赤信号が点滅しても僕は進まない

雪猫なえ

赤信号が点滅しても僕は進まない。

 「ごめんね優。もう会えなくなる」


 「なんで」


 俺はそう突っぱねるしかなかった。そうじゃなかったら、きっと視界が濡れる。


 「大好きな人、出来たから」


 俺の幼馴染はたどたどしくそう述べた。


 「優と一緒にいたら誤解されるから」


 強がった俺に、ぶっきらぼうに並んだ言葉が返ってくる。


 「ふーん。でもさ、それって『もう会えなくなる』って言わねんじゃねーの。どーせ学校でも会うのに」


 「会わないもん」


 市歌(いちか)の方も強がってるように見えたのは、きっと気のせいなんかじゃない。今日までの何年もの付き合いで、こいつの本心くらい、見抜けるはずなんだ。


 「私、優のこと避けるから」


 「ふーん、好きにすれば」


 「優、ごめんね」


 「意味わかんねーし」


 本当はわかってた。自分の癖も、この歳になると把握してるもんだ。「あんた嘘つくとき袖口ギュって握るんだよね」とか「お前は、寂しいときはいつも目を合わせねーんだよ」とか、少女漫画でど定番な見抜かれ方は、正直間抜けている奴だなとさえ思う。だから、俺は知ってんだ。俺の嘘をつくときの口癖が、「ふーん」だってことくらい、俺は知ってる。知ってて、わざとそれを制さない。


 (わかれよ、市歌)


 市歌に対して気持ちを隠そうなんて思ったことはない。むしろこんなタイミング、逃すかよ、ってくらいだった。俺の気持ちに気付いてて、だからこそわざわざ報告してきたってことだろ。今この瞬間が、俺が気持ちをぶつけられる最後のチャンス、だったのに。俺の好きな奴は、どうもこの世界同様残酷らしい。


 「いち……」


 「優は、本当恋愛が似合わないなー」


 彼女ははにかんでそう言った。小さな子供に言うように聞こえた。


 ***


 点滅する赤信号の前で、俺はわざわざ止まっている。周りの人たちは邪魔だと示して俺の周りを流れていく。この先を進めば、きっと俺は現実に引き戻されてしまう。今の俺にそれが耐えられるかときかれたら、多分答えは『ノー』だ。でも、かと言ってずっとこのまま立ち止まっていられるわけでもない。俺はこの先も生きてかなきゃいけないわけで、今日だって家に帰らなきゃいけないわけで、どうせこの場を離れることにはなる。むしろそうだから抵抗していたのか。


 「幸村(ゆきむら)おはよう」


 思わず振り返ってしまうその甘い音に、今は酔うことが許されない。それはもう俺じゃない誰かのものになってしまったから。一番の親友で大好きな初恋の人「だった」彼女とは、もう赤の他人も同然だった。

 「同級生」というラベルも今は使えない。それは中学二年生以降効力を失い、挙げ句の果てに「元」というレッテルが貼られる代物になり下がった。

 徐々に近くなってくる彼女と、どう対峙すればいいのかわからないまま、俺との距離がすでに数十メートルまで縮まってしまっていた。心臓が激しくなっていくのがわかるが、本当に動けない。

 こんな現象が起きるなら、私生活に影響をきたすから誰か保健体育の教科書にでも書いてくれたらよかったのに。国語辞典でもいい。


「失恋直後からの数日〜数週間(個人差あり。人によっては数ヶ月間)は、体が思うように動かせない・動悸がするなど、普段通りの生活がままならない場合があります」って。

 そのとき、想定外の救いと想定外の不運が一つずつ起きた。幸運だったのは、俺が自分の体の操縦権を取り戻したこと。その理由は明白だった。


 (そうだよな。何焦ってんだか、俺は)


 彼女との距離が残り十メートルを切って、ようやく俺は彼女の左腕が間に合っていることに気づけた。すん、と何かが底から冷えた。加えて市歌は、絶対に視界に入っているはずの俺の存在をないものとして扱った。目も合わせず、動揺も見せず、冷え切った態度すら取らない。街中ですれ違うという場面に立ち会ったモブ、言わば背景の一部分。さっきまでの自分が馬鹿みたいに思えていっそ笑えた。

