拝啓せんぱいへ、誘い受けるのはもうやめます!

音無 蓮 Ren Otonashi

卒業式の数日前のこと。

 高校は二年生、その三月の末。わたしは最大にして最悪の問題に直面していた。

 ――片思いをしているせんぱいが一向に振り向いてくれない、というなんとも情けない問題に。

「はぁぁぁぁ……」

「どーしたのよユイ、そんな盛大な溜息吐いちゃってさ」

 三月初め、卒業式まで一週間が切った日の放課後。

 わたしは学食のテーブルで、揚げたてのハッシュドポテトを掴みながら頭を抱えていた。放課後の学食は暇人共の歓談の場として有名だった。

「ねえねえ聞いてよカナエ! それがさあ……!」

「どうせせんぱいのことなんだろうけど」

「何でバレた!?」

「バレるも何もあんたの傷心の理由の九割九分九厘が先輩にかかわることでしょうが」

「えっ、わたしって単純……?」

「今気づいたの? 遅くない? 鈍感?」

 ど、どど鈍感じゃねーし! 耳まで熱くなった顔を逸らして知らんぷりをする。

 が、

「図星、なんだよなぁ……」

 へなへなぁぁ、と机に突っ伏してしまう。どうしてわたし如きがせんぱいのような男の子に振り回されているのか。

「たまたま部活が一緒だった先輩があまりにも弄りがいのあるピュアな男の子だったから弄って弄って弄り倒していたらいつの間にか好きになっちゃったんでしょ? 笑う」

「わ、笑うなあばかーぁ!」

 そう、元々はこちらが振り回す側だったというのに。

 脳裏でフラッシュバックするのは、恋を自覚する直前までにしでかした所業の数々。あの男ったらピュア過ぎて、女の子と手を繋ぐだけで手汗びっしょり顔真っ赤なんだよね。だから思い切って胸を押し付けたり、せんぱいの胸に飛び込んでみたり、あとは諸々、親友であるカナエにすら報告していない、若干破廉恥な思い出の数々を築き上げてきた、わけだが!

「いざ、せんぱいのことが好きって自覚しちゃうと弄ったところでこっちが大ダメージ食らうだけなんだもんなあ……」

 恥ずかしかったけど、せんぱいとの距離を開けるのは恋をしたわたしが許さなかったので、仲睦まじいスキンシップは続けた。

 いわゆる、誘い受けってやつだ。わたしからはガツガツいかない。せんぱいを誘惑するだけ誘惑して、彼がその気になったらガツガツされちゃいたい。

 けれど、せんぱいはヘタレだった。天性の腐れヘタレだった。だから、どんなに強い誘惑が誑かそうとしても、最後にはわたしの心配をしてくれる。

 そういうところが、好き。

 なので健全なお付き合いの末、思うがまま貪られたい所存だ。

 とはいえ、わたしとて恋する乙女であると同時に、人間の雌でもあった。

 悶々とする日々が続くと、ちょっと刺激的なプレイに挑戦してみたこともいくらかはあったかもしれない。そんな気がするけど詳しいことは忘れました、いいね?

「でさ」茹でダコになっていたわたしはカナエの声によって現実へ引き戻される。「先輩のことで相談って……、」

「発表します」

「どうぞ」

 すぅ、と一気に息を吸って。

「せんぱいが!! ラブレターを貰った現場に居合わせちゃったんだよ!!」

 だよ……、だよ……。学食にエコーが響き渡る。若干数いた生徒たちが一斉に何事か、とわたしの方を振り向いてきた。

「ユイ、声がデカい」

「ご、ごめん……」

 かぁぁ、と顔が熱くなる。

 せんぱいにはまだ一度も会っていないというのに、今日はずっと熱くなりっぱなしだ。これじゃ、いざエンカウントしたらオーバーヒートしてしまうんじゃなかろうか。

 思考をピンク色に染め上げたわたしは、手うちわで汗が滲み始めた顔へと風を送っていた。ふう、気持ちいい――、

「お、ユイとカナエさんじゃん。どうしたの、こんなところで」

 ……え。

 唐突に聞こえた、その声は。

「これはこれは先輩じゃないか、元気してるー? 大学受かったー?」

「相変わらず上から目線な挨拶だなカナエさんよ。おかげさまで無事受かったよ」

 きっちりと校則通りに制服を着こんだ、冴えない顔の、大好きな人が。

 目と鼻の先に。

 ひぇ。

「おおー、おめでたい話ですね。ほら、ユイも大事なせんぱいを祝って――ってあれ?」

 ぷすぷすぷす。

 あわあわあわ。

「頭から湯気出てないですか、この子?」

「出てるな……、って呑気に解説している場合じゃないだろ!」

 遠くなる二人の声をバックに。わたしの頭の中はオーバーヒートしてしまった。

 どう考えたって、神出鬼没なせんぱいが突然わたしの目の前に出てきたのが悪い。

 しかし、こちらがパニックに陥っていることなんていざ知らず、せんぱいは酷く深刻そうな顔をしていた。

「ユイ、……ちょっとだけ我慢してろよ」

 わたしの肩口と膝裏に腕を回した彼の頬はにわかに火照っていた。口元もむず痒そうにもごもご蠢いている。

 え、何、我慢て。

 必死に片言を探していたら、不意に足が地面から浮いた。

「……ふぇ?」

 せんぱいは、そのとき、わたしのことをひょいと胸の前で抱えた。

「おー、お姫様抱っこなんてぇー。ユイも願ったり叶ったりだね」

 カナエがキラッと効果音が入りそうなウインクを差し向けてきたものだから睨み返そうとしたけど目尻が締まらなかった。

「あはは、今にも泣きだしそうな顔してるよー、ユイ」

「ちょ、おい、カナエさん! あんまりユイをからかってやるなよ! かわいそうだろ」

「かわいそうですけど……、可愛いですよね?」

 にやりにやりと。不敵な笑みがせんぱいを覗いていた。

 あー、やめてくださいせんぱい。

 そこはいつも通り鈍感に、「え、何のことかな?」ってナチュラルに聞き返しちゃって下さ――、

「……………………か、可愛い、んだよな」

 うわわわわわわわわわわっっっっ。

「ユイが壊れた―!?!?」

 限界だった。目元から滝のように涙が溢れるし、額から汗はだらんだらんと流れていくし、耳まで火照った顔はまだまだ熱くなるし、天国のようなシチュエーションが一周回って地獄のようだった。

