0th Story Vol.2(中国/成都/1/1999)


 1999年、一月。中国、四川省、成都。


「こんな老骨に鞭打ってまで、呼び寄せるほどかのう」


「申し訳ありません、憂月うづきさん」


 初老の男はゆったりと歩く。背は高いが、歩幅が広いというほどでもない。ゆえに進む速度は、たいしたことない。


 だが、男を呼び寄せたらしい若い女は、険しい顔を携えて、やけにせかせか歩いている。女はけっして背が低いというわけでもなく、歩幅もそれなりにあるはずだ。だが、そうやって忙しなく歩く姿は、謙譲の意味合いを持って男に印象付ける意味合いがあるのだろう。


「中国は久しぶりなのじゃ! 『パパ』。ここは中国のどのへんなのじゃ?」


「四川省、成都じゃ。つっても、おまえどうせ、すぐ忘れるじゃろうけど」


 その場の誰よりも運動量の多い童女へ、男はいたずらっぽく言った。

 童女は赤髪を揺らして、頬を膨らませる。


「で、なんで俺達まで着いてこなきゃならねえんだ。いたって邪魔だろ、こんなガキども」


「食料も底をついていただろう。また低俗な盗人生活に戻りたいなら、好きにすればいいけれど」


 黒髪の少年は面倒臭そうに、金髪の男児はどこか達観した雰囲気で、男より後ろをゆっくりと着いてくる。いがみ合っているような会話だが、少年も男児も、お互い相手を気にも留めていないような雰囲気だ。そこにいるのに、まるでいないような。


「あら、またお子さんが増えましたのね」


 気難しそうな女だったが、男の子二人を見て相好を崩す。すると思っていたよりも無邪気な顔つきで、警戒心が薄まる。


「ジンとハクじゃ。どっちも生意気じゃから、気を付けなされ」


 ほっほっほ。と、男は、可愛い子どもに新しいおもちゃを与えた父親のように、楽しそうに笑った。


        *


 まずは近くの料理店に入る。四川と言えば激辛料理が有名だ。だがそんなことは、連れられてきた三人の子どもたちには、当時、知る由もなかったことである。


 女が注文する。そういえば男と女の会話は英語で行われていた。もしかすると男は中国語ができないのかもしれない。

 料理が運ばれてくる。全員で揃って口を付ける。阿鼻叫喚が巻き起こる。まるで地獄絵図だ。


「なんなのじゃ! 痛いのじゃ! コックに文句を言うのじゃ!」


「……まあ、か、辛いだろう、とはさ……あはは、はははは……」


 赤髪と金髪はそれぞれ独特な反応を示した。男はそれを見て楽しそうに笑う。


「ほっほっほ。引っかかりおったぞ、このクソガキども。……うん? ハク、どうした? 声も出んか?」


 黙って咀嚼する少年を見て、男は少しだけ心配そうに顔を覗き込んだ。


「あん? いや、まあ、辛いは辛いけど、そんな大袈裟な」


 言って、もう一口含む。無理して食べている風でもない。男は興味をそそられ、自分自身でも食べられない、マイルドでない・・・・・・・皿を勧めてみた。


「なんか、見た目やべえな。……ああ……でも、こっちのがうめえ」


 無理しているどころか気に入ったようで、少年はその皿ばかり食べ進めた。

 さほど大食いでもない少年だったが、その日は童女や男児の分までたいらげ、ご満悦だった。


「おまえ、舌がぶっ壊れとるの」


 男をして若干引き気味で、そう言った。


        *


 腹ごなしを終えて、近くのビルへ入る。どうやら会議室を借りていたらしい。


「では、本題です」


 女が口火を切った。


「先にお話しした通り、この成都で、新たな『異本』が発見されたかもしれないのです。それで正式にWBOから憂月さんへ依頼が下りたというわけでして」


「うんうん。解っとるから、手早くの」


 女は困ったような笑顔で、自身の担いできたバックから、布に包まれたなにかを取り出す。


「タイトルは『火蠑螈ホォロンヤン监狱ジアンユ』。もう百年近く杜甫草堂に収められていたものなのですが、いまさらになって『異本』ではないかと疑惑が上がりました。気付かなかったのも無理はありません。現状疑われる性能は、触れた者に、近いうちに、火の災いが訪れる、という、なんとも信憑性の薄いものですので」


 布の包みを解く。そこに現れたのは透明なアクリルケース。そこに収められているこげ茶色の装丁の本。


 男はちらりとそれを一瞥した。


「うん、『異本』じゃな。入手難度、は、現状Cでええじゃろ。変性力C。抗力C。毒性D。効果範囲D。汎用性A。総合性能Cじゃな。まあ、普通の『異本』と言ってよかろう」