 不運だったのは、青信号が点滅してしまったこと。


 「あと少しだったのになあ」


 市歌が少しいじけたような声を出す。いつもより少し高くて、いつもよりちょっとだけ甘い声、なんて計算してしまう俺のアホな脳みそが恨めしかった。それは、俺には使われることのなかった声域だ。


 「まあしょうがないね。でも、別に悪いことばかりじゃないと思うけどね」


 ユキムラがそう返した。嫌な予感と嫌悪感に、素肌を撫でる夏の風が今だけは寒い。


 「市歌とちょっとだけ長く一緒にいられる」


 車通りが少ないこの通学路では、俺の耳を馬鹿にさせてくれるものは何もなかった。恋の障害物は山積みなのに。

 赤信号が眠りに落ちた瞬間に俺は地面を蹴った。恋は盲目、夢見心地とはよく言ったもので、確かに周りがぼんやり霞んで、「世界が変わる」という表現もよく似合う。けれど、入った「夢の国」が他人のもの、しかも好きな子と自分以外の誰かのものだったときは地獄だ。

 一刻も早くあの空間から出たかった。さっきまで毛嫌いしていた現実が今はもはや恋しい。

 そして結果として俺は人生史上最高記録の早さで学校に辿り着いた。


 ***


 教室ではガヤガヤと騒音が溢れていた。くじで決まった窓際の席は、今朝も日光を浴びて温められていた。


 「はよー、優ちゃーん!しけた顔すんなってー、女子は袴田だけじゃねーぞ」


 高校に入ってから知り合ったこいつは、今日も遠慮なしに背中をバシバシ叩いてくる。生意気にも眉尻を上げて竜海は飄々と言葉を並べる。


 「それって励ましてんのか?」


 「や、そういうわけではない」


 「なんだよ」


 「だってお前、急に『フラれた』なんて電話よこしたじゃん。しかも夜中に」


 市歌に突然別れを告げられたその日のうちに竜海に連絡を入れた。一人で抱え込もうなんてかっこいいことをしようと思ってはいたのだが、俺の決意はたかだか二時間で更新された。


 「う、それは悪かったって。相談できんのお前くらいだったんだよ」

 

 「まーたそうやってちょっと甘えたら許されると思ってんだろー、許す」


 「本当なんなんだよ」


 竜海と話していると日常に戻ってくることができる。こいつのこういう所に、春先から何度も助けられていた。


 「なあ、優。袴田って本当にあの幸村と付き合ったのかよ?」


 「お前なあ、俺の現状わかってる?」


 「夜中にかかってきた非常識な電話のおかげで重々承知だけど?」


 「嫌味だなあ」


 「幼馴染の袴田市歌に想いを寄せていた清水優は告白もさせてもらえないまま突然別れを切り出される。相手は校内でも優等生で名が知れ渡っている幸村真人!さあ、告ってもないのにフラれた優ちゃんの運命やいか……」


 「やめろよ馬鹿!周りに聞こえるだろ!?」


 慌てて、なんてものじゃない。俺は必死に竜海の口を塞ぐ。そして反射的に周囲を見渡す。幸いクラスは雑音で満たされていて、俺たちのとりとめもない日常会話など誰も気に留めていなかった。普段から鬱陶しいと思っていたこの喧騒が今ばかりはありがたい。


 ***


 「あれ、今日部活休みになったんだ?」


 「優ちゃん今チャット見たのかよ?相変わらず無頓着だなー」


 「で、今日部活休み?」


 「そ、今日雨の予報だろ?んでもって明日は試合。今日風邪引いてもダメだし、怪我してもアウトだろ。あと、ここ最近の雨でグラウンド状態も良くねーみたいでさ、最終的に部長が判断したらしい」


 「へー」


 ぽっかり空いた予定ほど、どう消化するか迷うものはない。


 (帰ってなにしよ)


 やることリストとやるべきことリストを頭の中で合わせて検討して妥協案を模索していく。着たばかりのウェアをモサモサと脱いでいく。外気が一気に肌を撫でていく。汗もなく泥もなく、サラサラと乾いた感触に違和感を感じた。


