悪魔の花束と美しき花嫁

宵薙

悪魔の花束と美しき花嫁

 月が町全体をほのかに照らす晩のこと。町の上空をふらふらと彷徨っていた悪魔は、家の中でピアノを弾いていた、ある一人の女性に目を奪われた。


 スッと整った顔立ちに、赤色の長い髪が揺れる。琥珀色の目は宝石のように輝いていて、丸く可愛らしい。桜色の唇からは、小鳥のさえずりのような歌がこぼれ、演奏に花を添える。


 彼女は、プロになるために一生懸命頑張っているアマチュアのピアニストだった。花を贈ると、彼女の笑顔が見られる。悪魔はそれが嬉しくて、何度も彼女の家に通っては綺麗な花束と手紙を置き続けていた。


 日に日に募っていく、彼女への思い。眺めているだけではつまらない。もっと、話したり、色々な所で遊びたい。そして、願うならば彼女と付き合いたい……。そう考えるようになっていった。


 しかし、肝心な所で勇気が出ない。悪魔であるが故に、人間に化けている時はいいが、まれに異形に変じてしまうことがあるのだ。異形に変わる原因は様々だが、それで彼女に嫌われたら、と思うと足がすくんだ。


 だんだんと売れてくると、冷やかしや付きまとってくる男たちも出始めた。悪魔は彼女が傷つくのを恐れて、花を贈る回数を少し減らした。


 同じころに、とある男が悪魔がプレゼントを贈っているのを目にしていた。その男は、花や手紙に宛名がついていないことに気づいて、悪魔の善意を利用したのである。


「実は僕が贈っていたんだ。恥ずかしくて言えなかったんだけどね。よかったら僕と付き合ってくれないか? 君を幸せにするよ」


「まあ! いつもありがとう。喜んでお付き合いさせていただくわ」


 女性は男がついた嘘を信じて付き合い、恋に落ちてしまった。悪魔はそれを呆然と見つめるしかない。


 ――これで良かったんだ。勇気がない僕には、こんな結末がお似合いだ。


 そう思っても、なかなか諦めきれない。二人が歩いている時には、何度も後をつけた。二人がいつも行くデートスポットも把握したし、彼女の好みも分かった。だが、それを知ったところでどうにもならない。


 どうにかして、彼女の誤解を解かなければならないのに、手段が思い浮かばない。そして、悪魔の耳にさらに悪いニュースが入った。彼女が、一週間後にあの男と共に結婚式を挙げるという話だ。


 悪魔は、悲しみに暮れていた。もう、彼女と結ばれることは絶望的だ。だが、彼女を見守ることは続けたい。たとえ、更に傷つくことになっても。


 そう思い、再び悪魔は二人の後を追いかけた。男女はいつもの公園で仲良く食事をとり、家に帰ろうと歩道を歩いていた――その時だ。


 一台の車が、猛スピードで歩道に突っ込んでくるのを悪魔は目にした。今気づいたとしても、とても人間が避けられるような状態ではない。このままでは、二人がひかれてしまう。


 ――危ない!


 悪魔はとっさに自分の身を彼女と車の間に躍らせた。通行人たちの悲鳴やどよめきが耳に飛び込んでくるが、構わない。


 衝撃に耐えられずに、人間の形を保っていた体が、徐々に異形に変じていく。彼女に嫌われるかもしれないが、今は守るほうが先だ。歯を食いしばって、どうにか車を止める。


「あ、貴方は……?」


 戸惑い気味な彼女の声が聞こえる。しかし、車を止めるためにエネルギーを使い果たしてしまったようだ。だんだんと意識も薄れていく。ここまでで、終わってしまうのだろうか……。


 結ばれないと知りつつも買っていた花束が、ぽたりと落ちて雨に濡れる。ぐしゃり、とその花束を踏んだのは悪魔から彼女を奪い取った彼氏だった。


 それから一週間がたち、とうとう彼女の結婚式の日になった。そのころには悪魔も容態が回復し、普通に空を飛べるようになっていた。しかし、気分は晴れない。結局彼女の誤解は解けないままだった。その後悔がいつまでも悪魔の心を支配していたのである。


 雲一つない青空に響き渡るチャペルの輝かしい鐘の音さえ、今の悪魔には雑音に感じた。彼女が幸せになれればそれでいい。もう、僕が出る幕はない。そう思い、大きな花束を抱えたまま結婚式が挙げられている式場から去ろうとした、その時だ。


「ごめんなさい。貴方がいつも助けてくれていたのよね。あのお花も、私が車にひかれそうになった時も……」


 青色のバラで作られたブーケの先には、目じりに大粒の涙を浮かべた彼女が立っていた。純白のベールを捨て去ると、よく見知った美しい顔があらわになる。


「……どうして、気付いたの?」


「その花束、いつも同じお花でしょ? 手紙も、よく送ってくれていたわよね。あの男は僕が書いたんだって自慢げだったけど、結婚に必要な書類やお手紙を出すときに、明らかに文字のクセが違ったのよ。だから、おかしいなって思って」


 それに、と彼女は続ける。


「車にひかれたときに、花束が落ちてて。その花束を彼は踏んだの。だから、絶対にこの男がくれていたんじゃないなって思ったのよ。今まで勘違いしていて、本当にごめんなさい」


 握手を求める彼女の手を、悪魔は取った。そして、軽く口づけをした。彼女もそれに応えて、頬に軽くキスをする。


「私、貴方のことが好きなの。命も助けてもらったし、貴方とお付き合いしたい。……迷惑かしら?」


「ううん、全然。でも、僕は悪魔なんだ。車にひかれそうになった時に人間じゃない姿になったのは見たと思うけれど……それでもいいのかい?」


「構わないわ。少なくとも、誰かをだまして付き合おうとする最低な男よりはマシよ。ほら、本人はあそこで震えているわ」


 彼女が指さす方向に悪魔が目をやると、歯ぎしりしながら悪魔を睨みつける男の姿があった。髪は激しく乱れており、顔も怒りのあまり歪んでいる。


「き……貴様ァ……よくも俺の花嫁を奪いやがって……!!」


「奪ったのはそっちでしょう? 悪いけれど、貴方との結婚は無しにさせてもらうわ。永遠に……私の前には現れないで頂戴。さ、行きましょう」


 ドレスの裾を持って、足早に場を去る花嫁の後ろを追おうとする花婿を、悪魔は許さなかった。男の前に立ちふさがり、道を遮る。


「邪魔だ!! 通せよ……通せって!!」


「嫌だよ。この先にはいかせるものか。彼女を騙した罪を償ってくれないと」


 悪魔が手を掲げると、男の足元に巨大な穴が生まれる。逃げようと思っても無駄だ。強烈な重力に呑まれ、絶叫を上げながら白いタキシードが吸い込まれていく。完全に男の体が闇に呑まれると、何事もなかったかのように穴は元の芝生に戻った。


 微笑むウェディングドレスの女性と、新しい花婿候補となった悪魔。二人はその後結ばれ、幸せな暮らしをしたという。


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悪魔の花束と美しき花嫁 宵薙 @tyahiyo

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