38th Memory Vol.4(中国/成都/8/2020)
燃え盛る道路に、もう人はいない。遠くから鐘音が聞こえる。さすがにそろそろ、消防や救急が到着するだろう。
そんな人気の引いた路地裏に、女の子が二人。
一人は真っ白な肌に美しい銀髪。あどけなくも凛々しさを備えた表情は、どんな可憐さも壮麗さも従えることができそうだ。
二人目は褐色の肌に赤茶色のぼさぼさ頭。一人目と比べると「美しい」という表現は合わないが、その表情は年頃の純朴さをいかんなく発揮し、見る者の慈愛の心を呼び覚ますようだ。
「大丈夫やろか、にーちゃん」
「駄目に決まってるじゃない。だってハクよ?」
「せやろな、やっぱ」
そんな純粋無垢な少女と幼女の会話である。いいのか悪いのか、その言葉は辛辣に本心だった。
少女は預けられたコートを抱き締める。慣れた匂いだ。いつも着ていて、特別な手入れをしている風でもないのに、嫌な匂いじゃない。そのコートには『箱庭図書館』を含め、いくつかのアイテムが収められているようだ。布越しにごつごつとした感触がある。
「……こんな大事なもの預かったの、可愛いわたしといえど初めてだわ」
少女は『箱庭図書館』に触れ、呟く。
「なーなー、他にはなに入っとるん?」
幼女はそんな少女を少し羨んでいた。そういえば、自分の頭には手を置かずに行ってしまった。どうしてだろうか? それがやけに、胸に残ってしまう。
そんな幼女の感傷には気付かず、少女はコートを広げる。表には左右に普通のポケット。そして内側には『箱庭図書館』のような、ハードカバーサイズの本も収められるサイズのポケットが、左右に四つずつ。いや、よく見るとそれぞれサイズが違う。雑誌ほどの大きい書籍も入れられるものもあり、完全に『異本』蒐集用だ。
「左胸あたりのポケットに『箱庭図書館』。一番取り出しやすい位置だからでしょうね。その下に『パララ取扱説明書』? パラちゃんのこと知りたくて、気になったらすぐ取り出せるように『図書館』にしまってないってところかしら」
その点について少女は少しだけ嫉妬した。それは本人が認識することができないほどの小さな感情だったが、わずかに顔には出てしまっていた。
その表情には気付かなかったが、幼女の方はかすかな優越感に浸っていた。
「あれ、こっちにもなんか入っとるで」
幼女が手を伸ばす。そのポケットからはみ出た装丁を見て、少女は声を上げた。
「触っちゃ駄目!」
少女は幼女の手を掴む。
「なんで
少女は慎重にコートを畳み、内側に触れないようにした。
*
終わりは唐突に訪れた。
「はいはい! 触れましたよね、コオリモリさん。お解りいただいているかと思いますが――おい、炎を撃つな! 殺す気か!――失礼。とにかく、終わりです」
優男が言う。まあ、言うことはもっともだ。
まさかガソリンが、地面を這うだけでなく、
いや、むしろそう誘導されたのではないか? あの優男の不敵な顔を見ていると、男は疑心暗鬼になる。どうにもやつは底が知れない。
「一つ、聞きたいんだが」
男はまず、息を整えた。
「おまえら、『
「なにごちゃごちゃ言ってんだよ! もう撃っていいか? 撃つぜ? なあ、ゼノ!」
「撃つなと言っている、この馬鹿! てめえ、取れるもんも取らずに帰ったら『あのお方』がどうお思いになるか、それも解らねえほど馬鹿なのか?」
優男がものすごい剣幕で言うと、悪人顔は、ぶつぶつ文句を垂れながらもやがて黙った。『あのお方』という単語が出た途端だ。悪人顔が子どものように怯えた様子になったのは。
優男は形相を戻し、男に向き直る。
「さて、コオリモリさん。残念ですが、ご質問にはお答えしかねます。ただ、一つ誤解を解消しておきましょう。……確かに我々二人は戦闘要員ですが、べつに『
優男は心底呆れたように首を振った。だが、その態度はこれ見よがしに作っている風で、相手の神経を逆撫でる。
「戦闘でないとしても、あれを使って――」
「はい、もう時間稼ぎはもう結構」
男の言葉を優男は遮った。
「とにかく、降参して『火蠑螈监狱』差し出すなら、いまからでもあなたと――あなたのお仲間の命は、とりあえず見逃しましょう。十秒以内にご返答を」