 「先行ってるぞ」と言う竜海の言葉に適当に返して俺は一人教室に残された。


 ***


 少し申し訳なくなってちょっとだけ急いでやったのに狭い生徒玄関にでかい竜海の姿はなかった。


 「あれ、竜海?」


 全ての下駄箱スペース、生徒玄関入り口、傘立ての中、下足箱の中、掃除ロッカーの中まで捜索したが、結局どこにも竜海はいなかった。


 「なんだよ、こんなことならちょっとゲームしてから教室出たのに」


 身勝手な不満を吐き出して俺はその場にしゃがみ込む。


 「あーあ、本当に土砂降り」


 はあ、とため息をついたその時、聞き馴染みのある着信音がポキポキと鳴った。


 「あれ、竜海?」

 

 「あいつ、どこでなにしてんだよ」


 半ば呆れてチャットを開き、俺は心の中で盛大に謝罪した。


 『雨降ってきたなー。教室に傘二本目置きっぱだったの思い出したからお前の分取ってくるわ』


 きっと、ついさっきまでこの場で待っていてくれていたんだ。この二日間、記憶にあるのはどれも落ち込むようなものばかりだ。


 「幸村、お待たせ!」


 ギクシャクと背筋が硬直するのがモロにわかった。


 「わー土砂降りー!」


 いつも以上にテンションが高いなと思って、もう俺は市歌の「いつも」を知った気でいてはいけないのだと言い聞かせた。これからは、徐々に徐々に幸村の方が市歌のことを深く知っていくんだろう。今俺だけが知っていることがあったからといって、それはなんでもない。この道をいずれ幸村も通っていく。俺が進んできた道をスタスタ颯爽に歩いて、俺のこともいとも簡単に追い抜いていくんだろう。

 でも、俺は誓って呼びかけたわけでも、呼び止めたわけでもなかった。歯に絹着せなければ、ひどいことを言って傷つけても許されるのであれば、あいつが勝手に勘違いしたんだ。


 「わ、私傘持ってるから安心して!行こ、幸村!」


 変わらず高いテンションで市歌は幸村を巻き込んだ。


 (市歌、恥ずかしそうだったな)


 俺は、俺たちの歴史を恥じたことはなかったが、それは俺が市歌を好きだったからだったのだろうか。他に好きな人ができた市歌にとっては、幼馴染の男子なんて、邪魔なだけなのかもしれない。そう思うと心にズシリと重く響く、はずだった。それなのに、俺の中に浮かんだ感情は俺が予想していたより軽かった。


 「あれ?」


 フラれたあの日、苦しくて悲しくて恥ずかしさにもがいて顔を覆った。あの日味わった暗闇は、まだ当分続くものと思っていた。


 「優ー、お待たせー。ほい」


 そんなタイミングで竜海が戻ってきた。こいつはいつも間合いがいいんだか悪いんだか。


 「どーせお前、傘なんて文明の利器持ち歩いてねーんだろ?貸してやるから今度自販機のいちごみるくな」


 「はっ、本当ちゃっかりしてるよ竜海は」


 「おー?言ってくれんじゃん?」


 「本当、ちゃっかりしてる奴ばっかだな」


 あんなに痛かったあの胸の痛みだって、こんなにあっさり立ち去るなんて、ある意味薄情だ。あれほど俺を傷つけたのに、激しい感情と感覚でかき乱すだけかき乱したのに。


 (残したのは無かよ)


 どうせいうかは全て消えさる、なんて誰が言ったんだっけ。こんなに核心突いたセリフ、そうそうないと思う。


 (やっぱり世界は残酷なんだ)


