黒い髪の魔女

ついさっき

転校生

黒い髪の魔女





もう二三日で隠れきってしまいそうな月の下、

宵闇よりも黒い髪の少女が一人、水を張った鉢を覗き込んでいる。

他に誰もおらず、灯りもない静かで暗い場所、

木々も静かに立っているだけの風のない夜に、水面が不思議に揺れる。


「ふふふ……」


長い黒髪から覗く少女の薄い唇が嬉しそうに上がった。

着物の袖から現れた白い手首が鉢の中に差し込まれる。

つつ、と水面に触れた指が波紋を作りながら水の中に侵入する。


「良い子ね……」


慈しむように少女が呟く、

そこで、

ガサガサッ


「誰!?」


背後から聞こえた音に少女は振り返る。

雑木林が大きく揺れているのを見た少女はさっと緊張の表情を見せるが、

木々の隙間から見えたモノに大きく息を吐いた。



***



「やっべーよ!やっぱアイツ魔女だよ!!」


「やややや、やべえよ!」とかナントカとか言葉になってるかどうか怪しい声をあげながら廊下を走って来たそいつは教室に入ってくるなり僕と目が合ったのを察知して駆け寄って来た。

めんどくさい話な気がしたけど僕みたいな転校生は振る舞い方が難しい。

邪険にするわけにもいかなくて賑やかなクラスメートの旱(ひでり)に向き合った。


「旱、そんなに慌ててどうしたんだよ」

「シキくん、ヒデリの言うことなんて話半分で聞いてていいからね」


耳の上で括ったツインテールが印象的な女子、椿が言う。

転校して来てから今まで、この子の他の髪型を見たことがないから覚えやすくて助かっている


「ツバキ、シキに変なこと言うなよな!そんなことより聞けって!」


旱は興奮した様子のまま自分の席でもない僕の前の机に座る。


「アラレ、やっぱあいつ魔女だったぞ!!俺んちの山の裏にあいつんちあるんだけど、こう……『ヒヒヒヒヒ』って笑って誰もいないところに話かけてんの!な?コワいだろ!?」


突拍子もない滅茶苦茶な話に咄嗟に反応できない。


「え、えーと、そうなんだ……?」


つまらないやつとかスカしたやつとか、そういうレッテルを貼られないように慎重に答える。


「うわっ、お前信じてねーな!?シキはこの町に来たばっかだから知らないんだろうけど、昔からずっと噂されてんだよ!」

「はぁ……そうなの?」


ちら、と椿を見ると呆れた顔をしている。

やっぱり旱は思い込みが激しくてクラスメートにも呆れられているんだな――そう思ったけれど、


「今更何言ってんの。あの子が魔女なのは皆知ってるわよ。目立たないしすぐ休むしで転校生のシキくんは知らないだろうけど」


(ああ)

こういうやつね。

転校前の学校でもあったな、としょうもない気分になった。

ここの学校もそういうのがあるのなら余計に振舞いは気を付けなくちゃな。


「すごいね。僕にはまだまだ知らないことばっかりだ!そういえば、役場に行く時に見つけた河童みたいな像、あれも何かいわれがあるの?」

「あ、あれね!確かに初めて見ると謎だよね~!あれは昔役場の前の川でね……」


(なんとか方向転換できたかな)

河童の言い伝えはこうだったとかああだったとかうろ覚えの知識を持ち出して、椿と旱と、いつの間にか輪に入って来たクラスメートで盛り上がっている。低学年の時に郷土学習で調べたとかでクラス共有の話題みたいだ。

情報を入れようとしながらも疎外感を憶えてふと廊下に目をやる。

そこには黒い髪を背中まで伸ばした真っ黒なワンピースの女の子が立っていた。

薄汚れた大きなリュックを背負っていてなんとも異様な出で立ちだ。


「あ、霰……」


椿がぼそりと言う。

その声の潜め方になんだかざわつくものを感じたけれど、

霰と呼ばれた彼女の耳には入らなかったようで廊下側一番後ろの席に座って、リュックをその横に置いた、リュックの口を開けると何かを払いながら筆箱やお弁当箱なんかを出している。


「あの河童ってさ、あれって、町長のひいじいちゃんの頭のカンジが河童でそれで建てたんだぜ~」

「ええ、嘘だ~!」

旱の一言でわっとクラスが沸く。

町長の顔も知らない僕はテレビで流れていた芸能人のゴシップを聞いた時みたいな気分で聞くしかなかった。



***


(今日も終わった……)


教科書をトントンとまとめてランドセルに入れる。

終わったとは言ってもここからが本番なところもある。


「シキ、お前もサッカーしてくだろ?」


旱に言われて「もちろん」と返して立ち上がる。

塾も習い事もないんだ、断る理由なんてない。


「じゃあ、俺先行ってるからなー!」


旱は勉強道具もそのままに校庭に向かって走って行った。


「じゃあ私たちも帰ろっか」

「じゃあね、シキくん」


女の子たちが言うのに返していたら、


(え!?)