おい、十秒後に、炎を撃て。と優男は悪人顔に言った。
「十、九――」
カウントダウンが始まる。
*
「どうして、『サラマンダー』が……『図書館』から外に? あのとき、ハクは確かに、受け取ってすぐ『図書館』に収めたはず」
コートを抱き締め、少女は呟く。
『火蠑螈监狱』。いまだその名を覚えられない少女だったが、当然、その効能ははっきり覚えていた。男の説明によると、それは『触った者に火難をもたらす』でしかなかったはず。つまり、ただ『異本』を蒐集することが目的の男には、触れられるように持ち歩くことは、百害あって一利もない。『図書館』にしまいっぱなしにしておけるなら、その方がいいに決まっている。
いや、待て。確かあのとき、男はなにか、一つだけ
「なあ、ノラ。……そのコート、ウチに貸してくれへん?」
少女がなにかに気付きかけたとき、幼女がそう言ってきた。
「駄目よ。これは可愛いわたしに預けられたものだもの。それに危ないわ。わたしはグローブをつけているから、滅多に触れないでしょうし、可愛いわたしに任せておきなさい」
考え事と並行して少女は言った。だからだろう、少しおざなりで、素っ気ない言い方だった。
「ノラ、心配やないん? にーちゃんのこと」
「大丈夫でしょ。それにほら、もうすぐ警察や消防も来るわ。敵も滅多なことはできないはずよ」
だが、不安はないわけでもない。あの言い方。もしものときは少女に財産を使えるようにしていたと。そんなことは初耳だ。それを、あんな風に言われたら。
だが、なんだかんだで大丈夫なんだ。なぜか妙な信頼があった。決して強くもないあの男は、そう簡単には死なないと。
対して幼女は不安げだ。暗い表情で俯き、膝を抱えている。心なしかわずかに震えているようにも見える。
「ウチは、駄目やねん。……もう、大切な人、失いたくないねん」
その言葉に少女は我に返る。男のことも心配だが、いま自分にできるのは、自分自身と、この子の心配だ。
「大丈夫? 可愛いわたしに抱き着いてもいいのよ?」
少女は幼女の背中をさする。そうすると、震えは治まったように見えた。
「ノラ」
幼女は少女を見た。これまでに見せたことがないような、真剣な面差しで。
「やっぱり、じっとなんかしてられんわ。貸してくれへん? 『パララ制限解除術式』」
「?」
少女は聞き慣れない文字列に首を捻った。
*
「三、二、一」
「解った!」
男は叫んだ。
「解った。渡そう。……命には代えられねえ」
「け――おい、撃つな! 見りゃ解んだろうが!――賢明ですね。では在り処に案内していただきましょう」
優男は悪人顔を制止し、男に向き直る。
他人事ながら、また、こんな緊迫した状況だが、男は優男にわずかに同情した。
「案内する必要はねえ、ここにある」
「まさか、菊判サイズほどあったはずですよね。あれをどこに忍ばせていると?」
「うちの使用人は有能でな。この服には収納機能がたんまり備わってんのさ」
男はジャケットの内に手を差し入れる。この動作に警戒が向くのは想定できた。だから、準備はしてあった。
愛用のグローブ。男はまず、それを取り出し、慎重にはめた。
「解っていると思うが、素手じゃ触れねえからな」
男は軽薄にそう言った。ゆっくり時間をかけて準備をする。
その動作に、優男はかすかに焦れているようだ。それは狙い通り。
「じゃあ、改めて」
男は逆の内ポケットに手を入れる。無意味にまさぐり、時間をかける。
遠くでサイレンが聞こえた。
「早くしてください。撃ちますよ」
「解ってる。……ほら」
男は掲げた。こげ茶色の装丁。『火蠑螈监狱』。
「近付かず、そこから放ってください。よく確認するまで変な真似をしないように」
「ああ、いくぞ」
男は天高く、それを放った。高く、高く。
それを目で追った優男は、
そう把握したが、もう遅い。
「おおおおぉぉ!!」
男はすでに優男の立つ車のボンネットに足をかけ、振りかぶっている。
*
幼女は冊子を開く。そのページには魔法陣らしきものが描かれていた。
「××××、△※※×※◇」