 今日もまた俺は勝手に世界に傷つけられる。


 ***


 「あいつら、別れた」


 朝一番に聞かされたニュースは、俺史上最高に驚愕だった。


 「誰と誰が、別れたって」


 「袴田と幸村だよ」


 たった七文字。その短い文字列が俺の頭を支配する。一言で言い表したほうがいい場面は沢山あるが、その意味が今わかった気がする。短い言葉は、残る。


 「何で!」


 つい叫んでいた。今日の教室はそこまでうるさくなかった。俺にとって、注目されることは好ましくないことだったが今はなぜかどうでもいいと思えた。


 「あいつら、つい昨日まであんなに仲良く雨の中一緒の傘使って帰ってたのに!」


 「え、うわ何それ。お前そんな場面見てたの?めっちゃ悪いことしたな。俺もっと走って行けばよかったわ」


 「いい!それはいいから、知ってんなら理由!教えてくれ!」


 質問を投げる。竜海は少し呆れた様子だったが、その表情は教えてくれる表情だと俺にはわかっていた。


 「理由はわからないってもっぱらの噂」


 竜海はまつ毛をゆっくり下ろして首を横に振った。静かな動作はまるで俺に何かを宣告している風だった。


 「袴田も幸村もあんま喋るタイプじゃないもんなー」


 落胆していた。俺は確かに落胆していた。思ったより二人の恋路を思えているのかも、俺はもう失恋から立ち直っていたのかも、昨日そう思ったから。二人を、市歌を応援できる。俺もまた新しく前に進んで行ける。俺と市歌の歴史は終わったような気持ちにはなっても、きっと俺自身の道を作って行ける。そう思った、心から。でも蓋を開けてひどく残念に思った。


 「俺、ホッとしてる?」


 溢れた疑問は心の中に留まらなかった。


 「あ?まあそう思っても仕方ないよな。善人でも聖人でもねーんだからそう自分を責めるなって」


 はつらつとした口調で竜海は恐らく励ましてくれているのだろうが、こいつは昨日の俺の感情を知らない。あの安堵した心境を知らない。市歌を応援できると思えた時、俺は嘘偽りなく嬉しかったんだ。


「俺、どうしたいんだろうな?」


 自嘲して見ると、竜海は困ったようにへらっと笑った。その表情がなぜか市歌と被って映った。


(市歌にもこんな顔させたことがあったんだろうな)


「お前は無頓着だからなー」とまっすぐな竜海の言葉が聞こえた気がした。


 ***


 首を突っ込んではいけない。何もするべきではない。そんなこと、当然わかっていた。誰でもそうであるように、俺も空気の読み方を習得して生きてきた。それでも納得しそうにない俺の頭には不備でもあるんだろうか。市歌と話したい、なんて。フラれている身だし、避けられて気まずそうにされたし、何を話すのかもまとまっていなかった。



 家が近いから朝の登校時に会うことは必然だとわかっているのに、今日もまた声を上げてしまう。

 どうすればいいのかわからない、胸はなぜか苦しいし、やるせなさもなぜか残っている、表情だって作り方を忘れてしまったかのようにぎこちない。でも、


(俺は、もうフラれてる。今更かっこいい所見せようとか、取り繕おうとか、嫌われたくないとか、無意味だよな。いや、嫌われたくはないけど、絶対)


 あれこれ思考を巡らせた結果、吹っ切った。正確には吹っ切るよう努めた。


「お前、幸村と別れたんだな」


 振り返った市歌の表情は睨みつけるように鋭く、邪険というのは真っ向から浴びると結構くるものがあるということも学んだ。


「誰から」


「え、あ、う、噂」


 竜海から聞いたとは言えず、咄嗟に嘘をついた。けれども、次の瞬間俺はひどく後悔することになった。俺の言葉を受けて、目を見開いて驚き、その次にザックリと傷ついたような表情を重ね、足早に登校していった。