目の端に映った黒い塊―――霰はリュックを抱えながら何やら植物の端を齧っていた。



***


(なるほど……)


役場の前、河童の像の横にちょうどお知らせ掲示板があって、

その「町長のことば」と書かれたプリントに印刷された町長の顔と河童の顔が絶妙に似ていた。


(これは噂がでてもしかたないな……)


恒例になった放課後サッカーの後、なんとなく町役場まで来てみたけれど、意外と面白いものが見れた。

これは家に帰ったら家族に伝えなきゃいけない話題だ。おばあちゃんなら真相を知ってるかもしれないし。

うきうきした気持ちで家路についていると、

(あれ……?)


薄汚れた大きなリュックを背負ったパンツ姿の少女がいた。

山にでも入りそうな姿だけれど背中までの黒髪は相変わらず垂らされていて、

山に入るにしては保護者や連れはいないようだ。


何かを運んでいる最中なのかぱんぱんに膨らんだリュックを担ぎなおして、

そして山に続く雑木林の中に入って行った。


***

(ついてきてしまった……)


旱のことは『なんで夜中にクラスメートの女子の家の庭に侵入してるんだよ』とか思ってたくせに自分だって人のことを言えない。

これじゃストーカーだ――なんて思いそうになる頭を高速で振った。

違う、これは冒険だ。

河童の真相が気になってしまうのと同じ探求心だ。

クラスに早くなじまないといけないんだから話題を共有できないと――

言い訳が過ったけれど、途中からは何も考えずどんどん林の奥へ迷いなく進んでいくクラスメートの姿を夢中で追いかけていた。


暗くなっていたことに気づいて後悔が頭を過り始める頃、林は途切れた。


(やっと出て来られた)


ほっとしたのも束の間。


「え」


目の前に立ちふさがるものがあった。

目を見開いた長い黒髪の少女――霰だった。



***


(これは……)


縁側で座っていると

着替えて浴衣姿になった霰が庭の鉢の金魚に餌をやりにきた。

黙ってはいるものの学校では見ない嬉しそうな顔だ。


「金魚、好きなの?」

「うん」


即答。


声は聞こえないけれど、唇で何かを言ってるような様子で金魚に餌をあげている。


「名前とかあるの」

「うん、小雨と雪」

「ああ、君が霰だから?」

「そう。友達」


にこ、と笑うのを見てどきりとする。

なんかこういうのってなんだろう。

非日常?