 天国なんだけど!

「ふひゃあ……、もうにゃめ……」

「ちょっ!? 余計悪化してる!? 待ってろよユイ、今すぐ助けてあげるからな!」

 おまえのせいでわたしはもう既に死にそうです。ぜんぶぜんぶ、せんぱいがわるい。

 ばか。











「……ぁ」

 目を覚ましたら、既に夜だった。

 起き上がって見まわしてみると、どうやら学校の保健室らしい。

「あ、起きたか、ユイ」

「ひゃ!?」

 唐突な声のせいで変な悲鳴が洩れた。

 暗闇から月明りの元に現れたのは他でもないせんぱいだった。

 途端に安堵の息が洩れた。

「せ、せんぱい!? わたしは、どうして」

「僕を見た途端に顔を真っ赤にしてふらふらしたんだものだから、保健室に運び込もうとしたらギャン泣きしちゃってね」

「そ、それは先輩が悪いんでしょうっ!? 普通はただの後輩のことをお姫様抱っこしませんから!?」

 ど正論にせんぱいは唸っていた。でも、何か思いついたかのように顔をあげると、

「でもお前、散々僕のことを誘惑してるじゃん。だから抱っこくらいでそんな焦ることもないかなーって」

 せんぱいの価値基準をわたしは理解できそうになかった。

 というか。

「ゆ、ユーワク!? だ、誰がせんぱいなんかを誘惑しますか!? 自意識過剰なんじゃないですか!?」

「胸を押し付けるにも、抱き着くにも、わざわざ「わざとなんですよー☆」って前置きしてたじゃねーかお前。自意識過剰なのはむしろユイの方なんじゃないか?」

「うあああああああその通りですよせんぱい!! わ、ざ、と、で、す! わざと誘惑していたんですよばかーっ!」

 だって、せんぱいをからかうのが好きなんですもん! 大好きなんですもん!

「なんで僕が罵倒されなきゃいけな、って、おい、枕を振りかぶるな、投げるなぶほっ」

 せんぱいの顔面に枕を投げつける。彼はノーガードで枕を受けて後ろに倒れた。

 二人っきりの密室に静寂が訪れる。

「……せんぱい、もう卒業しちゃうんですか」

「そりゃ、そうだろ。なんてったって三年生だからな。来年からは晴れて大学生だ」

「大学、ここからだと遠いんですよね」

「東京だからな、しばらくは地元に戻ってこないかも」

 分かってはいたけれど、その事実を突きつけられると、胸がきゅう、と苦しくなる。

「わたしにからかわれる日々が終わっちゃいますね」

 起き上がった先輩はベッドの裾に腰を下ろして、わたしのことを見つめてきた。

 真っ直ぐな琥珀色の瞳に覗かれると、心臓の高鳴りがより鮮明に聞こえてくる。

 とく、とく……、と。

 加速する鼓動も、熱を生む頬も、苦しくて切ない胸の内も、全部全部、せんぱいのせいだ。

 ……せんぱいの、せいなんですよ。

「そうだな。あー、せいせいするよ。生意気な後輩め。ちょっとは寂しいか?」

「……ちょっとどころじゃ、」

 言いかけて、

「なーんて――、」

 ね、と誤魔化すよりも前に、せんぱいの身体がわたしの真上に覆いかぶさっていた。

「僕は、」

「せ、せんぱい…………?」

 せんぱいの頬はやっぱり少し赤くて、無理をしているのはバレバレだけど、その眼光に映った熱は、今まで見たことがなかったもので。

 なんというか。もう、めちゃくちゃになった。

「ね、ねえせんぱい。身動きの取れない後輩を襲うのはどうかと、思いますよ……?」

「襲わねーよ、ヘタレだからな。でも……、ヘタレなりの努力はしてみたよ」

「え、」

 こつん、とおでことおでことが触れ合い、熱を共にする。

「なあ、ユイ」

「な、なななんでしょう、せんぱい」

 どきどきが止まらなくて、目が逸れてしまう。見つめてしまったら、思わず「好き」がこぼれてしまいそうで。

「――今までの、お返しだよ」

「……えっ」

「散々からかわれてばっかりだったから、その仕返しだ」

 してやったりと、満面の笑みを浮かべる。

 その顔が、なんとも憎たらしくて。

 愛おしくて。

 でもやっぱり、悔しくて。

 あー、なんでわたしは、このヘタレ男を好きになったのか。

「ば、」

 わたしは、彼の胸倉を勢い良く掴んで、

「せんぱいの、」

 ばか。

 唇をゼロ距離にする。

 わたしは、貴方を待つのをやめた。





















「ちなみにラブレターにはどう答えたんですか?」

「この状況でそれ聞くか?」


 おしまい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拝啓せんぱいへ、誘い受けるのはもうやめます! 音無 蓮 Ren Otonashi @000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