全て夢である
坂口航
彼の人生
『生きる』という事が何かを簡単に説明するとなれば、『死んでいない状態』だと答えるのが適切ではないかと思う。
――私はある日、車に踏み潰され自分の脚と離れ離れになるのを見ながら気を失った。覚えているのは放物線を描いて飛ぶ足のみで、暗闇などを見た記憶はない。
だが今目の前には忽然と暗闇が広がっているのだ。なんたる奇妙か。私が最後に見た光景はこんな空っぽな物ではないというのに。
もしやあの世とはこんなに最低な存在だったのかと思っていると、空気が大きく漏れる音と共に目の前がゆっくりと奥行きある光景へと変わっていった。
そして空気の漏れる音が止むと、自分の目に飛び込んでくるのは無機質な天井と、目に染みない煌々と輝く光だった。
「お疲れ様です。それでは次に使うマシンはQiの82番ですので、それまではラウンジにてお待ち下さい」
上下グレーのパジャマの様なだらしない格好をした男が自分にそう告げると、そこに何も言わずに突っ立っていた。
何がなんだか分からないので固まったままでいると、自分が息をしているのに気づいた。そして心臓の音も聞こえる。
もしやと思い足を動かそうとすると、最初からそこに付いてあったかの様に足が動いた。そして起き上がろうとすればちゃんと自分の体は起き上がったのだった。
自分のいた場所を見下ろしと、どうやら銀色の丸っこい棺桶に似た機械の中に自分は横たわっていたらしい。
この自分がいるこの部屋は、隅々にいたるまでこの機械が何の差異もなく並んでいたのだった。
立ったはいいが何が起こっているのか分からず呆然としていると、ただ立っていた男が呟く様に話かけてきた。
「あの、次は自分の番なんでどいてくれますか?」
「えっ、あぁすいません」
何が悪いのか全く見当も付かないが、何故か謝ってしまいその機械の中から自分は飛び降りた。
すると自分もこの男と同じ様にグレーの服を着ている事に気づいたのだった。
男は自分が退くと何の挨拶もなくその機械に入り寝転んだ。すると機械は空気が漏れる様な音を出しながら、静かに蓋を閉じたのだった。
窓もない、ただひたすらに頑丈そうな蓋を目にし、ここにある全ての機械に人が入ってるのに気付きゾッとした。何より恐ろしいのは、その機械に自分が今まで入っていた事だった。
頭がこの状況に追い付いてこないが、今この棺桶に入った男が『ラウンジ』とやらに行けと言っていたのを思い出した。
そこに行けばこの頭も落ち着くだろうと思いそこへと向かう事にした。最もそんな場所に行っても落ち着く事はないだろうと確信しながら。
天井と同じく無機質な鉄の床の冷たさを感じながら歩く。ラウンジがどこにあるか何て知るよしもない。だがとにかく歩けば着くだろうと、なんとも楽観的な思考で歩く。
この場所がどれだけ広いのかは分からないが、東京ドームなんぞよりは間違いなく広いのは分かる。
そしてさ迷っていると、自分と同じ格好をした女性が歩いているのが目に入った。その足取りには迷いがなく、どこに行くべきなのかを知っている、そんな歩き方だった。
これはラッキーだとそう思い、彼女の後ろを少し離れた所から付いていく。まるでストーカーの気分だが仕方がない。
そしてストーカーの甲斐もあって、エレベーターに似た何かまで辿り着く事が出来たのだった。
自分がおってきた彼女と一緒に乗るが、こんな見晴らしの良い場所でずっと付いてきていた男がいると言うのに、全く警戒もしない。不気味だ。
そしてポン、と短く音がなると。車なら五台は入るほど無駄に広いエレベーターの扉が開いた。
そこには例に漏れず、グレーの服を着た人間が大量に存在しており、飲み物を口にしたり、虚空を見つめながらソファーに座っていたりと様々だった。
見た目は間違いなく人間だ。しかしどいつも顔に表情と言う物がない。まるで機械のような気持ち悪さを感じてしまう。
沢山の人がいるのに話し声一つしないこの空間に自分も紛れると、取り敢えず話ができそうな人間を探す。が、そんな人は誰一人としていなかった。
見つけた物と言えば簡素な扉ただ一つ。それだけだった。
明らかに場違いな扉だったが、誰も興味を示さない。不可解過ぎる、だがこの扉の向こうへと進まないで、この空白の空間に留まっていると自分がおかしくなってしまいそうだった。
そっちの方がよっぽど怖い。だから迷わずその扉の向こうへと進む事が出来たのだった。
もちろん怖くない訳ではない。だがここを進む方がマシなだけである。何があるか、化物がいてもおかしくないなと、そう思いながら扉を開けたのだ。
だがその扉の奥にあったのは化物でもなければ、おぞましい空間でもない。
ただのリビングみたいな内装に、真ん中でポツンと小さなノートパソコンが置いてあるだけだった。
何がしたいのだこれは? 機械が並んだ空間の次に、無機質な肉塊の集団に続くのがこのマンションの一室にただパソコンだけが置いてある部屋とは。
中に踏み入れ扉を閉めると、そこは完全にただのマンションだった。
備え付けのクローゼットに、ベランダへと続く窓もある。そしてその窓の向こうには輝くビルが立ち並んでいるのだ。
試しに窓を開けようとするが開かない。というよりも触れなかった。