この町に引っ越してきた日から僕の周りはまるで変ってしまったけれど、それにしたって現実味がない。

着物姿の少女が日本家屋の縁側で、電信柱一本も見えない風景の中金魚に餌をやっている。


「転校生くん、帰ったほうが良いけど夜の山は危ないよ」


「そうだね……」


一気に正論と問題点を言われて自分の浅はかさにげんなりする。


「好奇心は身を滅ぼすってね。旱はイノシシみたいなものだから夜見てもまたかとしか思わないけど転校生くんは似合わないよ。なんか」

「旱、すごくバレてんじゃん……」

「存在が煩いからね。邪魔してくとかはないけど覗きにくるのは普通に変態だし気分悪い」

「叱っとくよ……」


自分も同じことをしているとはこの際考えないようにしておく。


「うん、お願い」


またにこりと心臓に悪い笑顔を向ける。

こういうところがもしかしたらクラスで仲間にいれられないとろなのかもしれない――よくわからないけど。それと、イジメは絶対にだめだけど。


家の中に人気がないことが気になる。電気だって、縁側近くの部屋に電球の灯りがついているだけのようだ。


「霰、ご家族は――」


そこまで言って、はっと思い出す。

数日前、学校でよくわからない植物を生で食べているところを見たじゃないか。

どうしてもお腹がすいていてやっていたとしたら……河童のことを調べている場合じゃなくて、担任に霰の家庭環境を気にするように訴えるのが先だったのではないか。


「ご、ごめん。言いにくいことなら言わなくても良いし、何かあるなら先生に言ったほうがいいよ」


焦って言うと、霰が大きな目をおとしそうなほどぽかんとした顔をする。


「え、ごめん、変なこと言った?」

「変なことっていうか……そっか、転校生くんは転校生くんだから知らないんだね」


霰が勝手に納得しているけれど何のことだかわからない。

それでもそのことよりまず、気になることがあった。


「え?……というか僕の名前知ってる?」

「ううん。ほとんど会ったことないからお互い知らないことしかないよね」

「そうだね……とりあえず、僕の名前はシキだよ」

「シキ、どんな字なの?」

「子供の子に規律の規。昔の偉人にいたの知ってるかな――」

「素敵、ホトトギスなのね」

「え?」

「子規ってホトトギスって意味でしょ?」

「……よく知ってたね」

「ふふふ」


ふわりと笑うのがどうも心臓に悪い。

密かに気に入っていた名前の意味を知っていたことにも胸がぽかぽかしてくるようだった。


「で、シキ、どうやって帰るの?」

「どうやってって……どうしよう。お母さんか……おばあちゃんに迎えに来てもらうのもな」

「シキってもうちょっと思慮深い子かと思ってた」


霰の言葉がグサリと刺さる。夜中に現れてもちゃんと帰れる旱の方が何百倍も賢い。


「ごめん……あ、あの、電話貸して貰ったりできない?」

「電話?」

「そう、電話……」


霰は左斜め上を見ながら止まっている。


「電話……もしかして、ない?」

「あ!!!!」


急に大声を出したかと思うとバタバタと部屋の中に入っていき、

がさがさと大きなものをどける音が何度かした後、

少し髪を乱した状態で霰は現れた。


「これ!!!」


霰の手にあるのは緑色のダイヤル式の電話――緑が薄く見えるのはホコリがかぶっているせいだからだろう。

これもまたホコリまみれの線が繋がっている。

発掘してきたと思われるそれを持った霰は満足げにそれを差し出してきた。




***


「うん、うん、ごめん……うん、じゃあ、明日ね」


霰が持っている電話機の本体に受話器を置いてやっと肩の力が抜ける。

おばあちゃん、怒ってたな。

霰の家の人に代わって欲しいと言われるかと思ったし、その時のために霰は大人っぽい声を出そうと発声練習していたけど霰の家だとわかるや否やおばあちゃんは息を吐いたあとに了承してくれた。

霰の家が山の中にあることはこの辺りじゃ周知のことらしい。

女の子に迷惑かけるなとか、紳士でいろとか、とかはっきりしないことは言われたけれど、

転校前にこんな不良みたいなことはしたことがないから困惑しつつも一方では気持ちが弾んでいる。


「よくわからないけど、そのまま縁側にいさせてもらって日が昇ったらすぐに帰って来いって」

「そっか」


霰も霰ですんなり納得すると電話を部屋の中に持って入っていった。


(寒くもないしこういうのもいいかな)


欠伸をかみ殺しながらも、続いていく非日常にとんでもなくわくわくする気持ちも抑えられない。

きっと旱や椿の家だったら大人の人がいて、送ってくれるなり布団を貸してくれるなりしてこうはいかなかっただろうな。


部屋から出て来た霰が湯飲みを二つ持って現れる。


「とりあえずお茶」

「ありが……つっっ、い!!!?」

「熱いから冷めてからの方がいいよ。あと、もしかしたら苦いかも」


思いがけず二段階の罠にかかってしまって舌先がやけどやらしびれやらでジンジンしている。


「何……これ」

「いろいろ」

「いろいろって?」

「体にいいもの」


にやり、と笑う唇の形すら綺麗で困る。

これじゃ本当にホラー映画みたいだ。


夜中に宿を探して泊めて貰った家は化け物が住む家で……みたいな昔ばなしのアニメもあったななんて思い出してぶるっとする。

クラスメート相手にさすがにそれは失礼だ。


うっすら笑いながら霰はこちらを見ている。


「ど、どうしたの?」

「シキこそ。電話終わってから変だけどおばあさまに何か言われた?」

「え、何かって……むしろ何も言われなくて驚いたんだけど」

「ふうん」

「霰?」


唇に指をあてて、遠くを見る姿が大人っぽい。

目だけでこちらを見た。


「シキ、本当に知らないの?私の噂」

「え?」

「私……」


霰がすっと庭の方に向かって指を突き出す。

その途端、雑木林が揺れ、バサバサと音を立てながら大きな鳥がこちらを目指し飛んで来て、

そのまま旋回して闇の中を飛んで行ってしまった。


「私、魔女なんだよ」


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黒い髪の魔女 ついさっき @sasami_wr

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