「ありがとうございます」


 メモを取って、女は言った。


「え、終わり?」


 少年が頓狂な声を上げる。


「終わりじゃ。まったく、これだけのために老人を引っ張り出すのはやめてほしいもんじゃ」


「申し訳ありません。ですが、『異本』鑑定ができる者は、世界でも本当に限られておりますので」


「せめて持ち出せるものだけにしてほしいの。そうすりゃわざわざ、飛行機なんぞ乗らんで済むんじゃ」


「『異本』の多くは、骨董品としても価値がありますから。国境を越えるのはなにかと手間とお金がかかるんですよ」


「解った解った。じゃあ、帰るかの」


 言うと、男は腰を重そうにして立ち上がった。

 それに引き替え、軽く飛び上るほどの勢いで、子どもたちは立ち上がる。


 子どもたちを見ると、自分が老いたのだということがよく解る。男は内心でわずかに気を落とし、ゆっくりと歩き出す。


        *


 来るときはプライベートジェットだった。だが、帰りは男の希望で、一般の航空機に乗ることになった。どうせ支払いはあちら持ちだ。男と子どもたちはファーストクラスのシートに腰を落ち着ける。


「いや、落ち着かねえ」


 無意味なほどにゆったりとして、柔らかいシートだった。ゆえに、少年は落ち着かなく、いろいろと体勢を変えては、しっくりこない座席に首を捻っていた。


「慣れておきなよ。今後きっと、嫌ってほど座ることになる」


 金髪の男児が、だいぶ離れてはいるが、隣のシートで言った。優雅にワイングラスを傾けている。


「金ってすげえんだな。ガキに酒だって振る舞うのかよ」


「グレープジュースだよ。ぼくはアルコールが苦手でね」


 そう言いつつも、まるで本物のワインを嗜むように、男児は目を閉じ、ワインに顔を近付けた。小さく揺らして、香りを楽しんでいるようにも見える。


「あ! またジンがかっこつけてるのじゃ! 可愛らしいのじゃ!」


 後ろの席から童女が走ってくる。男児に絡み、頭を撫でる。撫でられた男児は迷惑そうに窓の方を向いた。


「ホムラもトマトジュースをよく飲むよね。色に親近感を感じているのか、ヴァンパイアを気取っているのか解らないけれど、本当は苦手なのにね」


 言うとこれ見よがしに男児は肩を揺らした。横顔を見るに笑っているのだろう。


「ほう。どうやらジンは、血を吸われたいみたいなのじゃぁがぶがぶ……」


「痛っ……本当に噛むなよ!」


「へっへーん。じゃ」


 得意げに笑い、童女は次に、少年の方に向き直る。


「ハクもなんか飲むかの? わらわがスチュワーデスさんに頼んであげるのじゃ」


 聞いておきながら返答も待たずに、童女は遠くに見える客室乗務員を呼んだ。


「トマトジュース二つなのじゃ!」


「いや、俺は水でいい」


 訂正すると、少年も腕を噛まれた。加減されていないのか、ぽつりと血が浮き出る。

 再度、へっへーんをして、童女は嬉しそうに自分の席へ帰って行った。


「……おい、あいつはいつもああなのか?」


「いいや、普段は、もっとひどい」


 少年と男児はシンクロして、ため息を漏らした。


        *


 時刻は深夜だった。日本と中国の時差は一時間だが、そのどちらだとしても深夜と言っていい時間だ。ゆえに、機内は消灯していた。


 闇の中にいると、独りになったような気がする。少年は自席のライトを点け、光の中に逃げ込んだ。


「きみは、こんなことをしていて幸せかい」


 独り言のような声量だったが、少年に向けられたものであることは明白だ。


「なんだよ、ジジくせえ。……俺にとってなにが幸せかなんて、考えたこともねえよ」


 本心だった。そもそも、自分はまだ、幸せになる、ならないを感じられるところまできていない。少年はそう思っていた。いや、そう思う余裕すらまだ生まれていなかった。このとき、男児に問われるまでは。


 中国に来るときのプライベートジェットの中で、リクライニングのことを初めて知った。少年はそれに慣れておこうと、シートを操作する。加減が解らないので限界まで倒したその角度は、少年にとって割と快適だった。


「人間はなんのために生まれてくると思う?」


 またジジくさい問いかけだった。だが、今度は、少年がなにかを答える前に、言葉が続いた。


「幸せになるためさ」


 男児は窓の外を眺めながら、そう言った。

 ワイングラスを回している。その中のグレープジュースは、さきほどからまったく、減っていないように見える。


「幸せの定義なんて、人それぞれなんじゃねえの」


「そうだよ。だから、きみに問うているんだ」


「俺に幸せになってほしいのか?」


「まさか。ぼくはそんな、いいやつじゃない」


 だろうな。少年は聞こえても聞こえなくてもいい、というつもりで、やや弱めに言った。

 ただ。男児はちゃんと聞こえるように、やや強めに言った。


「きみは運よく、それを願える場所に立った。不自由かもしれない。足りないかもしれない。それでもなにかを強く願えるなら、それを叶えられるであろう環境を得た。だったら――」


 だったら、きみは向き合わなければならないね。


 男児は言った。最後の言葉は少年に向けたものだったのか、あるいは、ガラスに映る、自分自身に向けたものだったのだろうか?


 控えめなアナウンスが響く。まもなく日本に、到着する。



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