第468話 元ケロック伯爵の土下座

 ケロック伯爵家の離反による、戦況の混乱から僅か数日のアガーム王宮。


「この通りでございます。

 何卒、何卒我が領の帰順をお許し頂きたく」


 アガーム王国の謁見の間では、冷たい床に平伏した元凶である元ケロック伯爵が、必死にアガーム8世へ謝罪を繰り返していた。

 ……実情を知らぬ者達には奇妙極まりないことに。


「「「……」」」


 しかし、アガーム8世を始め、王国中枢の者達は、沈黙を選択し、ケロックの言葉を無視する。

 独立宣言から一週間も経っていない時期に、降伏帰順の嘆願であり、未だに停戦調停に赴いた官僚達が帰ってきていない状況である。

 騙し討ちを狙っているとしか思えない。


「……少なくとも主だった貴族を集め、数日吟味する。

 話はそれからだ」


 停戦調停が完了した後に、改めて話を聞くために時間を稼ぎたい。

 その思惑を隠して、最もらしい言い分を建前に出す宰相。

 停戦調停が終わってしまえば、ケロックの騙し討ちも怖くない。

 相手はケロック領単体であり、ケランド王国も参戦出来ないから……。

 しかし、


「それは……」


 ケロック元伯爵は、不服を伝えようとして言葉を濁す。

 もちろん、それを見逃す宰相ではなく……、


「それは?

 時間が掛かると何か不都合でも?」


 と追及を始める。

 同時に、周囲からは猜疑心を帯びた鋭い視線が向けられる。


「少なくとも現時点で、ケロック領への進軍はないと確約があるわけだが、それでは不服かね?」


 限りなく低い可能性とは言え、再度アガーム王国に再編されれば、復興財源はアガーム王国から出されることになる。

 故に、交渉決裂ならまだしも、決定保留であれば軍を進めることはないのが当然である。

 しかも、この期間は伯爵領から国への納税もないのだから、普通なら万々歳のはず。

 やはり、何かある。


「それとも、ケランド王国との交戦に紛れて、進軍でも考えているのかね?」

「滅相もない!」


 停戦交渉締結前に、ケロック領が再編されれば戦闘再開の可能性もある。

 そこで改めて、裏切れば良いのだ。

 ケロック領帰順は偽物による狂言だったとでも言って……。


「信用出来ん!」

「「「そうだ!」」」


 そういう抜け道もあるが故に、周囲の貴族からケロック伯爵を否定する言葉が飛ぶ。


「……」


 それに対する反論が出ることもなく、ケロック元伯爵は沈黙を守る。


「……時間がない理由も言えず、ただ急かすばかり、話にならんな」

「……まったくです」


 ケロックの黙りに痺れを切らしたアガーム8世が、呆れたと言わんばかりに肩を竦め、宰相も追従する。

 それは謁見の間に集まっている貴族達の総意だった。


「……ふぅ。

 1度、領地に戻って出直してはどうだ?

 こちらから交渉の準備が出来たら、使者を遣わそう」


 少なくとも、今現在は敵対関係にあるのだ。

 こんな所で互いにみつめ合っているより、自分達のやるべき事をするべきだろうと、帰還を促すアガーム8世。


「それは……」

「分からんのか?

 貴様は、本来ならこの場で首を叩き落とされても文句が言えない立ち位置なのだぞ?

 今、五体満足で此処に居られることが既に温情だと知れ!」


 未だに追い縋ろうとするケロックに、コブシーデが激昂の声を上げる。

 ケロックの離反により、動きが鈍ったアガーム王国軍。

 それによって、ケランド王国軍の集中攻撃を受ける羽目になったオドース侯爵軍が最も大きな損害を被った。

 領地防衛のために、この場に参加できないグラーツ公爵とその派閥。

 自領を焼かれた彼らがいないこの場においては、最もケロック元伯爵の被害を受けた男である。


「……」


 その怒りを受けてなお、弁明しないケロックに、いよいよ不信感が高まった。


「……使者殿のご到着をお待ちしております」


 その空気を感じたケロックが、丁寧に頭を下げて退出していく。

 これ以上、粘れば本当に殺されかねないと理解したのだろう。

 自己保身の強い男である。


 同時に、そんな男が自分の命を危険に晒す真似をして、何故アガーム王宮までやって来たのかと、集まった皆は更に首を傾げるのだった。


「私は、あの男を野心も強いが、それ以上に臆病な男と認識しております。

 いきなり土下座をした点からもその性状は変わっていないようでした。

 であれば、彼の領では何があったものか?」


 1番の被害者であることを前面に出して、ケロック元伯爵を酷評するオドース侯爵。

 帰順願いを出された王宮側の人間や爵位や領地の関係から、あまり強く言えない他の者達へ気を使ったオドース侯爵の発言。

 これにより、ケロック元伯爵に対する議論が始まるのだった。

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