番外編 一方その頃

 パン王国の都市オーツ。

 王国中部にある有数の都市で、いつもなら多くの商人に響く声が聞こえる活気溢れる都市だ。しかし今ではほとんど人通りはない。不気味なほど寂しい都市になっていた。それもそのはず、ほとんど人がいないのだ。

 もともと、オーツは魔王軍の勢力圏とは遠く離れていた。しかし、勢力を増した魔王軍は着々とオーツに近づき、今まさにオーツが戦場になろうとしていた。

 既に住民の大部分は避難しており、残っているのは兵士とオーツを愛してやまない住民。もしくは、命がけで守ろうとしている住民だけだ。


「今日、おそらく魔王軍はやってくる。夕食後、各自配置に着け。この戦いで多くの同胞がなくなるだろう。しかし、諸君らの死を決して無駄にはしない。パン王国に栄光あれ」


 オーツに突貫工事で建設された兵士宿舎にて、上官であろう男はそう兵士らの前で告げた。にぎやかな食事時だというのに、誰もが顔に笑いを浮かべていない。ただ、暗く悲愴な表情を浮かべていた。

 上官の話は終わったというのにもかかわらず、誰も目の前の固いパンと白湯同然のスープに手を付けようとはしない。

 一方で、着席した上官もまた兵士と変わらず食事に手がつかなかった。


「いいから食べろ。空腹のまま戦いに臨むつもりか」


 そうはいうが、上官もまた一切に食事に手を付けていない。そして、命令された兵士たちは誰一人として食事を前にどうすることもなくただ食事から目をそらし、俯いたままだ。

 本来なら命令違反で叱りつけたいところだが、最早そうする気力もないのだ。


「俺、死にたくない」


 一人の兵士が嘆いた。誰もが反応をしないが、ほとんどの兵士は同じ気持ちだ。


「俺もだよ」


 答えたのは、隣にいた兵士。彼は、懐から懐中時計を取り出し開いた。蓋の裏には、拙く子どもが描いたような似顔絵が隠されていた。


「俺は必ずこの戦いが終わったら、妻と子の元に帰るんだ」


 希望に満ちた発言というわけにもいかず、目に涙を浮かべ覚悟を決めたような発言だった。


「だから、俺は──」


 目の前にある固いパンを手に取り、スープに浸し口に頬張る。固く、味もないパンではあっだがよく味わいながら丁寧に咀嚼する。

 その様子に見せられたのか、ようやく近隣の兵士たちもパンをスープに浸して食べ始める。スープが次第に塩味になっても、何も言わずにパンを噛みしめる。

 やがて、全員が食事を終えた後に上官は呟いた。


「必ず、生きて帰ろう」


 この場にいる誰もが、上官の言葉に強く同意し、その儚さに気づかないふりをした。

 そしてそれから数時間も経たないうちに、魔王軍はオーツへとやってきた。


「オーツ北より、魔王軍を確認。その数、推定六千!」


 斥候の報告を受け、上官は頭を抱えた。


「六千だと? 対する我が軍は二千」


 戦線がオーツ周辺まで移動している時点で、基本的に魔王軍優勢なのは明らか。数が魔王軍の三分の一ともなれば、明らかに劣勢だ。


「全兵士にオーツ北側にて迎え受けと知らせを」


「了解しました!」


 斥候兵が立ち去ると、上官は机の上に置いてあるマスケット銃を肩にかける。そして、オーツの北側へと急いだ。

 上官がいたオーツに臨時設置された兵舎からオーツの北側へまでは走っても数分はかかる。しかし、相手は大群。そう簡単に移動はできないと踏んでいた。


「馬鹿な……」


 上官がオーツ北側へ到着していたときには既に、オーツの北部は地獄と化していた。

 オーツの栄華を示していた多くの建築物は破壊され、崩壊している建物や煙を上げている建物がほとんど。完全な状態で残っている建物など見当たらない。

 おまけに、地面を見れば人間の死体と血で、すっかり赤黒く湿っていた。

 聞くに堪えない足音に絶えつつ一番の激戦区へと向かう。

 多くの兵士が魔王軍に対して果敢に発砲し、敵を倒してはいるがそれよりも多く魔王軍により兵士が殺される。上官もすぐに、敵に対して発砲を続ける。隠れる場所としては不適当すぎる建物だった影などに隠れつつも、多くの魔王軍を殺していく。

 しかし、魔王軍の数はこちらの三倍。いくら上官が頑張ったところで、終わりは見えない。次第に、二千人いるはずの仲間もほとんどいなくなっていた。


「まずいな……」


 魔王軍を倒したと思っても、六千いる一人に過ぎない。疲労や負傷が蓄積し、上官は既に力尽きかけていた。そんな中、仲間の一人が上官に近づく。


「あ、あの上官。お願いがあります。この懐中時計を俺の家族の元まで届けてくれませんか? 俺はもうここから生き残れないようなので……」


 上官は、無言でその懐中時計を受け取った。最早、拒否するだけの力も残っていなかったのだ。

 ──やっぱりこの懐中時計は、本人が返すのが最適ではないか。

 そう思い、上官は先程の兵士に返そうとする。しかし、先程の兵士は既に敵の攻撃を受けて地面に臥していた。首からは赤黒い血が流れ、存命は絶望的だ。


「くそっ」


 上官はマスケット銃を使い、魔王軍の兵士相手に次々と撃っていく。しかし、弾は消耗品。新たな敵を撃とうとした際に、弾がもうないことに気がついた。


「弾が……」


 弾がない時のために、上官は軍刀を装備していた。しかし、軍刀での戦いは上官は慣れていない。懐中時計のこともあり、一度戻るべきか。だが、それは今ここにいる僅かな希望を持って戦っている全ての兵士を裏切ることにもなる。

 その刹那、上官は急いでその場を避けた。

 しかし、攻撃は免れずにそのまま左腕に直撃。左腕が回転しながら宙を舞う。急いで軍刀を右手で抜き、攻撃をしてきた兵士と対峙する。

 そして、間髪を入れずにその首を切り落とした。


「はぁ……はぁ……。油断した……」


 上官は、視界がぼやけ耳が聞こえにくくなっていた。左腕を切り落とされたため、そこから大量出血しているのだ。しかし、今この状況で止血道具などない。服で止血しようにも、片手だけで止血するのは大きな隙を与えることになる。敵はその一瞬を見逃さないのだ。

 近くに敵がいることを察知すると、すぐに上官は軍刀を持って飛び出した。視界がぼやけるせいか、平衡感覚がおかしいせいか、さまざまな攻撃を受けつつも敵の首を刎ねていく。

 最後の一人を刎ね終えると、そのまま上官は倒れ込んだ。出血多量で意識が朦朧としているのだ。誰かここに来た人がこの懐中時計を、あの兵士の実家に持っていってくれることを願い、懐中時計を手に握る。


「勇者様が……、きっと……、なんとかしてくれる」


 噂に聞いた勇者召喚。自分が死んだとしても、きっと勇者がどうにかしてくれる。そう確信していた。

 やがて、別の魔王軍の兵士が上官の前に現れた。しかし、上官はもう既に息絶えていた。

 魔王軍兵士は一応上官の死体に目をやるが、死亡していることを確認すると平然とその屍を踏みつけていく。上官が握りしめていた懐中時計は、魔王軍の兵士により踏み荒らされ、砕け散っていた。

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間違えて異世界から勇者を300人も召喚してしまったけど、誰も魔王討伐に協力してくれません 豊科奈義 @yaki-hiyashi-udonn

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