ご家老と御屋形様

結葉 天樹

どんでん返しがやりたくて

「おお政秀まさひで、来たか」

「お呼びでございますか、御屋形様おやかたさま


 急いで来たのか、荒い息を落ち着けながら政秀はおもむろに座り、彼の到着を待ちわびていた主君、範親のりちかに首を垂れた。


此度こたびはいかようなご用向きで?」

「うむ。お主に頼みたいことがある」

「何なりと」

「実はな。が欲しいのじゃ」

とは?」


 範親のりちかが手首を回し、手の平で何かをひっくり返す様子を政秀に示す。しかしいまいちその意図が伝わっていない様子だった。


「あれじゃあれ。あの……ひっくり返る壁じゃ。忍者屋敷とかにもあるからくりの……ええっと」

「……どんでん返しでございますか?」

「うむ、それじゃ」


 範親は膝をポンと叩いてうなずく。


「あれを一度やってみたいのじゃ。こう……『ぐるん!』と」

「いや、しかし……」

「お主もやってみたくないか?」


 政秀としても、やりたくないと言えば嘘になる。だがそれを口にすれば範親が乗り気になってしまうため、ここは家老として毅然とした態度で臨む。


「あれば便利じゃろ。敵方に攻め込まれた時にあれを使えば隠し通路から逃れることができる」

「御屋形様、無理でございます」

「何故じゃ」

「理由は三つございます」


 政秀が指を立てる。そしてまず薬指を折る。


「一つはこの城の構造です。この城はそれほど大きくありませぬ。そんな隠し通路を組み入れれば不審な空間が城にできてしまいます」

「そこをどうにかして誤魔化すのがお主らの腕の見せどころじゃろ」

「元よりいざという時の逃げ道が井戸にござります。それはいかがなさるおつもりで?」

「逃げ道はいくつもあった方が敵を欺くことができるじゃろ」

「む……」


 政秀は一瞬「一理ある」と思ってしまった。ただの興味関心で欲しいと言っているが、しっかりとその用途も考えていた辺り、政秀を当初より説得する必要があったと考えての言動であることに、政秀も気づいた。


「では、二つ目の理由を申し上げます」

「ふむ」


 政秀が中指を折る。


「どんでん返し自体は作れましょう。されどそこより通じるみちを作るには人夫にんぷぜにも足りませぬ。何より時が足りませぬ」

「ならばわしも手伝おう。これでも日々の鍛錬は一日たりとも欠かしておらぬ」


 腕をまくり、範親はその筋骨隆々の肉体を見せつける。しかし政秀は深いため息をついた。


「主君が普請ふしんに関わるなど、事故でもあったらいかがなさるおつもりですか?」


 隠し通路は地下へと通じる。逃げ道を作るためには地面を掘り進んでいかなくてはならない。落盤事故や地下水が漏れ出すなどその工程には様々な危険がある。気軽に参加させることなど無理なのだ。


「無理か……いやな、どうしても一度はあれをやってみたくての」

「そのお気持ちは理解致しますが……」


 政秀が最後の一本を折った。彼の言った通り、時が残っていないのだ。


「夢を見ている場合ではござらぬのは御屋形様もおわかりでしょう?」

「そうじゃのう」


 範親が窓から外を見る。城の周りにいる人々がその人夫であればなあと惜しんだ。


「む、そろそろでございますな」


 政秀が廊下から聞こえる怒号と剣戟けんげきの音に表情を険しくする。おもむろに立ち上がると、範親に背を向けた。


「完全に城は取り囲まれ、もはやこれまで。もし、どうしてもどんでん返しをやりたいのであれば、ここより落ち延びてからですな」

「うむ。叶わぬ時はあの世で家中の者たちと一緒に城を建てる所から始めるかのう」


 兜の緒を締め、範親も立ち上がる。既に火の手が上がり、あちこちから焼け焦げる臭いと煙が立ち込めてきた。大人数が廊下を走って来る音が迫って来る。


「どうせなら先にこのいくさをひっくり返したいものじゃ!」

「なるほど。まさにどんでん返しですな!」


 戸を蹴破って敵兵が現れる。二人は豪快に笑いながら太刀を振り上げて飛び掛かっていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ご家老と御屋形様 結葉 天樹 @fujimiyaitsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説