「待って市……」


 追いかけようとしていた自分に嫌悪感が湧いた。


 ***


 ここ数日、俺はずっと一人で考えている。最近の自分の言動は自分の手に余る。しかし、それと同様にこの思考回路も手に余るので、結局竜海に打ち明けることに決定した。


「恋ってなんだと思う?」


 ブハッ、とむせる竜海。


「おまっ、急に何言い出すかと思えば」


「真剣な話だって」


「いやー、聞かれてもなー。相手が好きだって思ったらそれもう『恋』なんじゃね?んー、よくわかんねーや」


 「だよな」


 「なあ優、そう難しく考えることねーんじゃ……」


 言いかけて、竜海の意識が俺から遠のいたことを感じた。視線を追うと教室の出入口に行き着いた。そして表情の理由を理解した。

 あっ、という顔をしてそいつは俺を見つけ、にっこり笑ったまま手招きをされた。


「幸村が変なことする奴じゃねーとは思うけどさ、一応言っとく。気をつけろよな」


「サンキュ」


 軽い返事だけ残して俺は幸村の誘いに応えた。


 ***


 本音を言うと、決闘の申し込みだったらどうしようなんてことも思っていたが、この現代、優等生からそんな提案が飛び出すはずもなく。


「市歌をよろしく頼む」


「は?」


 幸村の発言は突拍子もないものだった。


「誰に誰をよろしくって?まさか優等生なりに喧嘩売ってんの?」


 俺が半ばキレ気味にそう突き返すと、幸村はやはり笑って言う。


「違う、そんなんじゃないんだよ。僕じゃ、ダメみたいだから」


「は?」


 市歌をさらっておいて「僕じゃダメ」な意味が見つけられない。だって、市歌はこいつを「選んだ」のに。


「僕じゃ市歌に何もできないんだ。彼女はいつも君のことを気にしているんだよ。無意識ではあるけれども、ね。僕は彼女の真ん中にはなれなかったんだ」


 そこまで聞いて、俺は猛烈に反論したくなった。表すことが苦手な俺が、弁が立たなくていつも口論では市歌に負けっぱなしな俺が、こいつに一言言ってやりたくなったんだ。ちょっと考えて、標的を見据える。


「俺と市歌が幼馴染だってことは知ってたんだよな」


「え?ああ」


「じゃあさ、それこみで市歌と付き合わなきゃいけなかったんじゃねーの?」


 大きく開かれた幸村の瞳はとても綺麗だった。俺と同じ国の同じ年の生徒なのに、どうしてここまで違うのかと改めてちょっと考え込んでしまった。


「お前ら、まだ早いよ」


「え?」


「いいから、とりあえずお前は今すぐ市歌のとこ行ってこい!後悔は先に立たねーんだ!」


(俺みたいにな。そして幸村は俺みたいになるな)


 お前と俺が同じ立場なんてまっぴらごめんだ。


「うん……わかった!もう一度話してくる」


 穏やかで優しい口調とは裏腹な駆け足で幸村は市歌のクラスに駆けていった。


「なんだよ、俺は置いてけぼりかよ」


 心の中でそんな現状を肯定する。よかった。俺は二人についていっちゃいけないんだ。それでいいんだ。それが、きっと俺たち両方にとってベストだ。


 ***


「は!?」


 予想通り、さりげないカミングアウトに竜海は仰天した。


「お前それ、もったいねー!!」


「でも俺、後悔しない確信あるから」


 余裕ぶって見せたら「大人ぶっちゃってー」と怒られた。


 ***


 放課後、俺に再び予期せぬ訪問者がいた。


「昼休み、真人教室に来たよ」


 真人。いつの間にか二人は互いに名前呼びになっていたことを初めて知る。やはり時計は止まることのないものなんだと実感した。それと同時に、俺だけが止まっているわけにはいかないと背中を押された感じがした。


「元サヤ」


 好きだった相手から、また聞き心地が良くはない言葉が出る。


「優が勧めたんだってね、真人に。真人すごく感謝してたよ、優に」


 いつもの市歌からはあまり想像できない、言葉遊びのような文章だった。


「お前らにはなんとなく上手くいってほしいって思ったんだよ。幸村もいい奴だしな」


 そう言って俺は帰ろうとした。仲介人はここでお役御免だ。一歩踏み出した時、背後で市歌が振り返った気配を捉えた。


「なあ市歌」


 遮って、刺す。


「俺らの関係にはさ、幸運なことに名前が付いてんだよ。そんでもってこれは一生消えねー関係だ。だから、そんな顔すんなよ」


 安心しろよ、と続けてやる。

 市歌の後押しのために。俺へのエールのために。


「お前は、ちゃんと恋してるって」


 見抜かれた、と市歌の態度が示していた。

 ずっと正体のわからなかった感情は、未練と形容するにはちょっと歪で、名残と表すには早過ぎた。

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