第18話 会釈
たまたま今日は13日の金曜日。
僕は早起きをして逆算した7時23分着の始発に乗れるよう、一旦下り電車に乗って、乗り換え、また登り電車に乗った。重要座席を確保する為に。
僕がいつも使っているあの時間のあの電車に僕はキリコさんを誘い込み、暗中飛躍していたのだ。
そう、百合子さんの為に。
百合子さんは始発から10分ほどした駅から乗って来た。そしていつもの席に着いた。
いつもの乗車駅でも、いつもの時間でもないのに僕がいる事を特に不思議に思う事もなく、今日も目だけで挨拶を交わした。
この時間はまだ混んでおらず、空席はちらほら見つかる。
キリコさんの駅に着いた。僕の左脇から入って来るのを確認すると、僕は一つずれてキリコさんに温めて置いた席を譲った。
「おはよう」
「おはよう」
「座れてよかった」
「うん、この時間はまだ空いてるから」
「山登るの久しぶりだな~」
「僕も」
百合子さんをチラッと見ると、手にはスケッチブックがあって、黙々とキリコさんを描いていた。僕は心の中でちっちゃなガッツポーズをして、直ぐにキリコさんとの会話に集中した。しばらくして、乗り換えをする駅に近づいたので僕達は席を立ち、扉の前で待機していた。すると、僕のリュックと体が後ろに引っ張られた。
振り返ると、そこには百合子さんが立っていて、何とも晴れやかな笑顔で「ありがとう」と耳元で囁いた。
キリコさんが異変に気付き後ろを振り向くと、百合子さんは満面の笑みでキリコさんに会釈をした。キリコさんも少し笑って会釈を返した。一瞬の時間は、百合子さん、イヤ、龍一さんには一生の時間になっただろう。
惜しくも、電車はホームに入り、扉が開いてしまった。キリコさんは前を向き直し、一歩を踏んだ。
背中から感じられる龍一さんの存在は、僕のキリコさんへの思いをより深いものにさせたのだった。
登山を楽しんだ後、僕はキリコさんを二丁目に誘ってみた。もちろん愛の巣だ。
キリコさんは二つ返事で受け入れてくれた。
「いらっしゃ~い」
「こんばんは~」
「今また閑古鳥が鳴いちゃってるからさ、どこでも好きなとこ、座って~」
僕達は入り口近くの席に座った。トイレから遠くはなるが、帰る時は楽だろうと思った。時間が早い為か、まだ店内には3人しかいない。
「初めまして。この店のママやってます、狂実で~す」
「はじめまして、キリコです」
「キリコちゃん?きりっとした顔してるもんね~」
僕と同じ感想だ。
「何飲みます?」
定番の梅酒にいくかと思いきや、
「モスコミュールで」
「モスコミュール?」
「ここに書いてあったから、ほら」
「うん」
「僕はレモンサワーにしようかな」
「は~い」
「さっきまで百合子さんいたのよ」
「えっ!」
鉢合わせにならなくて良かった~と心底2万マイルくらい思った。酔った百合子さんだったら、何を言い出すかわからないし、それに何より、女装しているし。
キリコさんには刺激が強すぎる。
次の日、胃もたれる。
「なんか今日凄い良い事があったみたいでね、ご機嫌でさ。ツケも全部払っていって助かっちゃったわよ。百合子さん両親の介護の為に九州の田舎へ帰るらしいのよ。ずっと迷ってたんだけど、やっと覚悟が出来たんだって」
僕が呆然としている間に、狂実ちゃんとキリコさんはすっかり打ち解けていて、会話を楽しんでいた。ママの脈絡のないおしゃべりにもついていけている。
「今他にお客さんがいないし孝ちゃんだから言うんだけどね、私、会社辞めてきたわ」
「えー」
「この道一本で頑張ろうと思って」
「すごいな~柴田君」
「柴田君はやめなさい!狂実ママだから!」
「ごめん、ごめん、つい」
「すごいっていうかね、限界だったのよね」
