番は怒りだ。


「てめえら! まぎらわしい金髪でうろつくんじゃねえ!」


 男は二人の金髪の前に、威風堂々、現れた。


        *


「ひゃっはあ! 出たなコオモリ・・・・


 悪人顔は駆け引きもなにもなく、いきなり男へ人差し指を向けた。親指は立て、残り三本の指は握られている。そう、ガキがよくやる、銃を撃つマネ。


BANGバン!」


 まさしくガキの様相で、悪人顔は叫ぶ。


 この状況でそれがおふざけであるなどとは男も思っていない。すぐにその架空の銃砲を躱すように動いた。逆に規模が読めない。ゆえにできる限りの大きな動きで、コンクリートの上を転がる。


 男がもといた場所をかすめたのは、直径数センチの炎柱・・。射程距離の広いガスバーナーのようなものだろう。地面の焦げ具合から威力も想像できる。あれだけじゃ爆発は、少なくとも簡単には起こせない・・・・・・・・・


 男は優男の方へ視線を走らせた。あの悪人顔が小狡く加減などしたとは考えにくい。つまり、爆発を引き起こしたのは多くが、もう一人の手柄だ。


「馬鹿が……」


 回避の動作で、わずかに優男に近付いていた。だから男にはその言葉が聞こえた。

 優男はさきほどまでの柔和な表情を崩し、額の血管をひくつかせている。それを隠すように、片手で頭をおさえながら。


 だが、そんな表情もすぐに消えた。柔和な細目に戻り、男と目が合う。

 ぞくり。と嫌な予感がして、男はとりあえず動いた。自分がいままでいた地面に、なんだか違和感がある。


 わずかに、地面が傾いている? 事故の騒動で、そばにジュースが転がっていた。その内容物が、歩道の方へ向け・・・・・・・、徐々に流れていく。ゆっくりではあるが、確実に。

 そして、その流れる先を見て、男は察知した。


(ガソリンか)


 声には出さない。だが、事故で車から流れ出てきたであろうガソリンが、ジュースとは逆の方向・・・・へ流れていた。歩道側から車道中央へ。つまり、男の方へ向けて。

 だから、金髪二人の『異本』について、ほぼ確信する。


白鬼夜行びゃっきやこう』シリーズ。『不知火之書しらぬいのしょ』と『大蝦蟇之書おおがまのしょ


 嫌な組み合わせだな。と、男は近付くガソリンから距離を取った。


        *


鬼夜行』シリーズ。


 大元である『鬼夜行』に関しては、古く、室町時代から存在するが、『白鬼夜行』シリーズは割と最近、昭和時代初期に日本で書かれたものである。一文字目の『白』は大元の『百』をもじったもので、意味は色としての白ではなく、『百』から『一』を引いた『九十九』を意味する。


 実際『白鬼夜行』シリーズは全九十九書。そのうちちょうど三分の一となる三十三冊が『異本』とされている。ひとつのシリーズで最も多く『異本』と認定されているシリーズだ。


 これだけ多く存在すると、シリーズ全体を一括して評することは難しいが、よく言われるのは「『白鬼夜行』シリーズは扱える者が少ない」という点だ。その代わりにその性能が比較的高い。なにもないところから火を発生させたり、一定の範囲内の油を操ったり。特に性能の高いものでは、天変地異級の災害を引き起こせたりするものもある。


 そして『白鬼夜行』シリーズはその多くが、裏組織『本の虫シミ』が所有していると言われている。


        *


『不知火』の方は威力が弱い。それだけなら問題にならない。男はまさしく炎を躱しながら考える。そもそも、『白鬼夜行』シリーズに火をつかさどる『異本』はいくつかある。その中でも、『不知火』は本来、威力が強めであるはずだ。ただし、かわりに直線の動きしかできない。


 たいして『大蝦蟇』の方は『異本』全体としても中の下程度の性能。さほど広くない範囲の油を動かせる程度。しかも噂によると、直接触れた分だけであるとか、肉眼で視認しているときしか動かせないとか、制限もあるはずだ。


 男は考えながら、無理な姿勢で身を引いた。足元にガソリンが迫ってきていたのだ。


 こうなるとあの二人の立ち位置も絶妙だ。事故により車や、それに付随する炎が壁を作っている。その中において、ある程度の距離を空けて並ぶ二つの車両。そのそれぞれに立つ金髪。『不知火』の炎から逃れるために可能な限り悪人顔を注視していなければならない。だが、足元にはガソリンがじわじわと迫る。ガソリンに軽くでも触れたら命取りだ。男が躱そうとも地面のガソリンに引火されると、伝って男まで燃やされかねない。


 だから、優男としてはガソリンだけ浴びせられればそれでいい。ガソリンに引火することをほのめかし、男に降参を促す。そもそも男を殺せば『異本』の在り処が解らなくなるのだから。


 だが優男のそういう意図は悪人顔には伝わっていないのだろう。悪人顔の攻撃は、優男が男にガソリンを浴びせる隙を作るのに一役買ってはいるのだろうが、浴びせた直後に焼き殺しかねない。


 だから優男としてもタイミングは見計らっているはずだ。優男がガソリンを浴びせた後、悪人顔が攻撃を仕掛けるまでタイムラグができる瞬間を。

 でなければ、男はとうに、ガソリンを浴びている。そういう隙は、確かにあった。


 このままではジリ貧だ。だが、勝機もある。

 そもそも、ガソリンを浴びせて向こうの勝利が決まるなら、優男は悪人顔にそう言えばいいのだ。だが、その程度のコミュニケーションをとらないということは、金髪二人にはコンビネーションが足りない。少なくとも、忠告したところで悪人顔がその指示に従わない理由でもあるのだろう。

 だから、男はタイミングを見計らう。


 ガソリンを浴びせれば向こうの勝利が確定する……わけではない・・・・・・ということが、男の切り札だ。



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