第400話 スナップの最後

「じゃあ、明後日にはアガーム領に入るんだな?」

「へい。

 そっからは若様の仕事でさあ!

 若いのを数人付けやすので心置きなく使ってください!」


 スナップの問い掛けに髭面の大男が笑いながら応える。

 賭けに勝ったスナップは、船上での地位を家畜から貴族の若君へと一足飛びに駆け上がったのだ。

 これは操舵手として乗船していた幼馴染み達のおかげ。

 ……ではなく、毛無馬として箱詰めされた時に、身に付けたままになっていた実家の紋章入りペンダントが決め手だ。

 元の身分がある程度推測出来るように、箱詰めする時に身体検査をしない方針にしているのが幸いしたわけだが、逆に身体検査を受けていれば、その時点で箱詰めの不幸に遭うこともなかっただろう。


 そんな幸か不幸か分からない状況のスナップではあるが、少なくともバンダーにとっては幸運である。

 宰相に近い権限の人間が謀らずも密出国して、しかもその人間は人身売買の情報を持つ家柄。

 アガーム王国で人身売買の仲介を行うケロック伯爵と渡りを付ければ、サザーラント神聖帝国への援助を引き出せる可能性は十分ある。

 渋るようなら、アガーム王宮へ通報すると言えば、否めとも言えないし、事前にアガーム王都に手の者が潜んでいると言えば、命を狙われる心配も少ない。


 これにより、ケロック伯爵家経由で他勢力との交易が成立すれば、少なくともサザーラント貨幣の価値を引き上げることができる。

 ……あくまで、この船を運航する船長の受け売りであり、スナップの発案ではないのだが。


「このままじゃ、儂らも女房子供に食わせる飯が無くなっちまいやす。

 どうにか閣下のお力で交渉を成立さえてくだせい。

 お願いしやす!」

「……ああ。

 任せておけ!」


 ひたすら頭を下げる船長によって、ゼファートから門前払いを繰り返されて失っていた自信を取り戻すスナップ。

 自己顕示欲の強い人間は煽てられると、すぐに調子に乗るものである。

 そういう人間に交渉を任せるのは、本来危険であることを弁えている船長だが、そんなスナップに頼るしかないと心中で、ため息を付きつつの依頼。

 しかし、船長にも勝算がある。


『……まあ、陸の供給路が潰れて、ケロック伯爵側も困っているはずだしな』


 ゼファート領となった旧サザーラント西部で、人身売買組織の根絶運動が起こっていると言う情報を掴んでいる船長は、その組織が捕らえた人間は、陸路経由でアガームに送られていた連中。

 自分達が大量供給の分、安く毛無馬を卸していたのに対して、ビジーム商人が人の身分のままに魔術等で縛り、表向き丁稚奉公の体裁で、1人辺りを高単価で供給していた。

 そちらが潰れたと状況を把握しているのだ。

 それは同時にケロック伯爵が取れる手段が限られることも意味する。

 すなわち、


『人身売買事業から撤退』か『毛無馬を自分達で育てて、丁稚奉公の形で送り出すか』である。

 そして選択肢は2択だが、犯罪から手を引く難しさを考えれば、実質後者1択だと考えている船長。

 犯罪の片棒を担がせようと思えば、発覚時のリスクに見合う利益を与え続けなくてはならなかったはずであり、下手に金払いをケチれば密告等の危険性を孕む。

 事業を撤退すれば、利益の当てがなくなったのに、共犯者へは高い賃金を払い続けることになり、ケロック伯爵家が債務を抱えることになる。

 悪どい商売は始めるのは簡単だが、止めるのが難しいのだ。

 ……これが、船長達のように自由に移動出来る立ち位置なら別ではあるが、領地貴族のケロック伯爵には不可能と言って良いだろう難易度である。


「船長!

 あれはなんだ!」

「どうしやした?」


 ケロック伯爵の動きを想定していた船長の意識を引き戻したのは、船の進路前方の海上に盛り上がってくる異常事態を指差すスナップの声。


「チィッ!

 シーサーペントでやさぁ!

 野郎共、準備しろ!」

「シーサーペント?

 大丈夫なのか!」


 運悪く面倒事に巻き込まれたと指示を出す船長に、不安気なスナップが訊ねるが、


「問題ありやせん!

 この海域はたまにはぐれサーペントが出るんでさぁ。

 銅鑼を鳴らして少し脅してやれば、去っていきや……。

 ……!!」


 船員が銅鑼を叩き始めた所で、スナップに安心するように笑い掛けようとした船長。

 しかし、更に異常な揺れが船を襲う。


「本当に大丈夫か?!」

「そのはずでやすが……。

 ……っとと!

 変ですぜ!!

 シーサーペントは臆病な魔物でさあ!

 時折、船を魚と勘違いして襲ってくることはありやすが、間違いに気付けばすぐ去っていくんでやすが!

 ……おい!!

 銅鑼をもっと鳴らせ!」


 船員も船を沈められたらと、文字通り命賭けで銅鑼を乱打するが、しかし、普段と逆にどんどん揺れが大きくなり、遂に……。


 ミシシッ……。

 ……バキバキ!!


 船が降参宣言を宣う。

 しかし、シーサーペントに襲われて激しく揺れる船の上と言う初体験に、それよりも一足先に海に落ちていたスナップ。

 その身体をあっさりと飲み込んだ1体のサーペントが次の獲物に向かう。

 ……落下の衝撃で気を失っていたことだけが、スナップにとっては最後の幸福であったことだろう。

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