「そっか」
「退職金でいろいろお店の設備投資したり、お着換え部屋も増やしていけたらいいな~って。なんか二丁目に恩返しじゃないけどね、みんなが快適に楽しめるようにさ、もっと考えていこうと思っててね」
「頑張れよ、応援してるから」
とっさに出た言葉だった。キリコさんに言われて、本気になれた言葉。
「ありがとう、心強いわ~」
入り口からトントトトントン トントンと、猫ふんじゃったの最後に弾くやつが聞こえた。
「こんばんは~」
5人の明るいメンバーが勢いよく現れた。さっきまでの現実的ムードから、ファンタジーでカラフルな世界にガラリと変わった様に思えた。
「いらっしゃ~い。今ね、同級生が来てんのよ、紹介するわね。こちら、孝ちゃん。家も近所だったの~。で、こちらがキリコさん、孝ちゃんのお友達。みんな仲良くしてあげね~」
「初めまして~」
ニコニコした人達が更に口角を上げ、歓迎のムードで僕達を見た。
「自分はゲイ歴1年目の三郎です。サブちゃんって呼ばれてま~す。甘酸っぱい、チェリーで~す」
「私はバイの恵子です。7対3で女性が好きです」
「僕は女性が好きな普通の男です。たまに女装もするけど、最近はB面で飲んでます」
「えっと、私は、今、迷走中です。へへ」
「ふふふ 私は~なんて言ったらいいんだろうね。えっと~女装はしてないっていうか、素でこんな感じです。フォークビッツみたいなおちんちんとビー玉くらいのタマタマがついてます。で、子宮もあります。性欲はないので、ただ飲み歩いてます」
「みんなね、ここの店で知り合った飲み友なのよ、いろんな人がいるでしょ~」
みんなの個性が強すぎて、自分がありきたりの、つまらない人に見えてくる。
各々席に着き、各々お酒を注文すると、狂実ちゃんは3つのタッパを並べ出し、豪快にポップコーンを入れた。
「またポップコーン?」
「餌かよ?」
「口乾くよ~」
「ちょっと出前しない?」
みんな、自分の家にいる様な振る舞いだ。
さぁ、これから夜会が始まるぞという雰囲気がプンプンしている。
僕達は朝早かったのと、山登りで疲労が溜まっており、ついでにお酒が入ったもんだから、眠たくて仕方がなかった。
ゲイさんがマイク片手に立ち上がり、いきなり、「フォーーーー」と叫びだした。
いつの間に予約していたのか?かかった曲はレディ ガガのバッドロマンスであった。
みんなは総立ちになり大熱唱。僕達二人も知らず知らずの内にマイクなしで参加していた。
眠気は一気に冷めたが、疲れは倍増。
僕達は目配せをして店を出ることにした。
キリコさんは初めての二丁目に感動していたし、何気に父親の行きつけの店を知ることが出来たわけで、これはこれで、良かったかなと思いながら急斜面の愛のない階段を降りた。
帰りの電車では気持ちの良い揺れが眠気を煽り、お互い眠りについてしまった。
ふと目が覚めると、次がキリコさんの下車駅で、僕の駅はもうとっくに過ぎてしまっていた。眠っているキリコさんの顔を頭に焼き付けてから、肩を軽く揺さぶり起こした
「次だよ」
まだ閉じていたい目を頑張って開けようとするキリコさんを純粋に愛おしく思った。
僕は反対側のホームへ行く為、キリコさんと一緒に電車を降りた。改札まで送り、またいつもの会釈で別れた。
家に着くと、珍しく二匹は起きていて、玄関まで駆け寄ってきてくれた。
足の脛辺りを体当たりで押し付けてくるもんだから、穿いていた黒いズボンは毛だらけになった。
僕はまだ正気でやっていけそうだ、そう、思った。
おわり
斜め15度 井上 流想 @inoue-rousseau
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