まるでそこに透明の氷が張ってあるかの如く、触れようとするとツルリと手が滑ったのだった。
それはクローゼットも、入ってきた扉とは違う場所にあった扉でも同じ結果だった。触れたのはパソコンだけ、ただし電源を押しても起動しなかった。
これは夢なのか? そうであって欲しいと願うも一向に目は覚めない。それどころか鼓動はどんどん早くなり息苦しくなり、今自分はこの場所にいるんだと分からそうとしてくる。
するとガガガッと、古いコピー機が印刷を始めようとする音が鳴ると同時にパソコンの画面が光出した。
どう考えても頭の悪い出来事だが、もう何も驚かなくなっていた。
直置きのパソコンを座って覗くと、エラーが出た時の様な真っ青の画面に文字が打ち出されていった。
『なぜLfがここにいる。君の番は後十回以上先なはずだ』
誰が打ち込んでるのか分からないが、きっとどこかで見てるのだろう。
私はこの『Lf』だとか『準備』などの言葉は無視して、ただ知りたい事だけをパソコンに向かい喋り出した。
「お前は誰だ、ここはどこだ。そして私をどうしてここに呼んだ、さっき居た人は何者だ」
静かに、それでも矢継ぎ早に質問すると。さっきほど表記された文字が消え、しばらく青い画面のまま動かないでいると、再び文字を点滅させた。
『もしかして君は前世の記憶を持ってしまっているのかい?』
「いいから質問に答えろ! ここは一体なんなんだ!」
どの質問の回答でもない文章を返してきたのに思わず声を荒らげてしまった。
すると文字は再び消え、しばらくの沈黙の末文字を出した。
『ここは本当の世界だ。君の持っている記憶は偽物の世界だ。どうやらエラーで偽の記憶が残ってしまっているのだろう』
偽の世界? 本当の世界? 意味不明ではあるが、何故かそれが真実であると分かってしまっている。
文字は止まらず表示し続けていく。
『君がいた宇宙は、この世界で言う過去だ。でも君達は昔の方が良かったらしくその世界で生きようとしたのだ』
その文字はただの無機質なフォントで書かれた白い文字でしかないはずだが、何故か飽きれが混じっている様に感じた。
『だから私を創った。そして同時に永遠を生きたいと願いを同時に叶えようとした。その為に空想世界へとダイブする装置にコールドスリープを設けたのだ。ちなみにだが君は八十七回目の目覚めだよ』
偽の世界。つまり今の人格は自分じゃないのか? この世界が真実だと?
ならさっきの男はその偽の世界へと自ら入ったのか、さっきの部屋の人間は偽の世界へと行く順番待ちしていたのか?
全く整理の付かない頭に更なる追撃をパソコンは続いていく。
『だが安心したまえ。次入る時に記憶は全部戻るだろうし、次の人生が終わる時には元の自分に戻っているだろう』
元の自分だと? なら今の自分は何だというのだ、消えて同然の存在なのだろうが。
自分が偽物、偽物だと!?
滅茶苦茶ではあるが真実であると思ってしまうのは、きっとその本物の記憶が潜在的に存在しているからだろう。
だから余計に恐ろしくなった。今の自分が存在してはいけない物なんじゃないかと思い初めてしまっているからだ。
――その時どうしようもなく下らない、そして自分を自分にするための唯一の方法を思いついた。
そうだ。どうせこの記憶の自分は偽の世界で死んだのだ。そして今あるのは死んだ記憶なのだ。
『……………………何をやってるの?』
パソコンの文字はとぼけた様に聞いてくるがきっと既に分かっているだろう。本物世界で死んだ時の記憶がこれなら、きっと自分が本物になれるだろう。
だからこれでいいはずだ、これで――
――「おはよううございます。今回の人生はどうしてか?」
目覚めたすぐの意識で目の前にいる女性が話かけている。そして全てを理解した。
そして腹のそこから可笑しく思い、笑いがこみ上げてきた。
「ククッ、おい聞いてくれよ。どうやら俺は自分の人生が偽物にならない様に抗って死んだ男だったよ」
「……? つまり今でいうとさっきまで体験していた人生が本物にしようとした。みたいな感じでしょうか?」
あまり理解していない様子で女性は答える。俺も何でそんな行動取ったのか分からないから無理もないだろう。
しかし人はこうも滑稽な行動を取れるのかと思うと、やはり笑いは止まらない。
「それより次の人生まで何日待てば良い? 待ってる間にこの体が無くなっちまうぞ」
冗談めかしに言うと女性は腕に巻いた薄いブレスレットを覗き込んだ。
「次は十二時間後ですね。それとこちらの世界ではちょうど今二十三年生きたことになるそうです。ですので平均的に言うとその体が滅ぶのはあと六十年と言ったところでしょうか」
なるほど六十年か……。その時また可笑しなことを思いついたので、声を出しながら俺は笑った。
「今度はどうしたのですが?」
「いやさ。もしかしたらこの世界も偽物だったりしてとよ。もし六十年後に死んだ時、俺は今の自分が素直に偽物だと思えるのかどうかを考えたら、もう可笑しくて」
俺はゆっくり次の番の人のために立ち上がると、この世界が偽物だったら再び考え、また笑ったのだった。
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