第399話 ケムバ

ガツンッ!


「いたた……。

 何処だ? ここは……」


 何かに頭をぶつけた痛みで目を覚ましたスナップ。

 狭い視界を最大限動かすが、薄暗い空間には何もなく、手足を伸ばすスペースさえも確保されていない。

 折り曲げた足を抱えるようにして、押し込められた空間。

 手足に当たる感触から、自身のいる場所が木の板で覆われていることくらいしか情報がない。

 視覚が当てにならないと感じたスナップは、目を瞑って鼻と耳に意識を集中する。

 黴の混じった古い木の匂いに、潮の香りが混ざる。

 加えて、


 ザザーッ。


 と、響く幼い頃に聞き慣れた波打ちの音。

 海の近く?

 そう判断したスナップは、次いで自身の押し込められた木箱が緩やかに揺れていることに気付く。

 ……船の上だ!

 そこに思い至ったスナップは、大いに慌てる。

 彼の実家や近隣で港を構える貴族が、領の特産品として、人間を出荷していることを思い出したのだ。


 スナップは、自身が帝都の北にある間道を抜けて、サザーラント南東部の山間の村に辿り着いたはずであったと思い至り、同時にアッチ家が人間を毛無馬ケムバと称して、仕入れている狩場が山間の村だったことを思い出したのだ。


「……妙によそ者に愛想が良いと思ったが」


 直前の記憶を思い出せば、辿り着いた村の村人は、皆が皆、愛想が良くあれこれと世話をやいてくれた。

 あれは新しくやって来た商品を傷つけないようにする配慮だったと理解したスナップ。


「先ほどの衝撃は乱暴に船に積まれた影響だと思うし……。

 どうする?」


 騙され、売り飛ばされたことは悔しいが、今は村人に恨みを募らせている場合ではない。

 木箱の状態で船に積み込まれた以上は、出港までに脱出しなければ逃げ場がないのだ。

 かと言って、このまま船に載っていれば、アガーム、ラロルを経由して東大陸に売り飛ばされてしまう。

 人間ではなく、毛無馬と言う家畜として……。

 だが、


「必死に暴れた所で無駄……。

 木箱のまま気を失うだけだし……」


 スナップが思い出すのは幼い頃、親に連れられて見学に行った領港での様子。

 そこでは、毛無馬は光に弱く、決して木箱を開けないと聞かされた。

 暴れているなら木箱を転がせば気を失って大人しくなるからと、うるさい木箱をひっくり返している船員達がいた。

 恐らく、自分も同じような目に遭うだけだろう。


「チャンスは船が沖に出た直後……」


 更にアッチ領内で付き合いのあった悪友の話を思い出す。

 船員見習いとして、アガームまで付いていったことのあるその悪友は、毛無馬が実は人間であると衝撃の事実を教えてくれた相手である。

 同時に、沖に出て逃げる手段を絶った毛無馬は船上に出されて、下働きをさせられるとも言っていた。

 そこで人としてのプライドをへし折るのも船員達の仕事だと言うがただの建前で、実際は自分達が楽をしたいだけだとも笑っていた。


「そんなことをして、泳いで逃げたらどうする?」


 と訊ねたが、悪友曰く、


『陸までとんでもない距離があるのに、内地の人間が泳げるわけない。

 溺れて死ぬだけだろう』


 とも笑われた。

 港街で生まれ育ったスナップのような人間が例外的なだけで、大半の人間は泳げないらしいのだ。

 寝静まったタイミングで泳いで逃げようと考えたが……。


『大体、陸地が見えない沖合いの航路だぞ?

 多少、泳ぎが達者な程度で運良く陸まで辿り着けると思うか?』


 と言われたことも思い出す。

 至極当然だ。

 海流のある海の中では真っ直ぐ北に泳いでいたつもりで、知らない間に逆向きになるなんて良くある話。

 高さがある船上ですら方角を見失うのに、海から顔を出して、正しい方角を知るのは至難のわざだ。


「……一体どうすれば?」


 窮屈な木箱のせいで、頭を抱えたくても抱えられない状況に嘆き続けるスナップであった。


「待てよ?

 顔見知りが乗っている可能性が高いし、それに賭けるのも手か」


 普通に考えれば部の悪い賭けだが、スナップがアッチ子爵の子息時代に聞いた話では、毛無馬の交易をしていたのは子爵が4家でしかも、船は合同で2隻を交互に運用していた。

 船員が顔見知りの可能性も十分あるのだと思い直す。

 ……はたしてその賭けに勝てるかどうか?

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