罪人は天国で生きる
橘花やよい
罪人は天国で生きる
どうやら、私は死んだらしい。
「人は死後、生きていた間の行いによって、天国か地獄か、行くべき道を決められます。あなたは天国へと向かうように、神がお決めになりました」
「天国? 私が?」
はい、と目の前の少女は微笑んだ。
白い着物。白い肌。白い髪。白い瞳。その少女は全てが白かった。
「わたくしは、偉大な神に仕えて、この地にたどり着く人々の手助けをしております。あなたのことを案内するようにと言付かっております」
無垢な微笑み。穢れなど何も知らない、真っ白な少女だった。
善良な少女は私に天国を案内した。
美しい花畑。柔らかい風。あたたかい日差し。どこまでも穏やかな空気。
「安穏とした場所ですね――」
「天国の中にも様々な区分があります。ここは天国の中でも特に静かで、穏やかで、美しい場所です」
すれ違う人々はみな少女と似たような笑みを浮かべていた。全員がこの世界に相応しい善良な住人だった。
「そんな天国に、どうして私みたいな人間が来てしまったんでしょうね」
「どうして、とは?」
「私は必ず地獄に行くと思っていました。だって私は、人を殺したのです」
「あら」
少女は大した反応もしないで、そうなのですねと応対した。
「何人も殺したんですよ。泣き叫んで許しを乞う人間を無残に殺した。刺して、斬って、殴って、蹴落として――、四九人殺した。たのしくて、たのしくて」
思い出すだけで笑えてくる。
殺さないでとすがってくる人間を前にしている時だけ、支配欲が満たされた。そんな人間に最後の一撃を与える間際、絶望に染まった表情を見るのがたまらなく好きだった。
人を殺めているときだけ、私は生きていることを実感できた。幸せだった。
あと一人殺せば、五十人。キリがいいと浮かれていたのだ。一瞬の油断で捕縛され、極刑を言い渡された。
「お前は死んで地獄に落ちるのだ、と死ぬ瞬間まで言われ続けた。それが、死んで、目が覚めてみたらこんな世界だ。笑えますね」
「そうなのですね」
私の話を聞いてなお、少女は笑みを浮かべていた。
「軽蔑しないのですか? あなたみたいな高尚な存在からすれば、私は嫌悪すべき者でしょう」
「嫌悪や軽蔑などといった感情は不必要です。ここに住まう住人にそのような感情はございません。ここに穢れは存在しない、ここにあるのは静寂と穏やかな時間のみ」
そうして私の天国での生活が始まった。
ここでは空腹なんてものも存在しない。睡魔も襲ってくることはなかった。ただひたすら、穏やかな時を享受する。
花を愛で、鳥と歌い、流れる雲を見上げる。
ここの住人とも話をした。みな似たような笑みをはりつけていた。私の生前の行いを聞いてもなんの反応もない。不気味なほどに、ただ微笑むだけだった。
「ここでの生活には慣れましたか?」
あるとき、天国を案内してくれた少女が私を訪ねてきた。
「ここは、ひどく退屈ですね」
「退屈?」
少女は首をかしげた。退屈なんて感情も、少女には存在しないのかもしれない。
「私は今からでも地獄に行けないのですか?」
「何故です?」
「地獄ではみな呻いて、嗚咽して、叫んで、暴れているでしょう? 私にはそちらの方が性にあっている」
人の苦しみに満ちた世界こそ、私の望む世界だった。
たとえその苦しみが自分に与えられるものでも構わない。むしろ喜ばしい。血が流れ、腕がひしゃげて、見悶える。そんな苦しみが永遠と味わえるというなら、それも一興だ。
「神がお決めになったことは覆せません。あなたはここで、永遠の時をゆるやかに生きるのです」
「そうですか――、なんてつまらない」
私は少女の首に手を伸ばした。
不思議そうな顔をする少女の細い首をしめあげる。柔らかな肉に指先を食いこませる感覚。手が覚えている。人を殺す感覚を。この感覚をずっと求めてやまないのだ。
思わず笑みがもれた。
「あなたを殺せば、地獄に行けるでしょうか」
こんな穏やかな世界、私には必要ない。もっともっと苦しくて、たのしい世界がいい。
しかし、どれだけきつくしめあげても、少女の表情は何も変わらなかった。もうとっくに死んでもいい頃合いになっても、眉一つ動かさない。
しまいには私の手の方が疲れて、少女の首をはなした。
「死という概念はここには存在しません。苦しみも存在しません。あなたは地獄には行けません」
そう言って少女はいつもと同じ笑みを浮かべた。能面のような笑み。
私は少女を殴った。何度も、何度も。少女の整った顔を殴る。だが、どれだけ殴っても、少女は微笑むだけだった。血が出る様子もない、痣ができる様子もない。殴る感触はあるのに、手応えはない。
「なんで」
私は少女の前から逃げ出して、道行く人々を次々と襲った。
殴って、蹴って、突き刺して、沈めて、斬って――。
それでも、全員微笑むだけだった。
血一滴も出やしない。殴る感触も、斬った感触もある。それなのに、相手の体にはなんの変化もない。
住人は、ただただ微笑んで私を見つめていた。
「はじめに言った通り、ここには静寂と、穏やかな時があるのみ。ここにはあなたが望んでいるものなど、何一つありはしません」
呆然と立ち尽くす私の前に、少女が現れた。
軽蔑も、侮蔑も、嫌悪も、一切感じられない。いつもと同じ微笑み。
私が暴れたところで、この世界は何も変わらない。いつもと同じ、あたたかい日差しが降り注ぎ、風がそよぎ、花が咲き乱れる。住人はみな同じような笑みを張り付ける。
「こんな世界、いやだ」
私はもっと血が沸き立つような、毒々しい世界が好きなのだ。だから私は何人も、何人も殺してきた。そんな世界でないと、生きている喜びを実感なんてできなかった。
「あなたがなんと思おうと、神がお決めになったことです。あなたはこの世界で永遠を生きるのです」
少女は微笑む。
ここは、私にとっては地獄のようなものだった。
罪人は天国で生きる 橘花やよい @yayoi326
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