聞いたことがない言葉を唱える。その長い袖をこすり合わせている。
足元には幼女が『パララ制限解除術式』と呼んだ『異本』を開き、置いてある。開かれたページには魔法陣のような図が描かれていた。
「ねえ、べつに可愛いわたしは、ハクを放っておいていいと思っているから、いいのだけれど。それ、またいつもの静電気でしょ」
半信半疑だ。男が言うには、『パララ』のことを知っていたというだけで、幼女は本当に、古代兵器の可能性があるという。だがたとえ古代兵器だとしても、その性能は未知数。つまり、
「むーん……」
幼女は唸る。そのわざとらしさが胡散臭い。
少女は疑いを強め、半ば呆れたように見つめる。
「よっしゃ! いけるで!」
「ふうん。なんとかなりそう?」
少女は適当に相槌を打つ。
「完璧や。見とき」
幼女は元気よく立ち上がり、右手を銃の形にする。それを炎の中心に向けた。
袖に隠れてそれまで見えなかったが、銃の形のその右手は、よく見ると輝いているように、見えなくもない。
「あれ?」
「いっくで~!」
「ちょ、……こっち!」
少女は咄嗟に、後ろから幼女の掲げる銃を包み、軌道をわずかに逸らす。
「ばーん! や!」
次の瞬間、けたたましい轟雷が、走った。
遠くで叫び声が聞こえる。
*
電気は流体だ。そもそも電気が流れる、というのは、物質に帯電した電子が別の物質に移ることである。だが、『別の物質』といっても、この世界には物質が溢れ返っている。ならば、電気はどこへ流れるのか?
自然界の物質にはそれぞれ違う、電気の
だから、ただ電気を放出するだけでは、近くのものに手当たり次第、敵も味方も関係なく電気を流してしまう。つまり、もし電気で攻撃をするつもりなら、その通り道を確保し、特定の相手に到達するように工夫が必要だ。
そこでまず、少女の両手にあるオペラグローブ。これは偶然だが、そのグローブは絶縁体素材で作られていた。絶縁体は電気を通さない。ゆえに、少女が幼女の手を包み込むことで、包まれた部分からは電気が漏れない。
残った指先からのみ、電気は放出される。だが、目標までの距離は遠い。これでは空気中で拡散され、電気は敵まで到達しない。
だが、少女は知っていた。
だから、わずかに軌道を修正した。玉突き事故で連鎖した炎柱。それらが目標まで続くルート。それの始点を狙って、電気を放出させるために。
*
渾身の一撃。
拳を振るったのなどいついらいだろう? そうは思うが、昔はよく殴り合ったもんだ。慣れている。
だが、相手にぶつけた感覚が異様に違う。いや、そもそも、
「おおぉぉ!?」
威勢よく放った叫びが拡散する。なんだ、いったい、どうなっている?
体勢を崩しながら、男は確認した。
油――
「気持ち悪いから嫌なんですけどね、この技は」
不敵に笑い、優男は男へ手を向けた。
優男の姿が歪んで見える。歪んで? ……いや、溶けて見える。だがそれは、自身の肉体の脂を操作し、纏わせた、すべりとぬめりのコーティング。
「やはり死にますか? コオリモリさん。在り処はあのガキどもに聞きますよ」
その声に、男の体温は上がった。
背中に手を伸ばす。ジャケットの内側だ。
「ざけんな!」
「もういい! 撃て!」
優男は一瞬、悪人顔に目を向け、言った。
ルーフ部分に立つ優男の足元から、油が流れ落ちてくる。なるほど、これを浴びて火が点けば、一巻の終わりだ。
だが、もういい。男は思った。腹を括った。
打撃は通用しない。脂で滑り、たいしたダメージは与えられない。ならば――
「んぐ……!?」
優男がうめき声をあげる。そりゃそうなるだろう。
さて、優男はとりあえず封じた。ロープを引き、体勢も立て直せた。
「うがああぁぁ!」
なぜか叫び声とともに、炎が走る。狙いはわずかに逸れているが、それでも
男は炎を
「悪いな、メイ」
燃え上がる手を――いや、袖を見て、男は言う。
「帰ったら、直してくれよ」
燃える手で優男を殴る。
ロープを手放し、距離をとる。
一瞬にして全身に炎を纏わせた、油使いから。
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